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日記:スペースさんまと、芋虫僕

 VRchatという空間でいわゆる創作をされている方と話す機会が多くて、その度に『今から頑張ればこの人みたいとまでは言わないけど何かあるんじゃないか』とやる気がムラっと湧くことがある。実は二か月前くらいからラップに挑戦していて、歌詞を書き録音し完成までもうちょい!っていう隠し玉があるんだけどてれかすさんのスペースさんまを聴いて「僕が音楽でなにかを表現するには色んなものが足りなすぎる」と悔しくなってしばらくしまっておくことにした。スペースさんまは創作応援ソングのハズなんだけどね。

 人間椅子の「芋虫」って曲があるんですよ。歌詞の一部を書きます。

俺は芋虫 貪るだけの 
俺は芋虫 肥えてゆくだけの
闇に蠢き 闇に悶える 
何も得られず 何も叶わず 
何も……何も……

 『何かに挑戦することに年齢は関係ない。必要なのは勇気だけ』と自己啓発ツイートが30いいねを稼いでいる。確かに年齢は関係ない。未知の世界に飛び込むのも僕は怖くない。ただこれまでの歴史を振り返った時に浮き上がる空虚さを直視できる勇気がない。履歴書からは見えない空白の努力を今からもっと積み重ねていくのが怖い。
 11/6で僕は25歳になる。「若いっすね!」とも「もっと年上だと思ってました!」とも言われにくい絶妙なポジションに立つ。年の割には旨味がなく、かといって珪藻土マットの如く技術や知識を吸収できる地頭も持っていない25歳が誕生してしまうんですよ。恐ろしいね。
 インターネットで過ごしてると同じくらいの年齢でとんでもない事を成し遂げていたり時間と脳みそをフルに使って人生を全うしていたり、光り輝いて見える人達がわんさかいる。その人たちの光量が多ければ多いほど僕の影は黒く、深く、長くなっていった。現実世界に目を向けてみれば眩しすぎて失明する。失明した。

 暗い部屋でモゾモゾと這いずる僕は人間椅子の芋虫だった。今からでも遅くないと言い聞かせながら手を動かし足りない脳みそで考えて結局さんまに食べられてしまった。あーあ。

 昆虫に感情があるのかは分からないけど、この文章を書いている満24歳の芋虫には残念な事に感情があってプライドがあって夢があるらしい。スペースさんまを聴いて悔しいと感じたのだから。
 そんなもの早く捨てちゃえばいいのにまだ手元にあるって事はきっと”まだ僕には何か特別なものがあるんだ”という、パンパンに膨れ上がった自意識にしがみついているんだろう。

 25歳の芋虫になった記念にTwitterアカウントを消してみたら何か変わったりするのかな。どうせ出来ないんだろうけどね。


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