色々あった けど? から?

ハロー効果の威力はすさまじい。

もう二度と繰り返したくないからこそ、だからあえて。

真っ先に浮かんでくる感情は 辛い しかなくて。今年を振り返るにはあまりに寂しい。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。どこで何を間違えた?僕か何かを間違えた?そもそも何かを勘違いしていたのか?

なにもわからない。

2022年も散々だった。年明けから色んなことがあって春先には不安障害を患い、命を絶つ事を真剣に考えた。それでも信じて追いかけ続けたものに救われ、必死で、本気で、そして楽しく。追えるところまで追いつくしたら未来に希望しかない年末を迎えたことを覚えてる。思い出すだけで今は悲しい。

年明けからその雰囲気続くままに楽しい1年になると信じて疑わなかった。活動休止 の四文字が少しばかり僕の心を揺るがしたけど、何故かあの時は、思い描いていた未来はそんなに変わらず楽しい日々が続くと信じていた。だからそんなに自分にとっては大きな話じゃなかった。

そして活動休止の四文字が仲間の繋がりをより強くしてくれたと思ってる。3月の全国ツアー、行く場所行く場所で仲間がいる。今まで以上にライブだけでなく仲間と過ごす時間が増えた。一緒にいる人と話す時間が増えた。コロナが産んだ悪が取り上げられる一方で実は新たな働き方や商売が産まれたように、この活動休止もある意味良い影響を与えていた部分はあると思う。この時はホントにそう思ってた。何よりも、僕は何故だか知らないが「今までと変わらない何かが必ず待ってる」って何の根拠もないのに信じ切っていたから。

当時のことは当時の僕が一番正直に書いてる。当時の記録。気持ち的に見れないからリンクだけ貼る。
名古屋公演
福岡公演
大阪公演
奈良公演
北海道公演
渋谷公演
静岡公演
仙台公演

ツアーファイナル原宿公演

でもやっぱり終わってみたらなんだか少しずつぽっかり心に穴が開いていっていた。じわじわ。日常と化していた日常が来ない。日常のはずなのに日常じゃない感じ。何もない日々をどう過ごせばいいかわからず、自分の中に少しずつずれが起きてる感じ。

自分にとっては思った以上にやっぱり存在は大きかった。そりゃそうだよ3年も金と時間を捧げてきたんだから。

今となっては、4月から6月までは、それはそれでいろんなことがあった。何より守らなきゃいけない大切な命を迎えた(犬です)。きっかけが突然だったから何の覚悟もないのに飼い始めてしまった と言ってしまうと失礼な話だが、きっかけはそうだった。だから、いきなり来た命を守るために必死で、いい意味で推しのことから頭を離すことができていたのは良かったと思う。

6月末。突然戻ってきた推し。だけど知らないところでいつの間にか一人で頑張って戦っていて、本当は真っ先に称えなきゃいけなかったはずなのに、当時の自分は。3年間誰よりも現場に行き続けて誰よりも見ていたいって思い続けてたのに、エゴではあるんだがそんな自分が自分自身に見出していた存在意義が知らない間に崩れてしまっている感覚になって、どうしても受け入れることができなかった。バカかもしれないけど今もほんの少しこんな気持ちが ほんのちょっぴり残ってる。でもあの時は本当にそんな気持ちだった。

CHIPの配信で説明してくれた時 そんな説明にも全部は納得は出来なかった。けど、それでも応援したいっていう気持ちは変わらずあった、だから苦しかった。ファンなんて嫌だったら離れればいいのに、ここで離れたくないっていう気持ちになった自分が、自分の中で気持ちの乖離があって気持ち悪くて仕方が無かった。でも、これまでも塩見の活動の全部を最初から抵抗なく受け入れれていたわけではなかった(そもそも自分がアイドルオタクではないから)。そんな自分のことを理解してくれているのが伝わって、とりあえずやれるだけやってみよう、そんなことを考えていた。

