カサブタ
修学旅行が終わってからどうにもならない感情に苛まれているのでnoteを書こうと思います。
修学旅行は、楽しかったです。
でも、どちらかというとそれは一生に一度の行事としての「修学旅行」として保証される最低限の楽しさはあった。に近くて、最高の仲間たちと最高の5日間を過ごせたかというとすぐには首を振れないような気がします。(これを読んでくれてる友だちがいたらごめん🙏🏻でもこのアカウント教えてるくらい仲良い友だちは最高の仲間やでい✨)
帰ってきてからの4日間のことと、これまでのことを話させてください。
水曜日、19時35分に北海道に帰ってきた。奈良に比べて寒いのは自明なので帰りの飛行機ではすでに上着を着ていた。伊丹から羽田を経由して帰る飛行機の道中、一度も寝れることはなかった。火曜の夜みんなが大富豪してる中爆睡してしまったのもそうだし、17年間心待ちにしていたことが一瞬にして終わってしまったという喪失感もそうだし、何もかもが俺に寝てしまって「記憶」を目に焼きつける時間を奪わないようにすることが全てだった。
飛行機の中では、ホントは泣きそうなのに、泣きそうじゃないフリをしながら、1秒も無駄にはできないと思って友だちとちょっかいをかけあって、あっという間に北海道に着いてからは誰よりも早く帰りのJRに乗って、新さっぽろで地下鉄に乗り換えて、修学旅行最後のラーメンも、修学旅行最後の風呂も味わうこともなく家に着いた。家に着くと意外と晩御飯を食べて家族と談笑する余裕はあったので、僕のいない間の名古屋の家族旅行の話を聞きながら僕の修学旅行の話を自慢した。久々に家族全員(もちろん父はいない)で笑顔でご飯を食べれて結構嬉しかった。気がつくと布団にいて寝そうだったので、荷解きもせず、風呂にも入らず寝た。
木曜日、目が覚めると9時37分だった。意外と他校のみんなが言っていたほど18時間も寝ないのだなと思った。何かしたいという衝動に駆られて、歯を磨いて、朝ごはんを食べて、服を着替えて、一目散に、チャリに乗ったらパンクしてたから結局家でごろごろしてたら寝てしまって、何もできなかった。
金曜日、土曜日、何もしたいと思えず、家でゴロゴロしながらネタを書いたり本を読んだり、いや、本当は本すら読もうとできなかった。それほどまでに修学旅行が終わったことは僕の心身に応えていた。でも金曜は好きな子が用事を開けてくれたので、
7月にできた水族館に初めて行った。向こうは1個前の彼氏と行ったことがあったらしいのだが、はじめていったみたいなリアクションをずっとしてくれていて、俺が楽しませられているなら幸せだなと思った。そんな幸せがずっと続けばいいなと思った。
4日間、失った時間について考えさせられる時間がたくさんあった。自炊してカレーを作ってる時、お湯が湧くまでの時間にYouTubeみてたら吹きこぼれてたり、お風呂に入ろうと思ってキャリーケースから部屋着を取り出すまでの間に3時間経っていたり、僕が発達障害なことを除いても明らかに無駄にしていた時間は多かったと思う。そんなゴロゴロしていて無駄にした今日、僕はシコって寝落ちした時に夢を見た。内容は猫になった僕が知らない小さい子どもの墓守をするという夢だ。僕はこの猫が墓の意味がまだ分かってないという設定なのをなぜかわかっていたし、夢ってそういうもんだってわかってても結構メタな夢だった。でも、夢から覚めた時、夢を見ていたということにはすぐには気づけず、飼い主を失ったような感覚がずっとあったのだ。
だんだん目が覚めて現実になれてくると、これは、
5日間の修学旅行で、17年間の思い出のカサブタが一気に剥がれたことなんだと気づいた。
小4の頃、父と2人で『君の名は。』を見に行った。本当はゆうたくんとか、こうきくんとか、クラスの友だちを誘って行きたかったのだが、その頃の僕は小学生だけで都市部に行くなんて危ないと思っていたので父を誘った。父と観た映画はめっちゃつまらなかった。父は映画がはじまってすぐ寝るし、僕は口噛み酒でムラムラするし、ほとんどその時に見た内容を覚えていない。唯一覚えているのはタキ君が山の上で口噛み酒を飲んでtripするシーンくらいで、それもムラムラしたからだと思う。そうに決まっている。映画を見たあとは半券でロッテリアで無料でからあげっとを食べてクレーンゲームをして、温泉に入って、と、父と遊ぶ普通の休日という感じだった。本当はもっと「あのシーンは実はここの伏線になっていて…」とか「三葉はあのときタキくんのこと好きになったんだ」とかを幼いながらに考察したかったことを克明におぼている。
去年『すずめのとじまり』をクラスの人と見に行った時に考察できそうだったが、思ったより面白くなく、あとなんかみんな泣くシーンないのに泣いてて冷めてなんもしなかったのを思い出した。
結局『君の名は。』を観ても考察はできなかったのだろうか。いや、でも考察ができなかったとして、クラスの友だちと見に行った思い出は絶対にテレビで流れる度に思い出すし、その思い出が宝物だったことも思い出すはずだろう。
みなさんがたまに、この時代に自分が高校生だったらこういうムーブしてたなとか考えるみたいに、自分も『君の名は。』が公開された時高校生だったらな。と考えることがある。今の00世代と俺が同い年だったらなってことか。
韻マンと同い年ってことかぁ。
ウーン。
まあ、その頃のことはあんまり覚えてないけど、多分好きな子と『君の名は。』を見たあと今はないアピアのお店で今はないカフェで同級生にバレないように、今はないメニューを頼んでいたと思う。
『君の名は。』好きな子と見たかったなあ。
そして、その思い出は宝物で、いずれは色褪せてしまうから大事なものなんだって思いたかったなあ。サブスクの発展した今、TSUTAYAが締まりまくっているが、好きなことTSUTAYAに行く時間過ごしてみたかったなあ。
こうして僕が思い出を綴っている間も、あなたが僕の思い出をなぞっている間も、時間が渦を巻いて消えていっている。
でも、このnoteを読んだという思い出がいずれあなたにとって宝物のような時間となるのであればそれは幸せ〜🎶(3月9日)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?