1906年 アテネオリンピック

1906年 アテネオリンピック。

この大会の後、4年ごとに開催された大会だけをオリンピックと呼ぶことになり、現在のオリンピックの公式の歴史には登場しない。
1度しか開催されなかったため、特別大会或いは中間大会とも呼ばれることもある。

当時、近代オリンピック提唱者のクーベルタン男爵は、オリンピックは世界各地で順に開催されるべきだと考えていた。
ところが、ギリシャ王のゲオルギオス1世は、オリンピックは恒久的にギリシャで開催されるべきだと考えていた。

そこで、通常のオリンピックは4年ごとに世界各地で、4年ごとの大会の中間の年にはギリシャで中間大会を開催することになった。1906年の大会は、その最初の中間大会である。

(1904年セントルイス -
1906年 アテネ
- 1908年 ロンドン)

*参加国・地域数
13 - (20) - 22

*参加人数 - 競技/種目数
689 - 16/89
903 - 13/78
2,035 - 22/110

選手目線でみると?
地理的にみると?
運営内抗争でみると?

その後、ギリシャの政情不安と共に、提唱者のゲオルギオス1世が暗殺され、計画は立ち消えとなり、中間大会は二度と開催されなかった。

1950年、国際オリンピック委員会は、この大会を公式の記録から削除した。
これ以降、この大会は歴史の表舞台からは抹消される事になる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?