ポコチャというものを全く理解していなかった僕は、アイドルの配信とライバーのそれとの違いに適応できず、またそのコメント欄に適応できず常に違和感を感じながら配信を見ていた。そして7月下旬に配信中には、今まで起きたことない雰囲気になってしまった。そもそも自分自身がその枠の中にい質感を感じていた僕はもうそこにはいれなかった。初めて推しから自分から離れた。あの時は強がっていたが、苦しかった。好きなのに、とかじゃなくて、なんで自分だけこんなに上手くいかないんだって。あんなに今まで走ってきたのに何で。あーライバーなんてやってなかったら あのまま続けてくれてたら そんな負の感情で溢れていた。去年のソロ活動から何とか良い雰囲気にしたいって思って仲良くしようと頑張ってきた同担も大っ嫌いになった。ハッシュタグはもちろんミュート。今でもそう。全部クソだと思ってた。4/2に勝手に思い描いてた未来なんてそこにはなかった。

この時誰も味方がいなかった。唯一僕の味方になってくれていたであろう一番の友達はちょうどこのタイミングで亡くなった。何かあればいつも僕の発信に反応してくれた彼。8時間くらい長電話してもう何の話か分からんくなるくらい語り明かした彼。なんでも僕の話を聞いてくれた彼。僕にだけの相談をしてくれてた彼。フロアで「もふさんの隣がいいから」ってわざわざSエリアチケットなのにAフロアに来たりしてた彼。僕が一番信頼していた彼。なんでよりによってこんなタイミングで。彼がいたらまた違った未来があったと思う。一緒に悪ふざけして場の雰囲気作ってやろう、とかやってたかもしれない。一人じゃ何もできない僕だったから、彼の存在は一番大きかった。そんな彼を失った。今でも毎日思う。君がいたら、って。友達として最後の姿を見に行けてよかった。その時の約束、僕の大好きなアーティストの歌詞のフレーズを拝借して「忘れるまで忘れない」今でもまだ鮮明にあの素敵な声を覚えている。だから大丈夫。大丈夫だけど、早く戻ってきな。

会えない友人、変わってしまった友人、変わってしまった推し、変わってしまった環境、そして変わってしまった自分。変わらないと思っていて思い描いていた未来が全く的外れだったことをずっと受け入れることができなくて常に苦しい気持ちに溢れてた。

全てが積み重なって、正直犬がいなかったら全てを投げ出していたと思う。守るべき命を持つことが何を意味するか、を知れたのは良かったかもしれないが、こんな形で知りたくなかった。

7/29にソロライブがあった。けど初めて自分のメンタル的な意味でライブ後に素直に「楽しかった」って思えなかった。ライブは楽しかったかもしれない。神宿時代のチームで作っていた演出ではなく自分で借りたライブハウスでの自前の演出は当時のそれとはクオリティにかなりの差があるのも事実だが、それでも自分でやり切ろうとしていた姿勢は素晴らしいと思った。だがそれらが僕のメンタルを楽しませてくれることは無かった。終わった後の特典会もライブ後のそれの会話ではなかった。

全てはライバーというものが理解できないからだと思った。演者が自分のやりたいことをやるのは当たり前。ファンはそれについていけるかどうか。僕はライバーを理解したかった。だから自分でライバーというものをやってみた。

今まで 今も変わらず少なからず思ってることではあるが、推しの理解者でありたい、そう思ってた。でもある意味それは思い上がりで、アイドルでもないのにアイドルのこと理解できているはずがない。勝手にそう思い込んで、でも少なからずとも自分なりに理解しようという気持ちを持ちながら走ってきた。ライバーであれば、立場、目指せるレベルは違えど、ある程度の経験は出来る。僕の全部を狂わせたライバーというものを理解したくて、理解すればこの状況が打開できるか、そう思ってやってみた。

本当は塩見と同じく誰にも明かさずにやり続けれればよかったんだろうけど、少しずつ身内が増えていった。でも少なくとも9月の1ヵ月はちゃんとライバーをやり切ったと思う。身内の支えも大きかったが、1ヵ月でC帯まで持っていったとき、確実に7月に理解できなかったあの時の塩見のことは理解は出来たと思う(オタクとしての気持ちはまた別の話だが)。そういう意味ではやってよかったと思う。ライバーとしての大変さ。そしてこれは意図していないことだが、自分が初めて「支えられる側」になったときに、支えてくれる人の存在がどれだけ大きく、どれだけ大切か。それがものすごく実感できた。よくタレントやアイドルが「応援してくれる皆さんの~」なんて発言、なんてありきたりなんだ、こんな定型句を、なんて思ってたが、あながち本音なんだろうな、って思うようになれたのは一つの大きな経験だったと思う。

