オリンピックと文化プログラムについて①


オリンピック憲章と「オリンピックアジェンダ2020」では、オリンピック開催にあたりスポーツのみならず、教育を含めた『文化オリンピアード(英語版)(Cultural Olympiad)』の実施を義務付けています。


【文化プログラムって??】
例えば、日本には古典芸能から漫画・アニメ、さらには地域に根ざした民俗芸能、お祭り、和食まで、様々な文化があります。
こうした文化を、オリンピックにあわせて国内外に発信する。
そして、こうしたプログラムを通して、
オリンピック憲章の言葉を借りると
「スポーツを文化と教育と融合させることで、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造する」。
それがオリンピックにおける、文化プログラムです。


【はじまりは?】
オリンピックにおける文化プログラムは、1912年のストックホルムオリンピックから1948年のロンドンオリンピックまで合計7回の大会で正式競技として実施された芸術競技が原点となります。

【芸術競技?】
かつて近代オリンピックで採用されていたオリンピック競技の一つで。
種目は絵画、彫刻、文学、建築、音楽があり、スポーツを題材にした芸術作品を制作し採点により順位を競うものでした。

採用理由として。
古代オリンピックは神を讃えるという信仰的要素が強いものであり、その点で、スポーツは強く美しい肉体で神を表現することから生まれたものであり、芸術表現も同じく神を表現する一手段でありました。
また、近代オリンピックにおいてもその理念として「肉体と精神の向上の場」が掲げられており、クーベルタン男爵の希望もあり芸術競技が採用されました。

ちなみに、クーベルタン自身も「ホーロット&エッシェンバッハ」という筆名を使い、芸術競技文学部門に参加したと言われており、
1912年 第5回ストックホルム大会にてフランス語で「オド・オ・スポール(Ode au Sport、日本語で『スポーツ賛歌』)」という作品を出品しました。
そして、優勝。
金メダルを獲得しました。
ただし、これが本当にクーベルタン本人の作品なのかは確証がなく実際は今も不明のままとなっています。

芸術競技は、1948年 ロンドンオリンピックまで、合計7回、正式競技として実施され
1952年ヘルシンキオリンピック以降は、競技ではなく文化プログラムとしての芸術展示が行われるようになりました。

ちなみに、なぜ?正式競技から外れたのか?
それは、芸術作品について客観的な基準をもって採点を行うことが困難であり、しばしば恣意的な判定があったのではないかとの批判が生じたことが理由とされています。
ただし、このような批判は現在においてもフィギュアスケート、アーティスティックスイミング等の芸術的要素が重視される競技においても同様であり、近代オリンピックが「世界的な祭典」からより純粋にトップアスリートの競技の場として変貌していくなかでそぎ落とされたものともいえるそうです。


【その後は?】
1964年 東京大会では、実はそれまでは芸術作品はすべてスポーツモチーフだったのを、「日本最高の芸術作品を展示する」というコンセプトで行われました。
そして、1992年のバルセロナでは、ソウル大会終了直後からさらに多様な文化プログラムが行われるようになり、2012年のロンドン大会ではかつてない規模でさまざまなものが行われました。


[参照]
2020年東京オリンピック・パラリンピックの文化プログラム
吉本光宏氏レクチャー「オリンピックと文化プログラムについて」レポート


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