ドレッサー

ロリータとプリパラは割と近い場所にあるぷり

ごきげんよう、卯茶野てしろです。2記事目にしてもう脱線しそうな予感がするのですが、私の好きな作品の話をします。違った、私の好きな作品とロリータの親和性の話をします。

プリパラって知ってるぷり? 2014年から2018年まで放映されていた、女の子の夢とかわいいと憧れ(とちょっとの狂気)が詰まった素敵なアニメぷりよ。
主人公の「真中らぁら」が誰でも理想の姿でアイドルになれる女の子の楽園「プリパラ」で神アイドルを目指す話ぷり。別に誰かが死んだりはしないしとってもかわいくて元気が出る作品だから、皆さんも観てみるぷり。約190話あるぷり。大丈夫、長くないぷり、あっという間ぷり。

そしてこのプリパラ、コンセプトは「み~んなトモダチ、み~んなアイドル!」
女の子はある一定の年齢になるとプリパラへのパスポート「プリチケ」が届き、プリパラでかわいい服とかわいいメイクの理想の女の子としてステージで歌い踊ることができるのです。

これ、ロリータと同じ概念を持っているのでは? と卯茶野は思うわけです。プリパラの1話で先輩アイドルのみれぃは、自信なさげならぁらにこう問いかけます。

「プリパラは好きぷり?」

らぁらがうなずくと、みれぃは続けます。「じゃあ大丈夫!できるぷり!」
「みんなはアイドルの歌を待っているぷり!」
「世界中に向かって届くように、思いっきり歌うぷり!」」
「ここではすべての女の子に、それが許されているぷり!」

これは実質ロリータですよ。

まあ別にロリータさんはアイドルじゃないし、歌ったり踊ったりするわけではないのですが。
「すべての女の子にそれが許されている」
ここです。ここがロリータ。ピンクのスカートを纏うこと、フリルを翻して歩くこと、美しく背筋を伸ばすこと、愛らしくお茶を飲むこと、花のようなケーキを口にして微笑むこと。
全てが許される。いや、これらのことはいつでも、だれにでも許されていることなのです。ロリータの女神様が、クローゼットの魔法がそれを改めて教えてくれるってこと。

プリパラの何がロリータと近いかというと、もう一つあって。
プリパラの中でアイドルとして輝いているのは、女の子だけではないということです。最初は姉についていくという動機ですが、自分らしく、ありのままでいられる場所をプリパラのステージに見出して、スカートを履いて歌い踊る少年がいます。そしてそれを作中の誰もからかったり、嫌悪したりしない。
だってそれがハートの輝き。「自分らしさが一番でしょ?」


過去のゴスロリバイブルや今のTwitterのロリータさんたちを眺めていると、割と女装をされる方がいらっしゃったりします。皆さん背筋を伸ばして美しく、「自分らしさ」をロリータに見出していらっしゃる。
ロリータのかわいらしさ、美しさというのはわかりやすく時に過剰であるからこそ、それが好きな人たちを男女問わず魅了するのでしょう。
まあしかし女装ロリータさんのメイクとか体型づくりの技術すごいですよねえ。

自分らしくありさえすれば、性別関係なくきらめきを纏えるプリパラ。
もういい加減長くなってきたし実際に観て頂きたい面もあるので多くは語りませんが、見目麗しい「王子様」だって君臨しちゃいます。このプリパラの王子様はベルばらのオスカルとリボンの騎士のサファイア、そしてウテナあたりがモチーフであると言われています。もうわかりましたね。ティンと来たね、見るぷり。
いい加減気づいたと思うんですけどこれはプリパラの布教記事です。ロリータの話をしたいのもほんとぷりよ。
王子様も輝きます。彼(彼女)もいろいろ苦悩はあるけれど、こういう王子様モチーフのキャラクターが辿り着く結論としては割とめずらしく、そして現代的な解決を見出しているので必見ぷり。やっぱり「自分らしさが一番」。自分に嘘をつくのは悲しいことぷりからね。

王子ロリータいいですよね。「男装」ともちょっと違うところが卯茶野のツボです。アリパイとかミホマツダのカチッとしたジャケットとパンツで決めたロリータさんを見ると痺れます。ソックスガーターとか大好きです。
王子ロリと言えばルウト様は別ジャンルが舞台化したときに出ていらっしゃってすごいびっくりしました。ハマりすぎです。

かなりごちゃついてきたのでそろそろ締めます。ロリータはいいぞ。プリパラはいいぞ。私の愛するこの二つは「自分らしいかわいさ、美しさをとことん追求すること」「それは何より尊く、すべてを照らす光である」この共通点を持って私の中で永遠に、プリズムのように輝き続けています。

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