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一人の在日コリアン言論人の軌跡と思索の変遷:新しい普遍性へ~「徐京植:回想と対話」(高文研:早尾貴紀・李杏理・戸邊秀明編)


2022年3月刊

これは昨年12月に72歳で急逝した徐京植氏が長年教えて来た東京経済大学を定年退官するにあたり、同僚研究者たちが編んだもの。氏の最終講義・シンポジウム・座談会・対談など豊富な内容で、徐氏以外の論者による「徐京植評論」も様々含めている。
1951年生まれと私より10歳ほど上の徐氏だが、私は1990代後半~2000年代初頭にかけての主に歴史認識問題、特に従軍慰安婦問題に関する論考・論争を読んで以降は、最近の韓国ハンギョレ新聞に連載していたコラムを読むくらいで、全く氏の熱心な読者ではなかったし、正直その言葉に感銘を受けたことも影響を受けたこともない。そうした私がこの著作を読んだのは、編者の一人である早尾貴紀氏(最近氏からパレスチナ問題について多くを学んでいる)が紹介していたのと、「アレクシエーヴィチとの対話」がよかったから。
これを読んで、徐勝&俊植という二人の兄が軍事独裁政権下の韓国で71年に「北のスパイ」容疑で逮捕され、その救援活動に青春期が覆われて来た歴史の重みと、そうした中での「自己へ問いかけ」からディアスポラ・辺境人としての実存的アイデンティティ定立に至る過程~40歳頃からの大学非常勤講師としての活動から東京経済大学で定職を得るまでの葛藤の日々まで、これまで知らなかった氏の人生について多少なりとも理解できたのは良かった。
また、第三世界との連帯・協働の重要性や、エドワード・サイードとの対話からのパレスチナなど今なお虐げられた人々への共感、日本の真のデモクラシー確立の妨げになっているのが「天皇制と(私の言い方で言えば『内なる』)植民地主義」であるという指摘も至極もっともである。
左様に氏の厳しい視点と鋭く深い言葉には頷くところも多いのだが、こと「従軍慰安婦問題など歴史認識問題を巡る(主に日本での)リベラル・左派内の対立構造」については話が違ってくる。私はこの著作を読む前に、哲学者の高橋哲哉氏との対談集「責任について:日本を問う20年の対話」もざっくり読んだのだが、その日本の植民地支配責任を問う基本姿勢に異存はないが、そこでの「アジア女性基金」当時の和田春樹氏・鶴見俊輔氏らへの批判・非難を読んで少々ゲンナリしたので敢えて何も書かなかった。そしてこの著作に収められた2021年のシンポジウムでも同じ話が繰り返される。こうした「原理原則主義者」のある種の「頑なさ・偏狭さ」を私は非常に残念に思うし、それは歴史認識共有の裾野を狭めることはあっても決して拡げることにはならない。
思うに、1995年に設立された「アジア女性基金」当時、和田春樹氏や鶴見俊輔氏も「公的謝罪と国家賠償」という原理原則が「正しい」ことは百も承知の上で、それでも日本の政治状況の限界性など諸条件を鑑みた上で「満点ではなくとも今出来る限りの措置」としてあの基金を推進または賛同したはずで、原理原則に「固執」することが真の問題解決に繋がるとは限らない。当時の運動圏側の対応次第では、「その土台の上に立って」さらなる歴史認識共有の発展、元慰安婦たちへの望ましい補償の継続発展もあり得ただろう。この話はこれまでも多くの研究者・評論家などの間で延々と平行線を辿るままに不毛の対立構造を続けてきて今に至るので、これ以上言及はしないが、徐京植氏の師匠筋にあたる政治学者:藤田省三氏も鶴見俊輔氏の主張を支持していたことを氏はどう考えるんだろうか?もっともこの国の所謂リベラル派の「生ぬるさ・中途半端さ」は私も日々痛感しているところなので、心情的には氏の主張が理解できる側面もある。そう、私もアンビヴァレントに引き裂かれているのだ。そして、この著作の序文で早尾氏が引用している当時の言葉を借りれば、「糾弾モード」の言説は決して多くの支持共感は得られない。もっとも最近のハンギョレ新聞コラムなど読んでいると、氏の言葉も少し丸くなってきたかな?と思うこともあったが、それはおそらく年齢的円熟と、大学で若い学生たちに「届く言葉」を熟考するなかで練られてきたものなのだろう。
最期に強く思ったのが、それでも徐京植氏は「非常に恵まれた在日コリアンインテリの一人」であること。あの年代の在日コリアンの中では特にそうである。これは氏自身も繰り返し語っているが、二人の兄が政治犯として韓国で捕まり、その救援活動を通じて加藤周一・日高六郎・岩波書店の安江良介など日本有数の知識人に知己を得てその援助を受けながら自らも言論人として成長できたことは僥倖というしかない。そして、別段美術・芸術の専門家でもないのに東京経済大学で「芸術論」講義を長年担当できたのも、懐の深い大学に迎えられたおかげだろう。そうしたある種特異な境遇の中でその言論活動を展開してきた氏の業績について、もう少し美術批評関連を読んでみてもいいかも知れない。取り敢えず今はそんなところである。

<付記1>上記に関連して思うことだが、現在の日本の歴史学初め人文社会科学系の学会・研究会などの動向を見ていると、歴史認識問題を巡る「原理原則論者たち」と「必ずしもそうではない見識の者たち(あくまでリベラル派)」とは見事に分断され相互交流もあまりないように私には見える。嘆かわしいことである。ここにもある厳然たる「党派性」。人間とはつくづく哀れな生き物だ。

<付記2>この著作と高橋哲哉氏との共著「責任について:日本を問う20年の対話」で、内田樹氏も歴史認識問題を巡ってさかんに批判・非難されているが、そこで高橋氏への批判として内田氏が言ったという「『正しい』のだが『正しすぎる』」という言葉~私には内田氏が言わんとしたことがとてもよく分かるんだが、徐京植氏と高橋哲哉氏にはそうではない。こういう「どこまでも堂々巡りの認知のギャップ」~どうすればいいんだろう?・・・思うに、「基本的な価値観・認識の多くを共有できるのに、ほんの少しのベクトルの方向性の違いが許せない、そこを厳しく糾弾する姿勢」というのは、右派より左派に顕著な現象だろう。「そういうとこや!君らのアカンとこは‼」と私など長年に亘って考えているが、こと専門分野については非常に優秀なはずの学問研究者たちの集団でもこうした「言論内ゲバ現象」は同じである。もうちょっと包括的視点に立って建設的に歩み寄れんか?と素人の私は常々苦々しく思っている。一方、内田樹氏に多くを学んできた私も、「天皇主義者:内田樹」は決して支持しないし与しない。そしてまさに「そういうところ」が日本のリベラル・左派の限界性だとも考えるので、そこは徐京植氏と認識を共有する。要はそういうことだ。


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