近代オリンピック② 発展期

近代オリンピック②

発展期

第6 〜 11回
オリンピック競技大会

1916年 : ベルリン (ドイツ)
1920年 : アントワープ (ベルギー)
1924年 : パリ (フランス)
1928年 : アムステルダム (オランダ)
1932年 : ロサンゼルス (アメリカ)
1936年 : ベルリン (ドイツ)

*参加国・地域数
× - 29 - 44 - 46 - 37 - 49

*参加人数 - 競技/種目数

ベルリン - ×
アントワープ - 2,607 - 23/152
パリ - 2,972 - 19/126
アムステルダム - 2,694 - 16/119
ロサンゼルス - 1,328 - 16/128
ベルリン - 4,066 - 21/129

第一次世界大戦で1916年のベルリン大会は開催中止となった。
が、1920年のアントワープ大会から再開され、初めてオリンピック旗が会場で披露された。
この時期は、選手村・マイクロフォン(1924年)、冬季大会の開催(1924年)、16日前後の開催期間(1928年)、聖火リレー(1936年)など、現在の大会の基盤となる施策が採用された時期である。

 1925年にプラハで開かれたIOC総会では、1914年から検討を進めてきた『オリンピック憲章』が定められました。
また、30年間IOC会長の重責を担ってきたクーベルタン会長が勇退を表明。オリンピックは新しい時代の幕開けを迎えたのです。
そして、長らくクーベルタンらの反対で見送られてきた女性の陸上競技への参加が初めて認められる。
またコカ・コーラが史上初の大会スポンサーに。

・1932年 ロサンゼルス大会
参加人数が約半分になっている件について
1929年10月の世界恐慌の影響で、選手及び役員の派遣を見送った国が続出。
参加人数は、前回大会の約半分にまで減り、失業者達がスタジアムに向けてデモを行った事もあった。
当時の日本選手団は軍服姿で行進しており時代を反映した大会となっている。 初めて正式に選手村が設置される(使用は男子のみ認められた。)。

この時期からオリンピックは万博の添え物という扱いから国家の国力を比べる目安にとして国際社会から認知されるようになり「国を挙げてのメダル争い」が萌芽した。
(この様子は1924年のパリ大会を描いたイギリス映画『炎のランナー』に詳しい。)
開催国のほうもオリンピックを国際社会に国力を誇示する一大イベントだと認識するようになりオリンピックが盛大になり、それを国策に使おうとする指導者が現れました。
1936年のベルリン大会では、当時のナチス政権は巧みに国威発揚に利用した。聖火リレーやオリンピック記録映画の制作などの劇的な演出もこのとき始まった。しかしその後、第二次世界大戦でオリンピックは2度も流会してしまうこととなった。

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