近代オリンピック④ 冬の時代

近代オリンピック④

冬の時代

第19 〜 22回
オリンピック競技大会

1968年 : メキシコシティ (メキシコ)
1972年 : ミュンヘン (西ドイツ)
1976年 : モントリオール (カナダ)
1980年 : モスクワ (ソビエト連邦)

*参加国・地域数
112 - 121 - 92 - 81

*参加人数 - 競技/種目数

メキシコシティ : 5,498 - 18/172
ミュンヘン : 7,170 - 21/195
モントリオール : 6,028 - 21/195
モスクワ : 5,217 - 21/203

オリンピックが世界的大イベントに成長するに従って、政治に左右されるようになる。
すると、1968年のメキシコシティ大会では黒人差別を訴える場と化し、1972年のミュンヘン大会ではアラブのゲリラによるイスラエル選手に対するテロ事件まで起きた(ミュンヘンオリンピック事件)。

ミュンヘンオリンピック事件について : パレスチナのゲリラが、選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃した。
イスラエル選手団のレスリングコーチとウエイトリフティングの選手を殺害した後、9人を人質にした。
救出は失敗し、銃撃戦の末、人質9人全員とゲリラ5人、警官1人が死亡する大惨事となった。)。

1976年のモントリオール大会になると、ニュージーランドのラグビーチームの南アフリカ遠征に反対してアフリカの諸国22ヶ国がボイコットを行った。
そして、1980年のモスクワ大会ではソ連のアフガニスタン侵攻に反発したアメリカ・西ドイツ・日本などの西側諸国が相次いでボイコットを行った。
1984年ロサンゼルス大会では東ヨーロッパ諸国が報復ボイコットを行ない、参加したのはルーマニアだけだった。

オリンピックが巨大化するに従って財政負担の増大が大きな問題となり、1976年の夏季大会では大幅な赤字を出し、その後夏季・冬季とも立候補都市が1〜2都市だけという状態が続いた。


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