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言葉という呪い。

1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、、、

忙しい年始の1月、日数の少ない2月、年度末で慌ただしい3月が、あっという間に駆け抜けていってしまうことを、昔からの言葉遊びでこう表現しますね。好きなんです、これ。

師が走りまわるほどの忙しさのあとにくる慌ただしさも、なーんだみんな一緒なんだねって思えるから。


さぁ、それでは、気が付けば終わりそうな4月はなんなのでしょう。

「もうすぐゴールデンウィークだね」「今年は何連休?」なんて言葉が飛び交うようになってしまいました。はやくない?置いていかないでもらえますか?
体感では先月くらいに年越したし、一昨日くらいに恵方巻きを食べましたよ。

まだ冬かなってくらい寒くなったと思ったら急に夏日になったりするから、こたつをいつ片付けたらいいかわかりません。(言い訳です。ゴールデンウィーク前に片付けてみせます、きっと。)

どうせ、ゴールデンウィークを過ぎるとあっという間に6月になって、2022年ももう半分だね〜とか、怖いことを言い出すんでしょう。知ってるんだからね。許しませんよ。

子どもの頃は初めての経験がたくさんあるから、1年が長く感じるらしいですね。

大人になると、春の雨で桜の絨毯ができる切なくて美しい景色も、逃げても逃げてもバーベキューの煙に追いかけられてむせることも、街のあちこちに現れるキュートなカボチャのおばけと目が合うのも、冷えた左手を右ポケットにお招きされる喜びも、知っているから、繰り返しているから、あっという間に感じるんですって。
知らない場所に遊びに行った時、帰り道が行きより早く感じるのは、道をしっているからなのですね。

1年の体感時間の折り返し地点は19歳と聞いたことがあります。
生まれてから死ぬまでの19年と、19歳から死ぬまでが、体感では一緒だということなのですが、それを知ったのは20歳の時でした。怖かったです。もう折り返しの帰り道なのかと。
紫鏡をきちんと忘れて20歳になったのに、怖いことはまだまだ世の中に沢山あるのだと思い知らされました。

幸いにもまだ死んでいないので上の説が正しいかどうかはわかりませんが、就職してからも、1年が早くなったのを感じます。
強めピンクのフラミンゴの浮き輪を持っていても、どうやらしっかり大人になってしまうようです。


1年の寿命を伸ばすためにも、いろんな初めてにチャレンジするとか、いろんな人に会って、たくさんの思い出を作りたいですね。早くマスクいらずの生活になってほしいです。
あなたに会ってハグとキスがしたいですね。

ぐみたべるでツイートするとき、言葉をたくさん練っています。

Twitterの140字の中に収まるように、本当は入れたい句読点や改行を消し、ひらがなを使いたいところを漢字に変換し、少なめの脳みそから搾り出した一滴を、さらに煮詰めるような作業をしています。

書き残しておきたいことは、きっと100%言語化できない。

それでも、ぐらぐらに沸きたったほんの少しの"わたし"が、誰かのどこかに、シミのように残ったらいいな、なんてことを小狡く思うのです。

言霊というものを信じています。

笑っていた方が元気になるように、
「気をつけてね」の朝の声かけで事故率が下がるように、
口に出した方が夢が叶うと言われるように、
頭で考えるだけより、口に出した方が、実る何かが宿る気がします。


元々言霊を信じているタイプだったのですが、やはり"ある"のだと思う出来事がありました。大学生の頃の話です。

当時付き合っていた恋人に全力で変顔したときに「ブスだなぁ(笑)」と言われました。(恋人に全力変顔しますよね?私はするタイプです)

当然ながら私は可愛い(当社比)し、今までブスなんて言ったことも言われたことも無かったし、幸いにも気も強いので、それはそれは驚いて、「いやブスじゃねーよ!」って否定しました。
私がムキになって否定するのが恋人としては面白かったみたいで、それからちょこちょこ「ブス」と言われました。

何度言われても腹が立つし、毎回全力で怒ってたし、でも相手は怒る私をニヤニヤ笑って見てるから、暴言を吐くこともありました。好きな人に暴言を吐くことへ自己嫌悪も生まれました。



