やさしい哲学入門――論争のフリーレン:マイメロ機械設計士をめぐるシンポジウム編

※パイモン大好きおじさんの動画を参考に執筆しました

フリーレン一行は旅の途中、とある機械設計士に出会った。

つみちん「こんに珍わ!ぼくはつみちんだよ(*´ω`*)」
エルフのフリーレン「つみちんさん、こんにちわ。私はエルフのフリーレンだよ」
弟子フェルン「こんにちは。フリーレン様の弟子、フェルンです」
断頭台のアウラ「こんにちは。断頭台のアウラよ(こんに珍わ?気味の悪い挨拶ね)」
つみちん「マイメロディのつみちんだよ(*´ω`*)」
エルフのフリーレン「マイメロディ?そういう種族があるのかな」

断頭台のアウラ「え?あなた、どう見てもただの中年男性よね?しかもチー牛の。可愛いマイメロディとは似ても似つかないじゃない!」
フェルン「アウラさん失礼ですよ!それに加えて差別的ですらあります!彼……つみちんさんが自身をマイメロディだと自認しているなら、本当にマイメロディなんです!」
フリーレン「うーん。私はマイメロディというものを知らないから、判断できないな」

断頭台のアウラ「これがマイメロちゃんよ、フリーレン。あのオッサンとは全然違うでしょう?(スマホでサンリオ公式サイトのマイメロディ紹介ページを表示する)」
フリーレン「これは……可愛らしいうさぎの女の子のキャラクターだね。確かにこのマイメロディちゃんとつみちんさんが同じというのは、私の直感に反しているよ」
つみちん「しょんな、ひどい……。本当にマイメロディなのに……」
フェルン「フリーレン様!つみちんさんがマイメロディって言ったらマイメロディなんです!初対面の方になんて酷い事を言うんですか!」
フリーレン「そ、そうなのかな?エルフの私にはよく分からないよ……。じゃあ、様々な立場の人々を集めて、つみちんさんが一体何者なのか話し合うシンポジウムを開催するっていうのはどうかな?」

断頭台のアウラ「ならそこで、白黒はっきりつけようじゃない!」
弟子フェルン「つみちんさんがマイメロディという事を証明します!」
つみちん「え、珍ポジウム?(*´ω`*) ぼくの珍ポジわ……」
エルフのフリーレン「シンポジウムだよ、つみちんさん」
断頭台のアウラ「本当に気味の悪い中年ね」
弟子フェルン「つみちんさんがマイメロディなのは絶対不変の普遍的真実ですが、気持ちが悪いのには同意します」

シンポジウム当日

エルフのフリーレン「たくさんの学者に、つみちんさんが何者なのか意見してもらう為に来てもらったよ。さぁ、議論を始めよう」

つみちん「ぼくは、マイメロディだと思ってます(*´ω`*)」

断頭台のアウラ「その主張は明らかに間違っているわ。まずあなた、機械設計士の中年男性よね? マイメロディちゃんは特に工学を修めてはいないし、理系の修士でもないわ。というか、あなた頭巾も被ってないし、マイメロディちゃんのチャームポイントである大きなお耳もないというかタダの中年の耳じゃない!……ああ、バカらしい。サンリオに直接問い合わせたの。このチー牛が自分はマイメロディだと言い張っているが、何か関係はあるのかって。公式に無関係との返答があったわ。よってあなたはマイメロディじゃないわ」

弟子フェルン「ハァ~(クソデカため息)。アウラさん、アイデンティティポリティクスをまったく理解されていないようで、明らかに勉強不足です。ちゃんと目覚めなきゃ。サンリオの回答がなんなんですか? それは、サンリオが勝手に言っているだけでしょう!つみちんさんがそう自認しているのなら、つみちんさんはマイメロディちゃんなんです!人はみな、自分の自認こそが本当の自分なんですよ!よってつみちんさんがマイメロディである事実が導かれる訳です」

