好意はきっとあふれる水
好意っていうのは、きっと、人の心の中にある見えないコップに注がれた水なのだろうな、と、ふと思う。
それがコップの底をほんの少し濡らす程度なのか、
それとも半分以上入っているのか、
もしくは今にもあふれそうなぎりぎりなのか、
そのコップの持ち主にしか見えないの。
自分のコップの中身は自分で見えるけれど、人のコップは見えないから、もしかしたらほんの一滴しか入っていないのかも、自分よりも他の人のコップのほうがいっぱい入っているかも、と思って不安になる。
でも、だからといって、人のコップの中を無理やり覗き込もうと揺さぶると、わざとじゃなくてもコップそのものが割れたり、いっぱいだったはずの好意がこぼれて減ってしまったりするかもしれない。
好意はきっとゆっくりたまる。
何かのきっかけで、ゲリラ豪雨のように一気に降り注いで一瞬でコップから溢れ出すこともあるかもしれない。けれど、瞬間的にいっぱいになった好意は、ゆっくりたまる楽しみはないかもしれない。一気にたまったのと同じ速さで、一気にカラになるかもしれない。
いっしょに過ごした時間や話しながら垣間見える人間性や信頼は、一滴ずつこぼれてたまる鍾乳洞の水のように透き通っていて綺麗なんじゃないかな。そうだったらいいな。
海のように豊富な水源を抱えていたい。
揺さぶったり試したり、というのは、自分がされて嫌なことだから、誰かにもしたくない。
どんなにコップが増えても上手にそれぞれを潤していたいな。
心に並ぶ綺麗なたくさんのコップを、いつだっていっぱいにしていたい。
なんなら海の中にコップを並べらていられるような、余裕のあるあふれる愛を抱えていたい。
だけど難しいもので、相手からも見えるようにコップから水をあふれさせることは、人によっては暴力になる。
水は質量が増えれば重たくなるし、重たいものを相手に押し付けるのは負担になる。
自分が「これだけ好き」だからといって、相手に水をかけていいわけじゃない。
自分の水をかけたからといって、相手の中にある自分のコップが潤うわけじゃない。
自分と同じ分だけ相手に水を注ごうとしてもいけない。
コップの用意さえできていない人に水だけ渡すのは迷惑だ。知らないからもらった水は、どんなに透き通っていても、怖い。
水は蒸発してしまうから、コップが乾かないようにお互いが意識していなければいけないのかもしれない。
いくらたくさんの好意があっても、思いやりがなければ乾いてしまう。相手を怒らせればきっと水は沸騰して、はやく蒸発してしまう。そうしていつか、過去になる。
美しい空っぽのコップを、昔はいっぱい入ってたなぁって眺めることがある。きっと、誰しも。
思い出が綺麗なのは、きっとそのコップがきらきらしているからだ。
自分はそうして過去を思うくせに、自分のことを過去にされたくないな、なんて厚かましいことを思いながら、すっかり今夜も26時。
いまならまだ昨日の続きの今日だ。まだ明日になってないはず。迎える朝こそが明日になるはず。
さあ、ラベンダーの香りのするアイピローで、自分自身のコップを水で満たす夢をみようね。
それがきっといちばん難しくて、いちばん心を潤してくれる水だから。
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