「本当に思ってたら言わない」
「ブスだと思ってたら付き合わない」
「ムキになるのがかわいい」とか散々言われたけど、何度も何度も言われるたびに凹んだし、なんで言われて嬉しくないこというんだろうと、心が荒みました。

恋人の誕生日の1ヶ月ほど前、サプライズもプレゼントを選ぶのも好きな私が、プレゼントを考えるのがめんどくさいなって思いました。思った直後、初めての気持ちだったから自分でもびっくりしました。
でもたしかに、なんで私は、私のことを大事にしてくれない人と一緒にいるんだろう。


愛は捧げるものだし、見返りを求めてはいけないと思っています。けれど、私に嫌なことを言う優しくない人と付き合っていけるほど、私の心は広くないのです。そんな人に時間を割くなら、お互い大事にしあえる人と一緒にいたいなって思いました。

愛は捧げるものだけど、搾取されていいものではない。
この世に1人しかいない上、これから死ぬまで付き合っていく私自身の味方でいてあげたかった。

別れを切り出した時、めちゃくちゃ泣かれました。
「悪いところがあったら直すから」
「ずっと一緒にいられると思ってたのに」

ねぇ、言ったよ、私は。
されて嫌なことを、あなたに散々言ったの。何度も、何度も。
あなたと過ごす時間は楽しかったけど、言葉で傷つけられて、怒りたくないのに怒らされて、それを面白がって真摯に受け取ってもらえなくて、そんな人とはずっと一緒にいられないよ。

付き合っているなら世界で一番私のことを可愛いと思ってくれなきゃ嫌だった。私のことを大事にしてくれない人ならいらない。私ってそんな蔑ろにされていい存在じゃない。2人でいるのに寂しいなんて意味がわからない。恋人を傷つけて面白がる感性の人と一緒にはいられない。されて嫌なことをちゃんと伝えたのに、受け取ってくれずに繰り返すのはもう悪意だよ。自覚がないなら直らないよ。あなたがじゃれてるつもりでも、私は本当に嫌だった。辛かった。悲しかった。

あんなに何度も言ったのに、あなたが悪かったところ、私が嫌だったこと、まだわかってないんだね。

思ったことは言わずに、努めて優しく別れました。
散々傷つけられた分、突然の別れにうなされろ、と、ちっとも優しくない心で思ったし、「そんなことならすぐ直す」と、今までの私の訴えを、軽んじられるのも嫌だった。

ブスだと思ってないなら、可愛いと思って付き合っているなら、余計なことは言わずに可愛いって言ってほしい。

頭で思って、口に出して、それをあなたがまた耳で聞いてれば、自己暗示で私のことがもっと可愛く見えるのにな。
私だって、好きな人から可愛いって言われれば、もっと可愛くなれるのに。可愛くあろうと思えるのに。
好きな人に怒るのって、私にとってはとんでもなく苦痛でした。


元々怒るのは苦手です。怒るのって難しいし、すごく疲れる。限られたエネルギーを怒ることに使いたくない。楽しいことに使いたい。

怒りの根本には別の物が隠れていることが多いです。
心配や悲哀、視野の狭さ、恨みつらみ妬み。
この怒りの根本に隠れたものを掘ってみればたくさんの「悲しい」だった。

別れた、という話をしたら、大体の友達はびっくりしてました。「あんなに仲良かったのに?!」

別れてすっきりしたし、私は恐ろしく引き摺らないタイプなので、友達に別れた経緯を面白おかしく話すため、美味しく食べるご飯に行く予定を立てました。
当日待ち合わせ場所で合流したとき、まだ何も話していないのに「あれ、なんか可愛くなったね?」と言われて、かけられ続けてた「ブス」の呪いがとけたのを感じました。


元々自分の容姿に自信がある方ではないんですよね。(当社比で可愛いとは言っておきながら。)
でも、だから、可愛くなりたいんですよ。もがいてます。自分に似合う色を勉強したり、自分の武器がどこかを探してます。
したたかです。あなたが思うより、うーんと。
この世はピュアな自意識だけでは生きられない。