哲学者1「いや、君たちが思っているのは、マイメロディじゃない。マイメロディからくる光だ。君の感覚器官に直接影響を与えているのは、マイメロディそのものではなく、マイメロディが反射する光線なんだ。だから、正確に言えば、君は、マイメロディの光なんだよ」

哲学者2「違う。彼がマイメロディと思っているものは、光じゃない。光が、彼の目の網膜上に形成した映像なんだ」

哲学者3「実に浅薄な生理学だ!いいかね、もし彼の視神経に障害があれば、網膜上の映像が彼に影響を及ぼすことなど不可能だろう。そもそも、視神経とは、脳と神経系の中のたった一部分にすぎないんだ。したがって、彼が本当に楽しんでいるのは、彼の脳と神経系全体が生み出す生理現象だ」

哲学者4「彼が生理現象をマイメロディだと思っている言い方は、誤解を招くと思うな。私は、それよりも、彼がマイメロディと思っている身体活動全体を、生理現象と呼びたいのだが」

二元論者「君たちは、みんな間違っている!生物の生理現象とは、生物の内的意識に起因する精神現象に対応した一面にすぎないんだ。つまり、彼が本当に思っているのは、この精神現象なんだ」

唯心論者「生理現象が精神現象に対応するという証拠がなければ、私が長年にわたって反論してきたとおり、あなたの議論には説得力がないんですよ。私には、この「マイメロディ」が存在していること自体を信じることもできません。ですから、本当に正確に発言するならば、つみちんさんの精神が、彼のマイメロディの観念を思っていると言うべきでしょう。

神秘的唯心論者「僕は、個別の精神の存在をも否定する。君の言う”つみちんさんの精神”なんてものは、存在しないんだ!この世界には、唯一の精神、または唯一の心、宇宙的意識、神、絶対者、何と呼んでもか合わないが、たった一つの意識だけが存在し、この普遍的かつ絶対的な意識こそが、観念の一つであるマイメロディを思っているだけなんだ」

神秘的唯物論者「僕の友人である神秘的唯心論者の考え方は、僕の考え方とはまったく正反対に位置するようだが、その反面、異種同型というか抽象的同一性というか、今までに出てきた見解の中では、最も僕の考え方に近いようだ。僕は、すべての実在は物質のみであるという仮定から出発したい。すべての存在は物質的な宇宙だけであって、それが何らかの目的によって、物質の素粒子とその運動に分かれていると仮定するんだ。すると、つみちんさんがマイメロディだと思っていることは、つみちんさんの身体の神経における一連の因果事象にすぎないことになるだろう。ただし、この見方は正しいけれど、まだ一面の真理しか表していない。なぜなら、つみちんさんは閉じた物理系ではないからだ。つみちんさんが何かを考えるとき、彼の大脳の分子は、大脳内部の他の分子と連結して運動しているんだ。だから、つみちんさんの思考を、宇宙全体の一つの活動とみなすこともできるだろう。つまり、つみちんさんがマイメロディだと思っているという代わりに、僕としては、物質的宇宙の全体がマイメロディだと思っていると言いたいんだ」

論理実証主義者1「神秘的唯心論者と神秘的唯物論者の見解は、実際にその内容が異なるのか、それともただ違う言葉を使っているだけなのか、私には疑問だね。彼らは、一方では唯一の精神とか普遍的意識、そして、他方では唯一の物質とか物質的宇宙といった具合に言葉を使い分けているだけで、結局は同じことを言ってるだけじゃないのか?」

