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VRCと座禅、いけるのでは?②〜自慢話おじさんにならない為に〜


こんばんわ、VRCなにもしない人ことdateyakiyaです。

コロナが一向に落ち着かないまま夏を迎えそうですね。8月には東京行ってお蕎麦屋さん行ってオフ会とかしたいなーと考えてたんですが、もう少し様子を見ようと思います。


さて、前回のnoteからだいぶ期間が空いてしまったんですが今回も禅のお話です。
前回は「禅ってこういうものだよ」「こういう思考を持つといいよ」みたいなフワッとした内容でしたが、今回は「世の中の人はここで悩んでるけど、禅の観点から見るとこう解釈できるぞ」「この部分を大事にしてね」など、"教え"っぽさを重視して書きました。

それでは本編。




「一石二鳥」ということわざがあります。
一つの石を投げて二羽の鳥を得る。
一つの行為から複数の利益を得ることを指します。

大体の人は一つの活動に二重、三重と考えを巡らせて効率化を図ってると思います。
「〇〇をやるなら、ついでに□□も獲得できるように…」雑に言えば
「イベントを開いて、Twitterでバズって有名人入りして、リー〇ャ隊長に来てもらって漫画にしてもらって…」

あえてオーバーに表現してますが、〇〇という活動とは直接関係のない□□を得ようとする。まさに一石二鳥を狙った思考です。

もちろん、イベントを開く人全員がそうではない事は重々承知です。
純粋にイベントを参加者に楽しんでもらってVRchatをもっと好きになってほしいという一心で企画運営されてる方ばかりだと思います。
イベント起こすにしても、準備期間や行動に起こす前によく考えたりした上でその結果になる事もあるでしょう。

ただ、ここで言いたいのは「最初からなにかを得ようとしてないか?」ということ。
上記のような何かを得ようとする心を禅の世界では『思考の痕跡』と呼び、「私は〇〇というすごい事をしたんだぞ!」という思考に執着すると自己中心的な気持ちが働くとされてます。

自慢話をしたがるおじさんっていますよね。
あと、聞いてもないのに過去の栄光や苦労話を無限に話す奴とか。
自慢話が面白くない理由って語られる話が常に一方的で本当に正しい事を言ってるのか分からないからなんですが、
その『思考の痕跡』に執着しつづけた終着点が自慢話ジジイです。怖いですね〜。

自分が成し遂げた事を忘れろ。とは言いませんが、何度も引っ張り出して見せびらかすものではない。

じゃあ『思考の痕跡』を消し去るにはどうすれば良いか。

完全に燃え上がり、灰しか残さない事です。

「燃え尽きたぜ…真っ白にな…」
あしたのジョーの有名な台詞。
主人公のジョーがパンチドランカー(認知症に似た障害を抱えてしまう脳症)だと分かっていながらも世界王者に挑み、試合後に呟いた一言。

ジョーは青春を捧げたボクシングに未練を残したくなかった。試合に行って欲しくないとヒロインが泣きながら訴えるも、全身全霊をかけ文字通り最期まで燃え上がりたいというシンプルかつ強靭な想いで世界王者と拳を交えます。

『思考の痕跡』を消し去るための答えは
あしたのジョーのように心と体全てで一つの事に集中するだけです。

この試合は判定負けでジョーは敗れます。
ラストはリング端にある椅子にもたれながらグローブを脱いでヒロインに渡し、ほんの少しだけ笑ったままゆっくり瞳を閉じます。

ジョーは"勝ちたくて"試合に臨んだ訳ではあひません。
ボクシングという自身を構成するものに
"熱くなりたかった"から戦ったんです。

自分の全てを出し切った。
だからグローブを脱ぐ事ができた。

最期まで燃え上がり、これっぽっちの未練も残らなかったのが嬉しかった。
だから少しだけ笑った。

僕はそう解釈しています。


思考の痕跡に執着しない。
自慢話ジジイにならない。
そのためにはジョーのように一つの行動に心と体全てで集中し、全力を出し切る。

「ようは根性論じゃねーか!」と言われそうですけど、大抵のことはシンプルなので難しく考えるだけ無駄。

難しく考えようとするから混乱して訳わかんない事なるし、自分が思ってる以上に自分ってバカだから余計に何言ってるか分かんなくなる。

わざわざ難しく考える必要なんてないよ。


ということで、今日の修行は終わりです。
お疲れ様でした。

まだまだ禅シリーズは続きますのでお付き合いいただければと思います。


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それでは。

VRCなにもしない人
dateyakiya


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