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扶桑国マレビト伝 ⑦

「おじゃまいたします。わたしは九十九円蔵と申すしがない画家でございます」

あたしと諸見沢くんが振り返り、車いすに座った涼加先生は少し身じろぎした。

廊下には桃子ちゃんと康夫くん、そして九十九円蔵と名乗った初老の口ひげの男の人が立っていた。

ステッキを手にしていて、灰色の麻製らしい洋装を身にまとっている。

思わずギョッとなったのは、肩に灰色の体色の大きなヘビを乗せていたからだ。

灰色ヘビは口ひげの男性の首に巻き付いて、ほとんどマフラーみたいだった。ヘビは頭を持ち上げて、あたしに向かって二つに裂けた舌先をチロチロさせていた。

マモリガミと分かっていても、ヘビはあまり気持ちのいいものじゃない。

「失礼。玄関で声をかけたらこの子たちに捕まってしまいましてね」

「九十九円蔵画伯、やはりあなたもマキリさんの絵からこの人が門条涼加さんだと割り出したんですね」

 九十九円蔵さんと諸見沢くんが同時にしゃべった。それから相手の出方をさぐるように口をつぐんだのは諸見沢くんだった。

鷹揚にうなずくと、九十九円蔵画伯が「この部屋に入ってもよろしいですかな、涼加お嬢さま」と涼加先生の許可を待った。

「ええ、どうぞお入りになってくださいませ。お久しぶりです。九十九先生」

 長いまつ毛をふせ、涼加先生がゆっくりと頭をさげる。

「ご無沙汰しております。父は元気ですの? このような見苦しい姿をお目にかけるなど、心苦しいかぎりでございます」

「いえいえ、ご病気なのですから、どうぞ気になさいますな」

 ああ、そうだった。いまさら思い出した。『全国新聞社合同美術コンテスト』の選者に九十九円蔵画伯の名前があると知って、涼加先生は知り合いみたいなことを言っていた。確か「この人は文麿男爵を出し抜きたいという野心があるのよ……」と。

 あたしは桃子ちゃんたちに「遊戯室にもどって」と声をかけて、そそくさと四歳児二人の手をとった。康夫くんが足をばたつかせる。

「や、や、いや~! ここにいるの!」

「うん、ここがいーの」

「お客さんが来ているんだから、聞き分けて」

 リビングに人間が四人、しかも涼加先生は樹木化している。諸見沢くんのクロは大きいうえに、幼児二人とアライグマや三毛猫が加わると狭苦しい。早くもトペムペとイワンケは駆け回って小猿のキキに叱られている。

 涼加先生の最初の絵の教師が九十九円蔵画伯だと聞かされたばかりだ。しかも、画伯は門条文麿男爵の執事でもあるという。涼加先生を「お嬢さま」と言ったことで、はっきりした。

あたしは二人きりで旧交を温めたいはずだと気を回した。

「我楽多日報の諸見沢と申します」

 そつのない態度で握手を求めている。画伯はその手をじっとながめ、それから冷たい視線を諸見沢くんの顔に移動させた。

「君か。黒岩周五郎の手先で探り屋の小僧っ子というのは。ネタ取り屋、探り屋のごときはどこにでもいる。金のためなら仲間すら売る卑しい連中だ。ことに君については不愉快極まりない。まだ見習いだというのに、かなりあちこちにもぐりこんでネタを拾っているというじゃないか」

「え? 見習いなの?」

 あたしが場違いなほど素っ頓狂な声を出す。諸見沢くんはちょっと恥ずかしそうにうつむいたかと思った瞬間、すぐに紅潮した顔を跳ね上げた。

「山でも言ったろう。帝都じゃあちょっとは知られちょるって。じゃがウソはついとらん。見習いちゅうことはいずれ本採用ぜよ。月収十二円は夢ではないき」

「初任給にしても低い賃金だ。我楽多日報は小新聞でも低賃金で有名だぞ」

 九十九さんがあざ笑う。

「黒岩さぁは本採用二年目から二十円にしちゃるって言ってくれましたき、別に気にしちょらん。だいたい、高い給金もらって仕事するのは当たり前じゃが、少ない賃金で大きな仕事する方がよっぽど偉いぜよ」