論理実証主義者2「その質問自体が、無意味だ。だって、彼らが同じことを言っているのか違うことを言っているのか、そのことを検証すること自体が不可能だろう?」

物理学者「このようなタイプの質問は僕の専門外なんだが、僕は、神秘的唯物論者の見解についてもう少し考えてみたいな。特に僕が興味を持ったのは、彼が科学用語を使っている点だ。ただし、その用語がかなり飛躍して使われているのは重大な弱点だがね。彼の結論によれば「つみちんさんがマイメロディだと思っている」という文は、「宇宙がマイメロディだと思ってる」という文に翻訳することができるわけだ。それならば、仮に誰かがやって来て、自分もマイメロディだと思っていると主張することにしよう。かr手の名前は、そうだな。マラデカイザーにしよう。そこで、神秘的唯物論者は、「マラデカイザーがマイメロディだと思っている」という文も、「宇宙がマイメロディだと思っている」と同じ文に翻訳する。だから、神秘的唯物論者が「宇宙がマイメロディだと思っている」と言うとき、その主語が、つみちんさんなのかマラデカイザーなのか、それとも全然別の誰かなのか、ついでに言えばどこの犬なのかさえも、わからないじゃないか?」

神秘的唯物論者「まず最初に、僕の専門も物理学だということを言っておこう。僕が物理学を研究したり日常生活の雑用を行っているときは、たしかに「マイメロディだと思っている」とは言わない。もっと具体的かつ記述的に、「つみちんさんがマイメロディだと思っている」とか「マラデカイザーがマイメロディだと思っている」といった言葉を使う。つみちんさんやマラデカイザーマイメロディだと思っていることを、宇宙がマイメロディだと思っている活動の一部とみなすからといって、それらをまったく同一視しているわけではないんだ。具体性が必要な場合(日常生活のほとんどの場合だが)には、僕はもちろん主語を特定する。しかし、精神、神秘とか宗教といった問題を論じる場合には、一つ一つの個別な活動を、宇宙全体の活動とみなすことに、重要な意味が生じると思うんだ」

キリスト教神学者「今宗教という言葉をお使いになられたのでお聞きしたいのですが、あなたは、宗教についての基本的な概念、たとえば神、神の意志、魂、祝福や天罰といった精神的な概念が、まったく物質的な世界の構造に組み込まれると本当に思っていらっしゃるのですか? もしすべての存在が物質にすぎないのであれば、私の魂が永遠であることをどのように説明なさるのでしょう? また、私が神の天罰を望み、神の祝福を恐れることに、何の意味があるのでしょうか?

