見出し画像

なにもしない山から見た集団の変化。下巻

※前回のnote「なにもしない山から見た集団の変化。上巻」を読んでからの閲覧をオススメします。※

どうも、VRCなにもしない人ことdateyakiyaです。

「歴史は繰り返す」という名言をご存じでしょうか。
ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉です。

過去に起こったことは同じようにしてその後の時代にも繰り返し起こる。


VRSNSの四季なんて言ってるけど絶対4つ以上ある。当時は四季のほうが収まりいいな~って思ってただけです。

歴史は繰り返される。戦争も、天災も、経済も。
僕らは過去を知る事で今を知る事ができる。そして未来を予測する。
歴史とは過去の出来事ではない。今の積み重ねだ。
今、この瞬間が歴史になる。

未来の僕らのために今を記録しておく。


では本編。


前回のnoteの軽いおさらい。
force概念が生まれた→イベント概念が生まれ革命が起こった。以上。

イベント革命によって役職を獲得し『自分は誰かの役に立っている』という欲を定期的に満たせるようになりました。素晴らしいですね。

SNSとの相性も良かった。
force概念は「こんなforce立ち上げました!」で終わっていたが
イベント概念は「本日開催です!」「イベントの様子です!」「次回をお楽しみに!」と何度もタイムラインに流れることが出来た。

Twitterでイベントの開催時期を把握しそのイベントめがけてVRchatにログインする構図が完成し、やがてイベント概念の主戦場はSNSになった。

SNS(主にTwitter)とVRchatは切っても切り離せない関係なので、それだけで一本noteが書けてしまう。ここで深く掘り下げてしまうとエライことになるのでTwitterの断片的な要素しか取り出さない事にする。
かなり偏見にまみれた文章が続くが、SNSとはそれくらい多面的で扱いが難しい。

SNS×VRchatという悪魔合体で何が起こったか簡略化しその後解説する。

1.イベント運営陣はSNSでどれだけ注目されるかを重要視し始める

2.RT、いいね数を伸ばすため”VRchat有名人”を呼ぶ

3.イベント乱立バズりレース開幕

4.多くの人間が疲弊する


1の解説
force概念時代に加入団員数という数字で競い合っていた名残りがSNSに移っただけ。VRchat内でどれだけforce名が広まっているか→SNSでどれだけバズったかに変わりました。
「Twitterで見たことあります!」が承認欲求をバッチバチに刺激してくる。
中毒性、依存性がとても強いので一度病みつきになると抜け出せない。

2の解説
詳しく言う必要ないかも。有名人(インフルエンサー)を呼んでTwitterで「○○集会楽しかった!」とツイートしてもらえばOK。
有名人(レアキャラ)に会うため人が殺到するのでイベントも盛り上がるし、有名人とパイプ繋がるし、イベントが盛り上がってTwitterで拡散されれば、なんとイベント運営陣もVRchat有名人の仲間入りを果たせる…
まさにVRChatシンデレラストーリー!
自分が何者なのか誇示するための記号を欲しがってた人間たちはガラスの靴を履きクラウチングスタートの態勢をとる!!!

3の解説
ガラスの靴での全力スプリント!さあ誰が飛び出すのか!
おーっと!リー〇ャ隊長の漫画のネタにされた!スピードが増していく!
こちらは登録者〇万人のVtuber来店!早い!早いぞ!
ねこ〇す氏降臨!のらきゃ〇とちゃん降臨!とんでもない速度だぁ!!

SNS承認欲求+VRchat自己顕示欲を練って固めた快楽のクスリを求め、シンデレラたちはゴールのないレースを走り続けている。多分今も少なからずいるんじゃないかな。

4の解説
ゴールのないレースでみんな力尽きた。
イベント運営陣は自分たちがイベントに縛られている事に気づいた。
連日連夜遅くまで開催される大量の”お祭り”は需要と供給が逆転し、参加者は疲弊しきった。

シンデレラストーリーだった道は死の行進へと変わった。

はい。断片的で偏見まみれですね。
SNSの事とVRchatの事を同時に1つのnoteに納める事は僕は出来なかったので誰か代わりに書いてほしい。ここではあくまでイベント概念のおおまかな流れを書いた。ここもこれ以上深堀りするとさらにもう一冊noteが書けるので割愛。
でも語る事は出来るので聞きたい人がいたら依頼してね。


そんなわけでイベント概念は死の行進に成れ果てた。
もちろん全てのイベントがゆっくり死に向かっているわけではない。
早い段階でガラスの靴を脱ぎ棄てレースから脱走し、ひたむきにコツコツとバーチャルという地にしっかり根を下ろしている陣営もある。

イベント概念で精神を消耗している奴は覚悟も信念も持たない根無し草だけで、昔ほどブルーオーシャンでは無いにしても自らイベントを起こす価値は今でも十分にあると思う。

やりたいと思った事をひたむきにやってほしい。


そして現在。
イベント概念で大きくなりすぎた組織はバズの空気がプシュっと抜けてどんどん小さくなっている。
フレンドオンリーやインバイトオンリー等、参加者人数を絞ったイベントも一般的になってきた。取り回しやすく管理しやすい人数で過ごすミニマムなVRchatが広まりつつある。

学校帰りに友達とコンビニに行くような感覚がVRchatに芽生えている。

ME ROOMに人が集まるのも合点がいく。
force概念とイベント概念の時代は「非日常を日常に」するいわばSFアニメ。
今は日常系アニメのようなゆったり過ごすのが好まれる時代なんだろう。
(完全に余談だが「アイドルが流行った年の次はバンドが流行る」という音楽業界の言い伝えがあったりする)

大きくなりすぎた欲求がしぼんで収まりが良くなったという見方もあるし、publicに人来ない問題(publicにいる面子の固定化)の再発だともとれる。

やはり歴史は繰り返すのか。
日常系アニメからSFアニメに切り替わるタイミングがまた来るのだろうか。

どっちが優れているとかは無い。どっちも素晴らしい。
ただ、またバーチャル世界で同じような消耗をする人間が現れてしまうのは悲しい事だと思う。バーチャル世界が好きじゃなくなる人を増やさないようこれからやってくる人たちはどんどん積みあがった死体を乗り越えてほしい。

このnoteが古文書として発掘されるのを夢見て。


VRCなにもしない人
dateyakiya

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?