2024-10-02 考えうる最も悪手を取ったけど、それが今の自分がいる地点だということ

出会ってからずっと思いを寄せていた人のことを明確に「こいつのこと嫌いだ!!」と確信した。というか、たぶん、ずっと好きだと捉えていたその感情の正体は"嫌い"だったんだと思う。

1. 最大の悪手 = 最も後悔のない選択

それはほんとなんてことない日常の一幕だった。
いつも行くカフェで、いつものようにコーヒーを飲みながら、いつものようにパソコン広げ、いつものように作業をして、いつものように店員さんと会話をして、いつものように常連仲間と世間話して、いつものように、、、その日は終わらなかった。

自分の一方的な視点で書くと相手を一方的に悪く表現することしかできなくなってしまうから具体的な話は書かないけれど、かなり心が痛む出来事が起こった。「この人って人の心持ってなかったんだー」って人間性をものすごく疑った。1回だけなら「ま、偶然やろ」で済ませることができたと思うんだけど、2回目は確信犯だと(自分は)思った。明確な悪意を(自分は)感じた。(たぶん悪意はないんだと思う。それが悪意だという自覚がないんだと解釈した。)

その瞬間までは「思いを寄せている人の恋路を素直に応援しよう。自分もたくさん他人を振り回してきた過去があるのだから全部因果応報なのだし、これまでのことは全部水に流そう。」と、相手との関係や思いをすごくポジティブに捉えていたんだけれども、そういう思いも自分の気持ちも全部泥だらけの土足で踏み躙られた気がした(自分は)。

だから、この行動を起こすこと自体が"恋愛"という文脈上では最悪の選択だと分かった上で、相手の言動によって感じたことを可能な限り素直に、可能な限り相手の心に負担にならないように気をつけて相手にメッセージした。

もちろん自分の伝え方が完璧だったとは微塵も思っていなくて「もっと適切な表現があったんじゃないか?」、「もっと相手の受け取りやすい伝え方があったんじゃないか?」と今も反省してはいるから、そのメッセージを読んですらもらえなかったことはしょうがないかなと思ってる。読まなかったからと言って相手を責める気は少しもない。

ただひとつ確実に言えることは、恋愛としての縁は完全に潰えたということ。その覚悟の上で起こした行動選択だったから当然の結果なのだけれど、悲しいとか残念とかじゃないんだよね。

めっちゃ気持ちよかったんだよね。「あんなメッセージ送らなきゃよかった」みたいな後悔がない。自分が起こしたすべての対応に一抹の悔いとて存在しない

2. 「あ、嫌いなんだ」の悟り

それで気づいたんですよね。
「あ、俺こいつのこと心の底から軽蔑してるし、心の底から嫌いなんだ」ということに。

今になって嫌いになったわけではなくて、たぶんずっと嫌いだった。
よく聞く話で"好きと嫌いは表裏一体"みたいなのあるけど、まさにこれなんだと思う。「好き!」だと思っていたそれの正体は、実は心の底からの軽蔑と憎悪と嫌悪であったというオチ。だからこそ1年も執着してしまっていた。その嫌悪の感情に。

これまでの人生で、恋愛という文脈の中ではどれだけボロクソに振られようと、雑な扱いをされようと、人を嫌いになったことが1度もなかったからわからなかっただけで、相手に彼氏の存在が明らかになったあたりからずっとずっと嫌いだったんだわ。

それに気づけただけで心がめちゃくちゃスッキリした。
「滅多に人を嫌いにならない俺が嫌いになるゴミだもん。そりゃ俺が不快になることを息をするようにするよね。そりゃそうだ。ぜーんぶ納得!!」

3. コミュニティごと捨てることにした

このまま放置していたら、自分がいくら身を引こうともどこまでも追ってきそうな恐怖を感じる。そこで、思い切ってこれまでお世話になり続けていた、彼女と出会うキッカケにもなった大切なコミュニティを全部捨てることにした。

どれくらい本気で捨てるかは捨てながら考えていくつもりだけれど、究極的には都心からいなくなるくらいの心づもりでもいいかなと思ってる(なんなら日本からいなくなってもいいかも)。

取り急ぎできることとして、そのコミュニティと繋がっていたSNSは全消去した。一時的な休止とかじゃない、完全な削除。結果的に学生時代からのつながりとかも全部抹消された。(きもちいいいいい!!!)