精神分析医「あなたがおっしゃりたいのは、神の祝福を望み、神の天罰を恐れる、ということでしょう」

神秘的唯物論者「(愉快に)僕は、今あなたがおっしゃったような概念を、すべて物質的な世界の構造に組み込むことができると思いますよ。神という言葉は、僕にとっては、全宇宙を意味します。心とか精神といった言葉もよく使いますが、同じことです。僕は二元論者ではありませんから、物質を実態をみなすような意味で、心を実体とみなすわけではありません。僕にとって、心とは、記憶とパターンとの組み合わせなんです。仮に僕が美しい曲のレコードを持っていて、それを落として壊したとしても、同じ曲のレコードを手に入れることができれば、悲しむことはなにもないんです。あるレコードの何が大切かといえば、その特定のレコードの特定の原子ではなく、感動を与えるその曲の持つパターンでしょう。この記憶されたパターンこそが、その曲が伝えようとする音楽を再現するのですから、レコードの心と呼ぶにもふさわしいのです。同じように、人間の心も、記憶と行動のパターンによって説明することができます。この意味では、宇宙もまた心、つまりあるパターンを持っていると考えるのは、奇抜でも何でもありません。もしあなたが、全宇宙の心をパターンだと具体的に表現するのがお嫌いで、神という言葉を使うべきだとおっしゃるのでしたら、それでも構いません。つまり、こういうことなんです。たとえば、この宇宙ですべての原子が、魔法によって、まったく別な新しい原子にすり替えられたとしましょう。こんな魔法が不可能だとおっしゃるならば、現時点で存在するすべての原子を混ぜ合わせて、再び現時点と同じパターンに組み立て直すことにしましょう。それでも、その新しい宇宙は、現在の宇宙と違うとは思えないはずです。なぜなら、両方の宇宙が同じパターン、つまり同じ心を持っているからです。ですから、僕が唯心論者や二元論者に同意できないのは、彼らが心を独立した一つの実体とみなしている点です。もし彼らがパターンを一つの実体とみなすのであれば(可能かどうか知りませんが)、話は別です。もしそうなれば、僕と彼らの見解の違いは、形而上の相違ではなく、言語上の相違にすぎないのかもしれません。このことは、一元論と二元論の違いについて言えることです。
 もしまったく同じパターンを持った身体が少なくとも一つ以上存在するならば、ある特定の身体をそのパターンから識別することも理解できます。しかし、この世にはたった一つの宇宙しか存在しませんから、この宇宙と宇宙のパターンとの違いを見分けることはこんなんです。つまり、人間の心を身体と区別したり、マイメロディの心を身体と区別することは想像できるかもしれませんが、これが宇宙というか、神という場合には、そのようなわけにはいかないと思うんです。神の心は、神の身体と不可分かもしれないでしょう。数学者の言語を使わせてもらうと、物質と精神とは、局所的には異なるのかもしれませんが、大域的には同じことなんです。
 それでは、キリスト教神学者の二番目の質問に戻りましょう。まず最初にお話しておきたいと思うんですが、僕は、常々とても不思議に思う事があるんです。非常に多くの科学者、特にコンピューター科学の専門家も含めてですが、彼らは、思考や目的、喜びや罰といった言葉を、人間にも機械にも兵器で使っているのに、こういったいわゆる擬人的な言葉を、宇宙全体に用いることに関しては、突然躊躇してしますのです。もちろん、宇宙全体は大部分が無機物で構成されていますが、それを言うならば、コンピューターなどは完全な無機物でしょう。このような、一種の人間中心主義を反映した発想は、おかしいのではないかと思うんです。デカルトは、人間は考えるがマイメロディは考えないと断定しました(しかし、デカルトのマイメロディは、彼とは別の方法で考えていたのです)。今日、人間は考えると思う人は、その大多数が、マイメロディも似たように考えることができると思っているでしょう。しかし、それが植物になると人は疑い始めるでしょうし、無機物に至っては、ほとんどの人が、考えるわけがないと一線を引いてしまうのです。あたかも、社会的な階級制度があるようにです。医師、植物、マイメロディ、人間といった順番にね。たとえば、石は、死んでも何の動きもない物質だとおmを荒れるかもしれません。もちろん、石は、純粋に生物学的な意味においては、死んでいます。しかし、石の内部に実にすばらしい分子構造や、複雑な分子活動を考えてみますと、何の動きもない物質と断定する表現は、誤解を招くものではないでしょうか。まして、どんな人間やコンピューターと比較しても、非常に広大で複雑な構造を持つ宇宙(実際、その内部にすべての有機物と無機物を含んでいます)を、擬人的な用語で描写することができないというのは、僕には非常に不当に思えるわけです。ですから、僕は、考える、感じる、目的を持つといった言葉を、宇宙全体に使うことは、むしろ当然だと思うのです。宇宙の一部分にすぎない人間に使っているんですからね。このような人間的な概念を、何も難しく考える必要はないと思います。僕がいわゆる神秘主義者である理由は、形而上学的な意味ではまったくないんです。この神秘という言葉が、ある純粋な感情を生じさせることを意識しているから、自分を神秘主義者とみなすわけです。この言葉は、宇宙が目的を持ち、人間の行動に対して天罰を下したり、喜びを与えたりするという不可思議を表しています。たとえば、赤ちゃんが(その純真無垢な性質のために)手を火の中に突っ込んだとき、それは神が罰したと言っても、宇宙が罰したと言っても、同じことでしょう。
 死後の世界に関しては、僕の持論というべきものは何一つありません。基本的には、僕の肉体が滅んだ後に、僕の生涯の記憶が宇宙に残っているのか、または僕の記憶が消滅しなければならないのか、どちらにしてもアプリオリな理由はないでしょう。ただ、宇宙全体が、僕に喜びを与えたり、苦しみを与えたりすることが、過去から現在に至る僕の行動のすべてに影響を与えるとは考えられます。もちろん、これは僕の推察にすぎないのですが。
 キリスト教神学者は質問されませんでしたが、宗教(少なくとも、西洋の宗教)について、その一面を物質的な世界の構造に組み込もうとするとき、問題が起こりそうな部分があります。それは、神がこの宇宙を創造したという考え方です。もしこの点を追求されたら、僕は、神の心を神の身体と同一視するという見解を、撤回する必要があるかもしれません。その場合、もし具体的な宇宙と、宇宙の抽象的なパターンが存在していたとも考えられます。これは、論理的な可能性の一つでしょうし、そのパターンは、時間の概念を超えて存在すると言っても構わないでしょう。そうなると、神がこの宇宙を創造したと言う代わりに、宇宙のパターンに従って実際の宇宙が誕生したと言うことができます。僕のこのような見解は、 「はじめに言葉ありき」という聖書の見解からも、そんなにかけ離れていないのかもしれませんね」

