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なにもしない山から見た集団の変化。 上巻

どうも、VRCなにもしない人ことdateyakiyaです。

紅白歌合戦の出場歌手が発表され、いよいよ2020年も終わるなぁとしんみりしています。一体何回VR元年を繰り返せばいいだろうか。

さて今回は、なにもしないを通して見ていたみんなの行動心理と欲求についての考察。
僕がひっそり暮らしている”なにもしない山”の葉が黄色や紅に色づいていくようにみんなの様子を眺めるのは風情を感じる。それを書く。
僕は学者でもなければ博士でもない。ただ感じた事を感じたように書く。

あまりにも文章が長くなってしまいnoteの域を超えてしまったので複数回に分けます。読みにくくなってしまうのは本当に申し訳ない。

それでも僕がnoteを書く理由はとにかく色んな人間と話がしたいから。
ソクラテスの問答法をバーチャル世界で行いたい。
生き様を哲学にしたい。学習Ⅲを止めない。


では本編↓


なにもしない山から見た変化として「コミュニティのコンパクト化」について書きたい。
force→イベント運営→チーム…といった感じで組織としての規模の大きさが動きやすい形態に推移していき、その変化は人々の欲求や取り巻いていた問題と連動するように起こっている。

まず一番最初に生まれた組織、forceについて。

2年程前、毎日色んなforceが設立されてメンバー募集していた記憶ある。
ファンタジー集会所で「○○forceメンバー募集!」と看板を持ったプレイヤーが大学のサークル勧誘かよってくらいいた。

日本人と接触できる機会が少なく貴重なフレンドもプライベートに籠りっきりでVRchatにログインするモチベーションを保つのが難しかった当時、forceは共通の趣味を持った日本人に出会えるキッカケの1つになっていた。
周りを見た感じ、こんな心理が働いていたと思う。

・問題…日本人に会えない&フレンドに会えない
・欲求…他人と交流したい
・施策…forceを設立し共通の趣味嗜好の人を集めよう

時が流れ自分以外の人間と交流できるようになるとまた新たな欲求が生まれる。難しい言葉をあえて使うと自己顕示欲が湧いて出た。

流通しているアバターが少なかったあの時は自分という個性を発信するのはかなり困難だった時代、『○○force所属』という肩書きはいつのまにか個性を周りに誇示し自己顕示欲を満たすための便利ツールへと変化していった。

周りと違うものを持っているから自己顕示欲が満たされる。
○○force所属という肩書き持ちが増えレアリティが下がってきた頃
「自分で設立した方が早いし誰も名乗ってないからレアリティ高いぞ。」force所属ではなくforce代表というオンリーワンの激レア肩書きに気づく人達がチラホラ。ハイ、force設立ボーナスタイム勃発

なんだかバーチャルyoutuberの歴史に酷似している気がした。『世界初!○○系Vtuber』が爆増した時のように、まだ誰も持っていない記号を我先にと取り合うスピード命の時代がありました。

断言しておくが自己顕示欲=悪しきものではない。
生物の進化には欲望が必要。だから欲望を抑えるのは本当に難しい。欲望が生まれるのは生物として当然でどう向き合っていくかが大事。


~集団の変化② イベント概念が齎した革命~


ご存じのとおりVRchatは目的がないゲームだ。どれだけ長くプレイしようがフレンドがたくさんいようがネームプレートの枠が紫色になる以外に分かりやすい指標が(執筆時2020年11月18日現在)存在しない。要するにログインするモチベーションを維持しにくい。
この頃のVRchatの雰囲気や浮上していた問題をまとめるとこんな感じ

・空気感…日本人がある程度いる事は分かったが会話もマーダーも飽きた
・問題1…プライベート籠りきり問題はまだ残ってる
・問題2…フレンドもpublicに来てほしいけど危険な目に遭わせたくない

forceの存在を知るにはpublicワールドに来る必要がある。ただ今以上に無法地帯の印象が強かったpublicに足を踏み込むのは相当の勇気が必要だった。
さらに「自分のアバターを勝手にコピーされる」通称アバターハック事件が発生し、public=危険という認識をさらに強めてしまった。

諸々の問題を解決すべく生まれたイベント概念。

最初期は団員内外の交流やforceの風通しを良くし、組織を拡大させたりする目的などで企画されていた。イベントというより交流会の面が強かったと思う。

人は人が多いところに集まる習性があるので次第に交流会も大きくなっていき「フレンドプライベートに籠りきり問題」を解決するための有効な施策として単発ではなく定期的にイベントが開くようになった。

”定期的”というのがキモで、必ずこの日この時間に日本人がいるという安定感を植えた功績は計り知れない。いやホント凄い事よ。

イベントの概念がもたらした功績はもう一つある。
それはプレイヤーに役職を付与したことだ。

VRchatをライトノベルのソードアートオンライン(以下SAO)に例える人が居たが、SAOとVRchatの決定的な違いは「役職の有無」だと思う。
SAOでは剣士以外に鍛冶屋として装備を製作したりbarのマスターになる事も出来た。
パーティを組み策を練ってクエストに挑む。夜はbarを貸し切って仲間と酒を飲む…
この様子をしっかり描いたのがSAOの魅力の1つだと僕は思う。
みんなで協力してドラゴンを倒すのも酒を飲むのもどちらもかけがえのない素敵な思い出だ。

force概念で曖昧に集まった集団に「イベント運営」という役職を付与し、VRchatにログインする明確な目的を与えたイベント概念はもはや革命と呼べる

革命はこれだけじゃ収まらない。
人が多いところに人が集まると先ほど書いたが、母数が多いとどうしてもあまり好まれないユーザーが紛れ込んでくる。
「フレンドプライベート籠りすぎ問題」を解決していたら「迷惑ユーザーの取り扱い方」という新しい問題が浮上したが、イベント運営は”運営スタッフ”という役職の名の元に堂々とキックできた。

フレンドプライベート籠りすぎ問題には「視界ジャックがトラウマで人が多いところに行きたくない」など人的要因もあった。
イベント運営サイドがそういった危険因子を排除し、より快適な交流をユーザーに提供できるよう振舞えたのもデカイ。

余談だがメンタルヘルスの本をいろいろと読んでいた時
次のようなことが人間には必需であると書いてあった。

・コミュニティに所属し貢献すること
・心身ともに安心できる環境を作ること

これらを同時に叶えることに成功したイベント概念はやはり革命だと思う。


長くなったので、イベント革命後に生まれた様々な欲求や問題等については別noteに纏めます。
あくまで僕が見て感じただけで、これがVRchat全史ではない。

VRchatユーザー1人ひとりの歴史があり、見えた景色があり、感じた空気がある。なにかしらの形で遺しておいて後で読んだら面白いだろうという僕の好奇心だけでこのnoteを書いた。色んな人間の色んな景色を見たい。だからみんなも文章書こう!



VRCなにもしない人 dateyakiya

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