「ブス」の呪いがとけた気でいるけど、たぶん心のどこかで傷跡が残ってます。美容室帰りやネイルを変えたら「ねぇ可愛い?」って可愛いのカツアゲもします。(自分から欲しがった可愛いでも喜べるタイプです。ちょろくていいですね)



たかが面の皮一枚でしか判断できない人に好かれてもしかたないのは重々承知だけど、好きな人には可愛いって思われたいな。男女問わずね。

だけど、80年経てばシワシワだし、100年経てばみんな骨なんだから、心とか精神とか思想とかを好きになってもらえると、もっと嬉しいな。


魅力は肉体にも宿るけど、精神にも宿るのです。
2つが重なったら最強になれると思いませんか。

私が憧れる1人に、とびきり最高なレディがいます。
彼女は私の母よりも年上で、もう本当に賢くてオシャレでセンスが良く器が広いです。なのに、それを鼻にかけずとってもキュート!華があって人懐っこく、人の良いところを見つけるのも、褒めるのもすごく上手。すらりと伸びた背筋がかっこいいのです。

あの人と出会えて、こういう年の重ね方をしたいな、と思いました。
オノ・ヨーコさんの「若さは美しいが、美しさは若さではない」をまさに体現した方で、心から尊敬してます。

言葉とは不思議ですね。
声として発さなくても、こうして煮詰めた一文字一文字をあなたになぞってもらうことで、私の過去が報われる気がします。

誰の目にも触れなくてもいい、なんて言いながら、TwitterもnoteもInstagramも、ハートが赤く染められるたびに、あなたの気配を感じられるから嬉しいです。好きな機能です。一方的に出した手紙に、既読がついた気持ちになります。

画面の向こうへ届いたという実感が、私をいかに喜ばせているかを伝えたくて、いいねしてくれたことにいいねがしたいです。いつも読んでくれてありがとうございます。(いいねはある意味ノンバーバルコミュニケーションのような気もします。ノンバーバルコミュニケーションも大好きですが、それはまた別の機会にでも。)



天にも届くような塔を建てようとした罰として、全ての地で使われていた共通の言語は失われてしまったらしいですが、今や翻訳アプリを使えば一瞬で地球の裏側の国の人ともおしゃべりができてしまいます。青い猫型ロボットと出会わずして、食べないほんやくこんにゃくを、ひとりひとりが持ち歩いている時代です。

言語が世界で通用するようになると、あの時崩された塔が再び建てられているような気がしますね。考えるとちょっと怖いのでやめましょうね。ネットの海で言語の壁を越えるくらいはきっと許されるはず。あなたと繋がれたことは罪ではないでしょう?だってこんなに大好きなのだから。

雨の種類が400もある国に生まれて嬉しいです。
川から大きな桃が流れてくる擬音なんて、日本にしかないのではないでしょうか。
好意を伝えるための2文字を使わずに表現するのが文学だと聞いたことがあります。
同じ漢字でも読み方が変わったり、同じ言葉でも人や言い方で意味が真逆になったり、日本語ったら、どうにもこうにもまどろっこしくて愛おしいです。

ポジティブな言葉ばっかり言いたいわけじゃないです。
どちらかといえば口は悪い方だし、人の好き嫌いも激しいです。

でも誰かをうっかり呪ってしまうような言葉は言いたくないです。傷付けたからといって、誰かを傷付けていいわけがないです。まるで傷付いたことなんてありませんよって笑っていたいです。けろりと。


時には「好き」という言葉にも人は呪われる。
あなたを苦しめる呪い(のろい)は残したくないな。
あなたを守るお呪い(おまじない)でありたいです。
柔らかい心を大事に守るのは暖かい言葉です。きっと。
あなたから贈られる優しい言葉が、私を守るおまじないなんです。

お別れの挨拶は「さよなら」じゃなくて「またね」って言いたい人です。そういう人は多いのではないでしょうか。

「またね」を言うことで、またあなたに会える魔法をかけていたい。

約束された未来なんてないのはわかっています。だけど、明日隕石が降ってきて地球が終わりを迎えたとしても、いまの私が「またあなたに会いたい」ことを伝えたいのです。


さて、これを描き始めたのは4月の半ばなのですが、描き終えた今日、4月27日までに、私はこたつを片付けられたのでしょうか。

それでは、また。

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