なぜ私たちは「肉体」になってしまったのか?

唯物論をベースとする「科学」信仰、肉体生を保持延命することを大きな目的とした「拝金主義」信仰が大きな要因となっているが、それらも「人間型ゲシュタルト」という言わば集合意識から生成される。

なぜこの集合意識的認識体系が今の人類に強固に浸透してしまったといえば、神(生命)を外に置いてしまった一神教宗教の影響が色濃いが、シンプルに言えば、他人からどう見られているかという他者の思考を重視して確立されたのがそれぞれ各人が自分と信じている「自我」であり、それは言ってみれば他者の内面世界、それも憶測されたものを自己の内面に取り込んでしまうことにより本来とは全く別の自分、ここではエゴという到底自分自身とは思えない内面を中心とした肉体存在としての「人間としての自分」が誕生してしまっていたのである。

ここから脱出するには、その他者からの視線、判断から離脱すればいいのだが、さてどうすればいいのか?
それは「与えたものが与えられる」の法則の通り、自分が他者に行っている「他者の思考の憶測とその断定、他者のジャッジメント」を止めることによってのみ実現される。キリストも言った「人を裁くことなかれ、しからば汝らも裁かれざらん」の真意である。

具体的なジャッジをしないテクニックなどに、今後触れていきたいと思う。

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