見出し画像

2023年4月3日

2023年4月7日、その知らせを受けた時、私は新宿の街を歩いていた。
信号待ちをしながらTwitterを開くと【空想委員会に関するお知らせ】のツイートが目に飛び込んできた。
その長くはない文章を何度も読んでいるうちに信号は青に変わったが、渡ることはできず立ち尽くしてしまった。
もう一度信号が青に変わるとようやく歩き出せたが、頭の中は「大腸がん」「闘病」「永眠」ばかりがグルグルと回り続けた。
「あれ、ワンマンやるっていってたよな」「でも中止になったか」「癌のお知らせは確かにあったけど」「入院中からそのままってこと?」次から次へと頭の中の独り言が止まらず、新宿の街を歩きながら少し泣いてしまった。
そんなにすぐに泣けたということは、私は、当たり前だけど空想委員会の一方的なファンで、空想委員会の音楽だけが身近で、空想委員会が好きだったんだ。
家に帰って改めてTwitterを見ると、同じような気持ちでいるファンがたくさんいた。各々が各々の気持ちを呟いていた。それを見てまた泣いてしまった。



2013年、私が高校生の時、空想委員会初の北海道ライブに参加し、2014年にはタワレコでのトーク&CDジャケットサイン会やメジャーデビュー記念ワンマンにも行き、CDは欠かさず買っていた。空想ディスコはいつでも気分を盛り上げてくれたし、切illing Me Softlyは自分にとって初めての別れに深く響いた。間違いなく私の青春には空想委員会の音楽があった。



社会人になってから日々の忙しさや、空想委員会自体の活動休止により離れた瞬間もあったが、転職をきっかけに直也さんのギター教室に月1回ペースで通い、マフラー少女が大切な曲となり、エンペラータイムは日々の生活に勇気をくれた。
また私の生活に空想委員会の音楽が戻ってきた。
昔は好きだったけれど、今は全く聞かなくなったバンドなんていくらでもあるけれど、空想委員会は私の人生の節目に必ず寄り添ってくれていた。



4月7日の衝撃を心の中では引きずったまま、12月9日のライブチケットを急いで買った。12月というのは個人的に仕事で最も繁忙期であり、正直行けるかわからなかったけど、「これは行かないと後悔する」ということだけはわかっていた。
なんとか仕事の都合をつけて向かった下北沢。
今まで見てきた空想委員会のライブの中で一番、人が多かった。
直也さんは現れるのか、どのような形でのライブとなるのか、そして、空想委員会が本当にこれで最後になるのか、と筆舌には尽くし難い心境だった。
ライブが始まり、岡田さんが登場すると歓声が起こり、直也さんも登場するとより一層の拍手と歓声が起きた。真ん中には委員長のギター。この光景だけで本当に大泣きしてしまった。斜め前にいた男の子もすごく泣いていたのを鮮明に覚えている。

でもしんみりとしたライブではなかった。タイトル通り、「委員長ありがとう」の気持ちが詰まったライブだった。ゲストボーカルや映像での振り返り、みんなで合唱、今思い出しても泣いてしまう光景ばかり。空想委員会は愛されていた。私は今も愛している。多分あの場にいた全員がずっと空想委員会を愛していると思う。本当にいいライブだった。私の語彙力ではあのライブを良いライブだったと表現することしかできない。


好きになったバンドの終わりというのを初めて経験した。本当に突然で、悲しく、当たり前だけど永遠なんてものは無いと思い知らされた。
でも、空想委員会はしっかりと「終わり」を迎えさせてくれた。これはファンとしては本当に感謝したい。ファンや空想委員会と仲の良かった方々が同じ空間を共有できて、悲しいとちゃんと泣けて、それでも楽しい曲が流れればみんな笑顔で手を振って、岡田さんや直也さんの空想委員会というバンドに対する想いも聞けて、何より委員長にありがとうが言えた。
解散するバンドに、これだけ前向きにありがとうを言えたから、私は一生、あの日のライブも、空想委員会の音楽を忘れない。
本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?