 威張って胸をはっている。

むきになるとなまるんだね? あたしは改めて興味深い動物を見つけた気分になった。

「とにかく、わしは君のような探り屋と関わり合いになる気はない。ここにおられる涼加お嬢さまは、世が世なら平民の君たちなど近付けぬご身分なのだ。それなのにまったく、油断も隙も無い。まったく嘆かわしい。出ていきたまえ」

 侮辱的な言葉だった。だけど、諸見沢くんは我慢強かった。

「過去の誹謗中傷がいかに残酷だったかち世人に訴えるのが、我楽多日報の役目じゃき、取材に参ったとです」

「なんという意地っ張りだ。控えたまえ。涼加お嬢さまが重篤な病にかかっていることは一目瞭然だろう。このお方を恥知らずな探り屋根性の犠牲にさせるものか。……マキリさん、君の美術学校入学についても、涼加お嬢さまと相談したい。この若造をここから追い出すのに手を貸しなさい」

「あの、あたしは」

 態度を決めかねて、あたしは困惑した。桃子ちゃんたちと同じように諸見沢くんを扱えるとは思えない。

「分かりました……とりあえず今は引き下がります」

 驚いたことに先に口を開いたのは諸見沢くんだった。クロ、と自分のマモリガミに声をかける。

振り返ると、康夫くんのイワンケの首筋をクロが甘噛みしてひょいと持ち上げたところだった。アライグマをくわえたオオカミと三毛猫を抱いた桃子ちゃん、康夫くんがリビングを退出していく。

「矢継ぎ早に質問ばかりした上に、無礼な態度だったことを謝ります。たいへん失礼しました。取材内容をちゃんとまとめて戻りますので、そのときはどうぞよろしくお願いします」

 諸見沢くんがぺこりと涼加先生に頭を下げる。

廊下に出た。

早くも桃子ちゃんと康夫くんは玄関から庭へと遊びに行ってしまった。クロもまた外へと出ていった。それをながめながらぼんやりとつぶやいたのが耳にはいった。

「ゆっくり話もできない……」少し気落ちしているようだった。「まともに取材もできないなんて、いつまでもぼくは半人前だ……」

「でもがんばってるよ」とっさに取りなした。「涼加先生のこと、あたし全然わかっていなかったんだ。少しでも知ることができたのは、諸見沢くんのおかげだよ」

 このすきに野ウサギの解体をしてしまおう。あたしは腕まくりしながら台所へと向かう。諸見沢くんもついてきた。

「あの人は十六年前に帝都から失踪したんだよ。気の毒な中傷が原因で……。本人は逃亡と言ったよね」

「何を期待していたの?」

「マレビトの器としての巫女……それが門条涼加さんじゃないかと考えていたんだ。マレビトがどういう存在なのかが分かれば、マモリガミも影鬼についても解明できると期待していた」

「うーん、飛躍しすぎじゃない? あたしはね……涼加先生には家族がいて、戻る場所があるってことがうれしい。あの九十九さんは迎えに来てくれたんだよね? お父さんの文麿男爵に頼まれて」

「迎え、か。円満にいくといいけど……。なにしろ文麿男爵は過去に涼加さんを屋敷内に閉じ込めたんだよ」

「おとぎ話のお姫さまみたいに?」

「そんな風に言えば聞こえはいいけどね」

 台所への三段の階段を下りた。そこは土間になっている。

床面はなく、突き固められた土がむき出しだ。シンクの水道周りはタイル張りで、まな板が置かれていた。壁にはフライパンやフライ返しといった調理器具がひっかけてあり、棚にはさまざまな鍋が並んでいる。大きなかまど、七輪、食器棚があり、シオ、サトウ、と張り紙をつけた壺もあった。