人間関係の難しさ。人が僕に何を求めているのか。人は僕に何を期待してるのか。それからちょっとでも逸れたら無視してくれればいいのに批判される。迷惑かけてすらないのに。もう誰にも期待されたくない。人から求められることが幸せだと思っていたが、求められるのがいかに大変かわかった。今までは僕のことを求めてくれることに感謝してた、その気持ちは変わらないが、求めるだけじゃなくて大切にしてくれる人を大切にしたいと思った。これも演者側が思うことなんだろうな。

大好きなライバーが言ってた発言「良いライバーは良いリスナーであるはず。だから自分もリス活してる」これ、逆も当てはまる気がする。相手の気持ちがわかる人間こそ、っていう話なのかな。いいリスナーって何だろう。いいライバーって何だろう。ひいては、いいファンって何だろう。いろんな関係性を見ていく中でとても勉強になることが多い。

同時に、僕自身ライバーというものをすごく見下していた部分もあった。だけど、本気で取り組んでいるライバーの存在をしって、気が付いたらものすごく応援していた自分がいて、外から見ているだけだとわからん世界もあるもんだなと。どんな世界でも本気で、全力で取り組んでいる人はかっこいい。僕はやっぱりプロが好き。熱い人間が好き。今まで好きになったものって大体そう。そして間違いなく4/2まで追いかけ続けた推しはそれだった。

未だにソロ活動はプロとしての意地と誇りを感じる。ライブの満足度、高揚感は変わらず高い。ライバーとしてはこれからなのかなと思う。そもそもどこまで本気でライバーをやろうとしてるかなんてわからない。321アイドル部がいつまで続くのか、塩見がいつまで続けるのか。それがわからないから別にいいと思う。一般職でどんどん大変になる中、塩見自身も悩んでいると思うし、それはもう塩見しかどうしようもできないことだから見守ることしか出来ない。いつかまたポコチャに本気で向き合う姿が見れたら嬉しいなと思う。そしたら僕は多分 それに応えるようにしっかり応援すると思う。

失うものがこんなに多くなると思わなかった。大好きな仲間、大好きな人。大好きな空間。大好きな時間。逆に2022は本当に恵まれてたんだなと。思えば2022は、いや、2023の4/2までは一生懸命だったなと思う。自分から得ようと一生懸命だったなと思う。でも4/2以降の自分は、どこか受け身で。何かを待っているような感じがあったのかもしれない。僕自身、何かに納得感がないと前に進めない性格だから自分としては当然かもしれない。でも、ライバーをやってみようとしたり、ああいう姿勢を貫かないと幸せって得れないんだなって思った。

2023年がいい年だった!っていう人とは価値観が合わないと思っている。別にいいとか悪いじゃなく価値観は人それぞれなので。だけど自分だっていい年だった!って言って年末を迎えたい。幸せになりたい。2024年、もう僕は自分のことを一番大事にする。孤独でもいい、絶対に自分を守る。そして絶対幸せになる。その自分を大切にする中の一つに 君の存在があればいいなと心から願っています。

悔しいな、2023。こんなはずじゃなかったのにな。きれいごとで終わらせたくない素直な気持ち。

大好きな気持ち、応援する気持ちは変わりません。こんな自分から応援されることは迷惑だろう、輪にいるのは迷惑だろう、こんな気持ちで応援ってなんだ。そんなことを考え、嫌いになろうとすらした時期もあったけど、結局今こうやって離れられず、少しでも長く話したいと思う存在になっている。なんだかんだ言いながら自分の気持ちは変わらないんだろうなと。いつか変わるかもしれないけど、今はまだ。

大量の未練を残して、切り替えれるはずもないドロドロした感情を残して、今年の自分に報いれる2024年にしたい。今年の1年は絶対に無駄にしない。

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