近代オリンピック③ 拡大期

近代オリンピック③

拡大期

第12 〜 18回
オリンピック競技大会

(1940年 : 東京 → ヘルシンキ (フィンランド)
(1944年 : ロンドン (イギリス))

1948年 : ロンドン (イギリス)
1952年 : ヘルシンキ (フィンランド)
1956年 : メルボルン (オーストラリア)
1960年 : ローマ (イタリア)
1964年 : 東京 (日本)

*参加国・地域数
× - × - 59 - 69 - 67 - 83 - 93

*参加人数 - 競技/種目

東京→ヘルシンキ : ×
ロンドン : ×
ロンドン : 4,064 - 19/151
ヘルシンキ : 5,429 - 18/149
メルボルン : 3,178 - 17/145
ローマ : 5,348 - 18/150
東京 : 5,133 - 20/163

第二次世界大戦でオリンピックは、2度も流会してしまうこととなった。

第二次世界大戦が終結し、1948年ロンドンでオリンピックが再開されたが、敗戦国の日本とドイツは招待されなかった。
また1948年のロンドン大会から芸術部門が廃止され、スポーツ部門のみとなった。これによりオリンピックは「古代ギリシャの権威を身にまとった世界屈指の国際的なスポーツ競技大会」としての性格を確立することになった。
1952年のヘルシンキ大会よりソビエト連邦(以下ソ連)が初参加し、オリンピックは名実と共に「世界の大会」とよばれ、同時に東西冷戦を象徴する場となりアメリカとソ連のメダル争いは話題となった。
だが、2つの中国問題(中国と台湾)、ドイツ問題(東西ドイツ)など新たな問題点も浮かび上がってきた。

そして航空機の発達により欧米のみに限られていたオリンピック開催地を世界に広める結果となり、初めての南半球での開催となる1956年メルボルン大会(オーストラリア)。そして、初めてのアジアでの開催となる1964年東京大会(日本)と、ヨーロッパと北米以外の新たな地域からの開催地が仲間入りした。
また、これは有色人種国家にて初開催となる。
そして、東京オリンピックは、ベルリンオリンピックで初お目見えしたオリンピックのテレビ中継技術が格段に向上したことを印象づける大会となった。
衛星放送技術を始め、カラー写真・小型のコンパクトカメラの開発などもその特徴である。
そして、初めてコンピュータによるリアルタイムでの記録管理が行なわれた。


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