それでも、あなたは回すのか

 主人公は編集者希望だったものの就活が上手くいかず、ソシャゲ制作会社のサ終(サービス終了)チームに配属される。そこにはウデもトゲもある年下の同期がいて... 

帯には現代社会を描く最先端「お仕事小説」と銘打ってある。

 「それでも、あなたは回すのか」を読んだときに、場面が質感をもって再生されるのは普段私たちが慣れ親しんだソシャゲを想起してしまうからだと、のめり込んだ記憶がある人ならきっと誰もがそう言うと思います。ですがソシャゲあるいは類するコンテンツに親しみがない人からするとこの感覚は伝わりづらいのかもしれません。

ソシャゲが終わるという現象の最も特徴的なこと、何だと思いますか?

私は「何もなくなること」ではないかと思っています。サ終するということはサーバーが閉じられるということ。残るのは思い出と自分のローカルにあるスクショだけです。
 本は違います。紙は50年も100年も残り続けます。古典ならすでに1000年生き残った実績があります。対してソシャゲはどうか?きっとサ終して10年後、覚えているのは当時プレイしていた人たちだけです。

 だからこそ回さねばならない、回してもらわねばならない。
ソシャゲというコンテンツが生まれ持った影の部分を土壌にした作品だからこそ解像度の高い作品であり、また私たちも高い解像度で再生できるのかもしれません。

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