ツアー日記14日目(他人の釣りを見るのが好き)
こんにちは、KASHIKOI ULYSSES のミシオです。サムネは涼しそうな写真にしました。
メシアと人人のインタビュー動画が公開されました!
メシアと人人のライブを見ると毎回かっこいいのでなんで?となります。かっこいいだけじゃなくて、同時に音が優しいニュアンスがあったりもしていて、自分は演奏するときに優しいニュアンスを出すのが苦手なのでどうやっているんだろう?僕も経験が増えていけばわかるようになってくるのかな。
メンバーのお二人とはほぼほぼ喋ったことがないので仲良くなれたら嬉しいです。ツアー中にできたらワードウルフとかやってみたいです。
それと、本日8月14日はついにオーストラリアへと出発する日になります。ついについに。
飛行機の中で日記を書くのはひょっとしたら難しいかもしれないので、前日の13日にこの文章を書きながらこの1週間のことを振り返るなどして、追記で当日のことを更新して書けたらいいかなと思います。
・おれは海なのかと思うくらいTシャツに塩を滲ませながら、オーストラリアツアーに向けての準備をしている。
そういえば保育園児の時、歌の発表会の曲が加山雄三の「海 その愛」だった。やばい。このままでは海を越えるどころか歌詞の意味をまだ理解できないまま、おれそのものが海になってしまう、、、、、、
・パソコンにはメモリが備わっていて、この文章を打っているパソコンのは16GB。僕自身はどうやらこのメモリにあたる部分の性能が良くないみたいで、複数ある必要な手続きや物や準備に必要な手続きや物や準備、に必要な手続きや物や準備、、、の入れ子構造を前にフリーズしてしまってオーストラリアへの準備がうまく立ち行かない。
話が脱線してしまうのだけれどCPUとは関係なく、こうした無限(に続くと錯覚するような)出来事が以前もあった。
2021年、食中毒になった。(ご飯食べながら読んでたらすみません。)
多分、美術の展覧会の搬入を脱糞しながら行ったのは今のところ僕だけだと思う。トイレを16ビートの間隔で刻むも捉えきれない。
搬入を奇跡的に乗り越えたあと、宿泊先のビジネスホテルのトイレをその倍の間隔で刻む。とうぜん眠ることは許されない。
覚束なくなってゆく意識の中、深夜特有の異様に繰り返されるテレビのCMが視界に入る。鬼滅の刃の無限列車編のCMだ。「違う、、、無限便所編だ、、、、、、」
現実とファンタジーが僕の壊れた腹を起点に交差することで立体的な世界が立ち上がるものの、ここには煉獄さんも炭治郎もいない。絶望しながら、同じ映像が流れ続けるのと同じように何度もトイレを出入りしていた。
・オーストラリアへの無限準備編でフリーズしてしまい、「うわぁーーー」という声が喉を通らずエネルギーの出しどころを失って、気がつくとブックオフにいた。
ブックオフの店内は色もチカチカするし、情報量が多すぎて頭が痛くなってくるから苦手なのだが、この時は全然大丈夫だった。
無限〇〇編に突入するとどうしてか物から声がしてくるみたいで、店内の真ん中らへんから「俺はここやで」と聞こえてくる。
それを頼りに向かうとあったのはグレイスペイリーという人の「その日の後刻に」という本だった。なんで関西弁なんだろう。飛行機には長い時間乗ることになるので、読んでみようかな。
文庫本は読めなかったとしても、ちょっと使い古した紀伊國屋書店のブックカバーを巻くとスネアのミュートにいい感じになるので、それはそれでいいかも。
・思考や知覚はその瞬間いつでもこの世界への応答でもある。でも、何かに追い詰められている時は自分と関係のある物事にしか反応できなかったり、それもできなかったり、はじめから拒絶していたりもする。そもそも追い詰められていることに慣れすぎてそうなっていることに気づいてなかったりもする。
・僕が何かに気づくタイミングは、大体いつも遅い。「あーこれこういうことだったのかな」とかを人と会った後の帰り道で思ったり、一年後とかにそう思ったりすることもある。
・昔、ネトゲのハンドルネームの両脇に「†」とか「xx」とかつけていたことを思い出し、死ぬほど恥ずかしくなる。心の機微は時に光を超えるスピードを持ちうる。
・僕は生きてる魚がどうしても触れないけど、他人の釣りを見るのが好きだ。釣りをしていくと、風や水流の動き方、水中の地形、魚の姿がわかると友人が教えてくれたことをいつも思い出している。
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