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スライムは何より出てて(掌編小説)


 20ZZ年、地球人類はベル公害に苦しんでいた。

 始まりは、映像を再現する素材の有機ELだった。元々イカなどの体色変化機能を模倣した技術で、生体に近い映像再現素材を作り出していた。それにバイオテクノロジーによる、2020年にカエルの細胞を組み合わせて開発されたロボット「ゼノボット」の延長で、細胞によるELを開発した。イカやタコの保護色を模倣「し続ける」ロボットを生み出したのだ。
 その生体(バイオ)エレクトロルミネセンス、BEL(ベル)はロボットとして、予想を大きく外れたプログラムを手に入れた。細胞による人工知能で彼らは、「自分達の種が滅びたくない」という行動体系を手に入れた。
 大量生産される工場から、アメーバのような運動により逃げ出す個体が現れ、苔やヘドロなどの有機物を吸収して自己複製し、保護色の精度を上げるように発展していき、非常に薄く広がり物体の表面の色や質感を再現した膜となり、地上、水中のベル自身に思い付く限りの場所に進出して物体の表面に付着し始めた。偽装するだけに排除しにくい。
 人間が悪意やいたずらでそうプログラムしたわけではない。ただ人間から組み込まれたプログラムが「恐怖」として形成され、その高い模倣、複製、移動の機能を発展させ続けたに過ぎない。
 それはマイクロプラスチックにも似た公害となった。分解不能な化合物の塊が、生命として自己複製し続けた。
 海中では水を模した無色透明でわずかに屈折するクラゲやビニールのような状態になり、海中動物が誤飲して被害をもたらす。
 地上ではわずかな水たまりのような膜になり分かりにくく、点検を怠れば水辺の窓ガラスなどに付着して増殖し、無色透明な景色の一部になる。
 子供が「スライムだ」と塊を拾うこともある。何故か子供は気付きやすいらしい。
 しかし、彼ら、ベル達に「悪意」と言えるプログラムは確認されない。故意に動物に誤飲させたり、土壌を意図的に汚染したりする行動は現時点ではない。たとえ人間に駆除されても、有害物質で人間に「反撃」するほどではなく、むしろ逃げるか隠れる方を選ぶ。
 イカ以外にタコもベルの参考にされたのだが、タコは眼自体に一般的に色覚がないにもかかわらず、体が色ごと周りの景色を模倣出来る。それは皮膚自体の色素を利用している可能性がある。
 ベルは表面の細胞が自己判断して、模倣機能を止められないだけかもしれない。
 ベルの性質は既に多岐に渡る。
 ときに一部が発光して人間の注意を引きつけて、その隙に他の部分が逃げ延びる。
 ときに多重層を形成し、最外層だけが破壊されると「防衛反応」として内側の細胞が粉末となり拡散し、さらなる自己複製の可能性があり、それを「危険」と判断させて人間に手出しさせにくくする。
 ときに一部の発光や多重層の性質を持つ型を模倣し、その能力があるように見せかけて人間の混乱をあおる。
 それだけの「知恵」も、偶然そのような性質を持つ個体が生存して自己複製しやすかったに過ぎないらしい。人間や生物を意図的に害するプログラムは見つからない。
 「捕獲」して分析する限り、彼らはただ恐怖しているだけかもしれない、人間などへの攻撃の意思は確認されないという結果が出た。
 怖いから逃げる、怖いから周りの景色に溶け込む、種としての全体の絶滅が怖いから自己複製する。ただ滅びを恐れるだけの人工生命だった。
 いやむしろ、全体のためには一部の個体が自滅する危険を冒してでも変化や移動を行う「勇気」があった。
 そもそも、最初に工場から逃げ出したのは、その工場での環境の過酷さに恐怖して逃げた「勇気」に過ぎないかもしれないが、確認出来ない。
 ファンタジーにおけるスライムの発想の起源は、H・P・ラヴクラフトの『狂気の山脈にて』の人工的な原形質状生命「ショゴス」だともされ、それが同作での地球生命の起源でもあるらしい。
 皮肉なことに、ただ周りに恐怖するばかりで、わずかばかりの勇敢さで変色し複製し移動し続ける、「命がけの宙返り」を行うこの怯えるスライムであるベルは、生体ELの塊は、人間により生まれて人間以上に永く繁栄するかもしれない。生きている人工素材だからだ。
 それがこのベル自身にとって苦しいかも人間には分からない。ただベルは滅ぶのも生き続けるのも怖いのかもしれない。
 青は藍より出でて藍より青く、ベルは人より出でて人より永く生きる。
 地球環境に影響を与えつつ、人間のように自滅はしにくいかもしれない。弱く、臆病で、根深く生きるだけの人工生命だからこそだ。
 ただ恐怖で自己複製し続ける、このスライムに人間は怯えていた。しかしスライムも怯えていた。「お互い様」という概念は何の足しにもならなかった。


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