 あたしは『氷室箱』と張り紙がされた寝台の四分の一くらいの大きな箱のふたを開けた。そこに内臓を抜いた野ウサギを入れておいたのだ。

 つり橋の手前で影鬼にむさぼられていた女性に遭遇したことや、一匹の影鬼にこの野ウサギの内臓を与えたことを思い出した。とたんに解体する気合がなえてしまった。

野ウサギはいま、敷き詰められた氷の上で前肢と後肢を伸ばしている。

ベンリウクおじさんが野外で獲物を解体する場合、後肢を広げて木に吊り下げ、肢先の関節、人間であれば手首や足首にあたる部分の皮にぐるっと切り込みを入れてから腹部にむけて線を描くようにナイフを入れる。刃先で肉をこそぎ落とすように動かして皮をはいでいく。

それをいまここで、やらなければならない。

「ぼくがやってみようか」興味津々な表情で諸見沢くんが提案した。「マキリさんは九十九画伯と涼加先生にお茶を入れなきゃいけないだろうし」

「……できるの?」

「なんらぁなるさ」

 なんとかなるさ……という意味らしい。あたしたちはちょっとほほ笑みあった。

 あたしは腰の小刀を鞘ごと抜いて諸見沢くんに渡した。

握る柄の部分にも鞘にもシクヌ文様と呼ばれる渦巻き模様が細かく彫刻してある小刀だ。一目でシクヌ人の手による物だと分かる。捨て子のあたしに添えられていた小刀。これがあったから、涼加先生はシクヌ人らしい名前をあたしにつけたんだ。レランマキリと。

「すごい細工だ」

 鞘をながめて小刀の繊細さに諸見沢くんがうっとりとし、それから刃を抜いて窓から入ってくる光りにかざした。

「見ているだけでわくわくする」

お盆に紅茶のポットやカップを乗せて振り返ると、諸見沢くんはちょうど野ウサギを炊事場の作業台に横たえたところだった。吊るして切れ目を入れるんだよ、と声をかけようとしたとき、小刀が野ウサギの前肢……人間であれば手首……の関節を切断した。

「知ってる? ウサギの足はお守りになるらしいよ、西洋では」

「後ろ足だよね。不思議な力が宿るっていうのは」

「跳躍力がすごいからそういう迷信が生まれるんだろうけどさ。さすがに健が固い」

 後肢の関節に刃を当てて引き切るしぐさのたびに野ウサギの体が揺れ、ごりごりと音をたてる。やがて四つの爪先が切断された。

「遠方から来たお客さんには食事をふるまうのがここのしきたりなの。シチューを作るから、みんなで食べようね。そのとき九十九さんと涼加先生から話しを聞けるよ」

「じゃあごちそうになるけど……。九十九画伯はぼくと同席したがらないと思うよ」

「なんらあなるさあ」

 あたしたちはくすりとほほ笑み合った。

諸見沢くんと九十九さんを交えて六人……といっても涼加先生はほとんど食事をとらない体になりつつある。完全に植物になってしまった場合、どうすればいいんだろう。

 マッチが切れていた。買いそびれていたなんて。仕方なくあたしは火打ち箱から火口(ほくち)に使うおがくずと燧石(すいせき)、鋼鉄の欠片を取り出した。

燧石と鉄片をぶつけると火花が散り、一掴みのおがくずの上をくすぶらせる。そっと息を吹きかけて火を育て、七輪に活けた。五徳をのせて水を入れたヤカンを置く。

湯を沸かしている間、ティーセットを用意した。紅茶の缶を戸棚から取り出して体の向きを変えたとき、諸見沢くんが野ウサギの腹腔から肛門にかけて刃先を動かしているのが見えた。内容物をこそぎ落としている。腹部から後肢にむけて刃で筋目を入れ、後肢の切断面から皮をはいでいく。かなり力を入れている様子だ。額に汗が浮いている。茶色い体毛がべろりとめくれ、赤い繊維質の筋肉と白い健がのぞきはじめる。