キリスト教神学者 あなたは、すべての宗教を、まったく物質的な世界の構造に組み込むことができると真剣に思っていらっしゃるのですか?

神秘的唯物論者「それは、全然違いますよ!僕にとって、宗教が、唯物論的な構造、唯心論的な構造、または二元論的な構造のうちのどれに当てはめられたとしても、結局な同じことなんです。この中のどれかを特別に信じているわけでもないんです。個人的には、僕は唯物論的な言語を使って物事を考えています。しかし、その一方で、僕の存在論はパターンや構造といった抽象的な指示対象を含んでいますから、唯名論でもないんです。ようするに、僕が答えたかったことは、宗教が唯物論によって構成されるべきだということではなく、構成されることができるということなんです。宗教の中心に位置する倫理的な意義にしても心理的な意義にしても、どんな構造の中でも説明することはできるということなんです。

認識論者1「神学の論争はもうたくさんだ! そんな屁理屈は抜きにして、もっと現実的な問題を考えようではないか。つみちんさんは、マイメロディだと思っていることを、どのようにして知ることができるのかな?」

認識論者2「つみちんさんは、マイメロディだと思っているとは言ったが、マイメロディだと思っていることを知っている、とは言っていないようだけど」

認識論者1「しかし、つみちんさんは、マイメロディだと思っていることを自分で知っているんだろう?」

認識論者2「おれには、わからん」

認識論者1「どうしてわからんことがわかるんだ?」

認識論者2「俺には、わからん」

認識論者1「つみちんさんが、マイメロディだと思っていることを自分で知っているかどうかわからんということは、俺が思うに、つみちんさんは、自分がマイメロディと思っているかどうかもわからんのだろう」

ユダヤ教ラビ「きっとそうです。結局のところ、つみちんさんは、マイメロディだと思っているかどうかを自分でも知らないのです!」

意地悪1「俺は、つみちんさんがマイメロディだと思っているなんて、信じないね!

