Evernoteの記事から12年分を考古学

はてなブログの記事、さようなら、全てのエヴァーノート by骨しゃぶりさんを読んで、
そうだ、私もだいぶ前に「もうEvernoteから移行しよう」と決心し、Obsidianを使い始めたのだ。と思いだした。

そして、Evernoteのノートを何割かエクスポートしたところで、カテゴリ分けができていない雑多ノートに関して(1700ノートくらいある)エクスポートを保留したことを思い出した。

なぜなら、1回以上見返さないノートの価値は低いし、1行しか書いていないノートもあるのだから、一度目を通して、ある程度削除・選別してからエクスポートしようと思ったのだ。

選別しなきゃ!

ということで、4月末はEvernoteを見返して、過去の自分を俯瞰していた。

結果として以下のような効能があった。
1:過去の自分のがんばりっぷりに、誇らしさを感じた。
2:あとで検索、みるつもりだったURLやワードを調べる機会になった。
3:Web記事のいのちの儚さを噛みしめた。

一番古いテキストが2012年のもので、12年経っている。
Web記事のURLを保存しただけの記事もそこそこあったが、半分くらいはページがリンク切れになっていた。
デジタルデータのいのちは儚い。
(でもタイトルだけでもログに残っていれば、何に関心を持っていたかは思い出すことができる)

一方で、2012-2016年ごろの自分の日記が、ゲーム『バイオハザード』の犠牲者が死の間際に残した手記ばりに生き生きと具体的に感情や状況を記録していたことに驚いた。

SNSが黎明期を越えて盛り上がってきていた時期だし、自分の考えをテキスト化することの意義に燃えていたのかもしれない。
今は、これ以上世界が情報でうるさくならないように、できるだけ言葉を絞りたいと思う。

外向性と内向性は行ったり来たりするものだ。

4月はこんな感じでした。


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