一度大きく吐息をつき、諸見沢くんは台ふきんで作業台の上の血を拭き取った。

「躊躇がないね、諸見沢くん」

「マキリさんだって目をそらさないよね。さすがだよ」

「食べるために殺した野ウサギだもの。目をそらすなんて失礼なことはできない」

 作業を再開した。服を脱ぐように前足が抜き出され、頭部の皮がまくれあがる。皮が裏返り、野ウサギの耳が隠れて見えなくなった。

「頭に一発だ。おかげで皮の損傷が少ない」

「それに肉質がいいでしょ。内臓に銃弾が当たると肉がつぶれるし、なにより獲物が苦しんじゃう。ベンリウクおじさんは腕のいい猟師なの」

「あの山、いずれタタラ場のために木がなくなるのかな」

「どうだろう。風向きが悪いときにはススがこっちまで流れてきて洗濯物を汚すし、変な匂いもするよ。おじさんに言わせると、山の動物が年々減っているんだって」

やかんの注ぎ口が湯気を噴き出す。あたしは茶葉をティーポットにひとさじ入れる。それから七輪からやかんを動かした。沸騰したお湯でティーポットを満たす。茶葉がゆっくり開くまでに、ティーカップをお湯で温めた。

「マモリガミとどれくらい離れていられるの? 涼加先生のキキはほとんど付きっ切りだし、康夫くんのイワンケも所有者から二メートルと離れられないんだよ。諸見沢くんのクロはオオワシのときには二十メートルは距離がとれていたよね。所有者とあんなに離れられるマモリガミがいるなんて驚いちゃった」

「あいつがあんなにでかくなったのは、きっとぼくのせいだ」

 棚から大皿を出し、削ぎ取った野ウサギの肉をそこへ置くようにと差し出した。

「ぼくの故郷では人間のほとんどが影鬼たちによって食い尽くされた。友だちも家族も。どういうわけか、影鬼を返り討ちにするたびにぼくのマモリガミは子犬からオオカミになり、カラスからオオワシへと変化していったんだ」

「つまり、諸見沢くんは……影鬼を激しく憎む引きかえに、自分の心がゆがんでいく……マモリガミが望まぬ育ち方をしていく……と感じているの?」

「そうかもしれない。……錯覚かもしれないけど、クロはときどきぼくとの絆を断ち切って、マモリガミでなくなるような瞬間があるんだ。マキリさんがうらやましいよ」

 何を言い出すのだろう。皿の上に野ウサギの肉が盛りつけられていく。骨から身をはがす諸見沢くんの手もとをあたしは見守った。

「あたしがうらやましい? マモリガミがいないし、捨て子で、しかもたぶんルーシ人とシクヌ人との混血で……。小学校すら辞めさせられたのに。涼加先生が本当のお母さんでありますように、といつも祈っているあたしを? うらやましい?」

諸見沢くんはウサギからほとんどの肉片をそぎとってしまい、やっと一息ついてあたしを見た。ちょっとはにかんだ表情だった。

「それでもうらやましいよ。ぼくが感じているのはさ、いつかクロが普通の動物になってしまうんじゃないかってことなんだ。あの図体でのしのしと帝都を練り歩くとき、もうぼくの命令を一切受け付けなかったらどうなると思う?」

「危険視されて、たぶん銃殺される」

「うん、街中でクロが本当の動物になってしまえば、殺処分は致し方のないことだろう。でも、そのときぼくはどうなるんだろう。君みたいに影鬼にもならず、マモリガミに頼らずに人間としてやっていけるのかどうか。……こんな不安があるくらいなら、マモリガミなんか無い方がいいんだ」

「でもそれは、考えすぎ」

「かもね。いまのところは」

 水差しからボールに水を満たし、諸見沢くんは小刀を洗い始めた。セッケンはどこ? と聞かれて流しの上にあるお豆腐くらいの大きな四角いセッケンを示した。諸見沢くんから小刀を渡してもらい、あたしはセッケンをよく泡立てて刃についた血と脂をこすり落とした。小刀についた水分をふきんでぬぐい、鞘に収めているあいだ諸見沢くんは同じセッケンで両手を丁寧にこすっている。

「ごめん、こんなことマキリさんに打ち明けるなんてどうかしてた」

 あたしたちの不安は対照的かもしれない。生まれつきマモリガミがいないから、いつか影鬼になってしまうんじゃないかというあたしの恐れ。大きな強いマモリガミを持て余し、いつかクロを失って、生きる屍と化してしまうんじゃないかという諸見沢くんの憂鬱。

 だけど根っこは同じだ。なぜマモリガミや影鬼が扶桑国に存在するのだろう。

原因だとされるマレビトとはいったい、なに?

 #創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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