あるVtuberの引退を見送れなかった話

僕の雑記です。

8/10に引退したバーチャルYouTuberさんのお話です。

僕はその人と特別親しいという訳ではありませんでした。
依頼でたまたま同じワールドにいただけという、なんなら顔見知りより下くらい。

8/2にバーチャルYouTuberを引退するとVRchatのイベントで一緒になった時に聞き、しかも「引退コメントを動画で送ってほしい」とお願いされました。

この時はバーチャルYouTuberの引退なんか今更珍しいものではないし、どうせ動画送ったら"なにもしない人がなにかしてる!"って言葉狩りに遭うに決まってるんだよなぁ…と若干乗り気ではなかったです。

バーチャルYouTuberを引退すると言えど今はこうしてVRchatで会えているし、動画は送らなくていいなーと話半分に聞いてましたが
「VRCアカウントもTwitterも、バーチャル関係のものは全部消すから早めに送ってね」と言われ状況は一変。頭の中は完全にパニックでした。

イベント終了後
すぐにその人のTwitterを確認すると、1ヶ月までには既に引退の告知がされていたのでメンヘラ的なアレでアカウントを消す訳ではなく
「ノリで始めた活動だからノリで辞める」と明言されていました。

…いや、分からん。
バーチャルYouTuberだけならまだ分かる。
だけどVRCもTwitterも消すのは分からん。

今までサヨナラを言わずにどこかへ消えてしまう人をたくさん見てきた。バーチャルYouTuberもそうだし、VRCのフレンドもそう。Twitterで相互フォローはしてるけど頻繁にDMしたりするわけでもない。
インターネットなんてそんなもんだし、曖昧に繋がった交友関係だからこそ気が楽ってもんだ。

でも今回は違う。
しっかりサヨナラを言って消える。
VRCにはもう二度とログインしない。
Twitterも更新されない。

インターネットで"その人"を認識できる記号が一切無くなるという事実がひたすらに恐ろしかった。

インターネットでしか生きられない僕にとって、
インターネットでその人を認識できないということはリアル世界でいう"死"と同義だ。

人間は2回死ぬ。
1回目は生命活動が停止した時。
そして2回目は忘れ去られた時。

僕は死ぬ事より忘れ去られる事のほうが何千倍も怖いし、僕に関係してる人は誰1人として忘れたくない。
僕は生に執着するのではなく、記憶に執着している。

だから、
僕が忘れない為に引退コメント動画を撮ることにした。

※動画を文字起こししたものです。
長いので一部省略。


みんな勝手にいなくなるバーチャル世界で、しっかりお別れを言う〇〇さんは真面目で良い人です。

〇〇さんを支えてくれたスタッフの皆さん、友人の皆さん、家族、親族の皆さん、ありがとうございました。
そして、〇〇さんのファンの皆さん。
僕はあなた達にはありがとうを言いません。
なぜなら、僕も〇〇さんのファンだからです。
このありがとうは、〇〇さんが言ってください。

以上です。

これから死んでゆく人に「お疲れ様」とか「向こうでも頑張ってください」は、上から目線でなんか違うと思って関係者各位に「ありがとう」と言うしかなかった。

8/10になり、他の人はどんなメッセージを送ったのか気になったので引退配信を途中から観ました。

色んな人が「お疲れ様でした」とか「リアル世界でも頑張ってください」で締めくくってる動画を観ながらコメント欄が盛り上がってる様子がなんかムカついてきてすぐに配信観るのをやめました。

自分自身の存在を貸し出すサービスを行う事で"誰かの存在を認識できる"大切さを説いてきた僕にとって"存在を消去し認識できなくする"という行為はやはり死そのものであり、恐怖の対象なのだ。

これから死ぬ人を笑顔で見送るなんてそんな余裕を僕は持ち合わせていません。

その人が僕の引退コメント動画を観てどんな感想を述べたのか、最後にどんな言葉で僕らに別れを告げ引退していったのか知る術はない。

あの日の引退配信は僕からみれば葬式でこのnoteは弔辞だ。
あの人には届かない文を書き
あの人のいない世界を無限に漂う。

今はまだその人の事を記憶しているけど
これから何年何十年と生きていたらきっと忘れたという事すら忘れてしまって、完全に消えちゃうんだ。

嫌だな。怖いな。死にたくないな。

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