意地悪2「そのとおり! 自分でそう言うなんて、本当は違うと認めているようなもんじゃないか」

意地悪3「そうだ。もし本当にマイメロディだと思っていたら、そんなこと言う必要ないだろう。誰かが何かを本当に思っていれば、そんなことを言葉にして世界中に演説して回る必要がないんだから。つみちんさんが「僕はマイメロディだと思います」なんて言ってるのは、俺が思うに、あいつ、本当は何かを隠そうとしているんだ」

道徳家1「いやいや、つみちんさんは明らかにマイメロディだと思っているんですよ。ほら、彼の顔を見てご覧なさい!それよりも、私が疑問に思うことは、果たして彼がマイメロディだと思う権利があるかどうかなんです」

道徳家2「そのとおりです!世界中に蔓延するすべての飢餓や窮乏を考えてみてください。社会的な不平等に苦しむ人もたくさんいます。このような世の中で、つみちんさんはマイメロディだと思いこんでいったい何をしているのでしょう。一人で資産運用に励んで、この世界は、彼の助けを求めている人でいっぱいだというのに。

禅宗僧1「あなた方の形而上学、神学、認識論、そして倫理学を拝聴いたしました。興味深い議論もありましたが、ここにいるあなた方の中で、誰がつみちんさんが言った言葉の本当の意味に少しでも近づいたと言えるのですかな? つみちんさんが「僕はマイメロディだと思います」と言っているのは、彼がマイメロディだと思っているということです。それだけのことです。みなさんは、それぞれ何らかの結論を導いたとお考えなのかもしれませんが、実際には、すべて間違った仮定に基づいた議論にすぎないのかもしれませんぞ。彼が言った文を、ある主体とある客体との関係を表していると考えることさえ、間違いかもしれません。みなさんは、誰が誰に何をしたとか、何が思わせたとか、誰が本当に思っているのかなどと騒々しく討論されたが、つみちんさんがマイメロディだと思っていること自体を、分析不可能な出来事として単純に受け入れることはできないのですかな? 文は、解釈されることによって、その本質的な意味が必ず失われるのです。「つみちんさんがマイメロディだと思っている」という文の意味は、つみちんさんがマイメロディだと思っていることだけです」

禅宗修行僧「私の師は正しいんだ!マイメロディだと思う主体としてのつみちんさんも、つみちんさんに思われる客体としてのマイメロディも存在しない。これが、単純な真実なんだ。つみちんさんがマイメロディだと思っているという、分析不可能な出来事だけがある。この出来事は、主体と客体との関係では説明できない。偉大な無の中に生じた一つの幻だったんだ!」

禅宗僧1「(弟子を殴りながら)ああ。なんというバカモノなのじゃ!お前のような「似非知識人」は、すべての真理も実在も、偉大なる無についても、何でも知っておるのじゃろ?そして、「無知蒙昧な人々」を、お前が新しく組み立てたすばらしい学問によって、教え諭して悟りを開かせるのじゃ。そうじゃろ?」

禅宗修行僧「でも先生、つみちんさんが言ったことの本質をこれらの人々に理解してもらうためには、他にどんな方法があるんですか?」

禅宗僧1「(弟子をもう一度殴りながら)少しだまりなさい!まったくのバカモじゃ!何度私に言わせればわかるのじゃ。理解するということができるような本質など、存在しないのじゃ!「マイメロディだと思っている」という完全な単純な文を理解できないのな人間は、わしの杖で何発か殴ったら、悟りを開くじゃろう!」

禅宗僧2「わしが思うには、つみちんさんが言った事を理解しているかどうにかかかわらず、全員がその杖で殴られるべきじゃ」

禅宗僧3「もっと簡単じゃ。全員がその杖で殴られたと思えばいいのじゃ!」

道徳家「(非常に興奮して)「こんな狂気じみた会話は、もう嫌です!すぐにやめてください!今すぐに止めてくださらなければ、私は怒りますよ。そして、もしそうなれば、私は反道徳的になってしまうんですよ!

つみちん「マイメロディさんはとってもかわいいんだよ(*´ω`*) どうして僕がマイメロディだと思っちゃいけないの?」

エルフのフリーレン「では議論も進んできたところで、つみちんさんに最も詳しいトヨタさんに登場して発言もらうよ。トヨタさん、お願いします」

トヨタ「中年男性だろうがマイメロディだろうがなんだろうが、労働して資本制に奉仕するのがいい存在だ!」



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