近代オリンピック⑤ 商業主義とプロ化

近代オリンピック⑤

商業主義とプロ化

第23 〜 29回
オリンピック競技大会

1984年 : ロサンゼルス (アメリカ)
1988年 : ソウル (韓国)
1992年 : バルセロナ (スペイン)
1996年 : アトランタ (アメリカ)
2000年 : シドニー (オーストラリア)
2004年 : アテネ (ギリシャ)
2008年 : 北京 (中国)

*参加国・地域数
140 - 159 - 169 - 197 -199 - 201 - 204
(前回1980年モスクワ大会 : 81)

*参加人数 - 競技/種目数

(モスクワ : 5,217 - 21/203
ロサンゼルス : 6,829 - 21/221
ソウル : 8,391 - 23/237
バルセロナ : 9,356 - 25/257
アトランタ : 10,320 - 26/271
シドニー : 10,651 - 28/300
アテネ : 10,684 - 28/301
北京 : 11,193 - 28/302

1984年のロサンゼルス大会は画期的な大会で、大会組織委員長に就任したピーター・ユベロスの指揮のもとオリンピックをショービジネス化し、結果として2億1500万ドルの黒字を計上した。
スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成したのである。 その後「オリンピックは儲かる」との認識が広まり立候補都市が激増し、各国のオリンピック委員会とスポーツ業界の競技レベル・政治力・経済力などが問われる総力戦の様相を呈するようになり、誘致運動だけですら途方もない金銭が投入されるようになってゆく。

その流れはプロ選手の参加を促し、1992年のバルセロナ大会ではバスケットボール種目でアメリカのNBA所属の選手による「ドリームチーム」が結成され、大きな話題となった。

1996年、アトランタオリンピック大会は、近代オリンピック100周年記念大会。
4年に一度、同じ年に開催されてきた夏季オリンピックと冬季オリンピックの開催年を分けることを決定。
爆破事件(大会7日目の27日午前1時20分頃(現地時間)に、オリンピック公園の屋外コンサート会場で爆破事件が発生し、2名が死亡、111名が負傷し、ミュンヘンオリンピック事件以来の大惨事となった。)

1989年12月のマルタ会談を以て冷戦が終結してからオリンピックの政治的な色合いは薄くなり、ステート・アマもほとんどが姿を消したがその反面ドーピングの問題や過度の招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂など、オリンピックに内外で関与する人物・組織の倫理面にまつわる問題が度々表面化するようになった。

北京大会(+約10億元)やロンドン大会(+約3000万ポンド)は、黒字となり商業的には成功した。

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