今通っているカフェも今月中には大幅に顔を出す頻度を減らしていって、年内には週1回くらいまで減らしていけたらいいかなと考えている。
都心部にいるのも年内には月の半分くらいまで減らしていきたいけど、家の環境が整いすぎていてそこを田舎に用意できたら完璧。明日明後日で探してくる。

4. 心のリソースが爆発的に広がる

学生時代から長らく使っていたSNSを完全に抹消していろんなことに気付かされた。

まずひとつに生活の中の何気ない思考回路がけっこうな割合で、SNSに投稿するベースで考えるようになってしまっていたこと。コンビニで何かを買うにしても、どこか出かけるにしても、YouTubeで動画を見るにしても、仕事をするにしても、旅行先を検討するにしても、、、無意識的に「なんてコメントつけて投稿しようかな」「どんな画角の写真撮ろうかな」って考えちゃってるんだよね。

「あ、SNS消したから投稿するところないんだったわ。」って咄嗟に気づいて、自分がいかにSNSありきで何気ないを日常のできごとを考えてしまっていたかに気付かされた。

あとは、今までは目に入ってこなかった情報に気づいたり、めんどくさくなってた行動をするようになったこと。誰かに日常のリアルを共有する必要がないから、誰も興味ないような道端に落ちているゴミが目について「これなんでここに捨てられてんだろ?」とか気になったり、陽が落ちていくことを感じたり、家に帰ってきた後なのに不意に「本屋行こう」ってなって本屋に駆け込んだり、、、自分に正直に、素直に、自分だけの関心に基づいた世界を見ることができている気がする。

だからこそ、今まで何年も自問自答し続けて答えが見つからなかった問いの答えがスッと出てきたりもした。「そう。これだよこれ!これじゃん!!」のテンションで今もこの文章を書いている。失いかけていた心の熱量が、一気に湧き上がってきたことを体感覚を以てしても感じている。

5.頭がスッキリした

パソコンの保存領域に使わないアプリケーションや昔の写真・動画がたくさん保存されていて、実際に使える領域が10%しかないみたいなこと。よくあると思うんだけれど、自分にとってそのゴミはこの恋愛だったのかもしれない。

嫌いな人のことを四六時中頭の中で反芻して、自分の恋愛が全くうまくいかない辛さも何度も何度も反芻して、なんでうまくいかないのかことあるごとにあれこれ考えて、結果何もわからない。何もうまくいかない。心の底から嫌悪している人のことを本気で好きだと勘違いして、執着し続けて、一体どれだけ多くの脳みその容量しかり感情の容量を食っていたのだろうか。

想像するだけで恐ろしくなる。

容量の多くを食っていたものが一瞬で消滅したどころか、これまで積み上げてきた人間関係のしがらみもすべて消し去ったから、実質俺の脳みそは何も入っていない新品のパソコン状態だ。このパソコン(自分の脳みそ)は、とにかく結果を出すまでは、可能な限り仕事で結果を出すことと金を稼ぐためと人を助けるために使うことに決めた。

Last. 締めに

時間が経てば経つほど、寸分の悔いもないことを実感している。
もう金輪際、あのゴミが俺の目の前に現れませんように!!

そして、未来の自分への教訓。
ゴミは何歳になろうと基本的にはゴミなのだ。「若いからしょうがない」とか、ない。たぶんそいつは40歳になっても、60歳になっても何一つ成長することなくゴミムーブを継続する。自分の親や仕事で関わる大人たちをたくさん見てきて、そんなこと火を見るより明らかな現実だ。

成長意欲を持って生きてる人間は、たとえ馬鹿だろうと、たとえ世間を知らなかろうと、たとえ考えが甘かろうと、たとえ態度が悪かろうと、他人を傷つけてしまったことに気づいたら年齢関係なく行動や思考を少なからず改める。若いから気づけないとか、断じてない。

1年経ってもそれがないどころか、成長はおろか1年前よりも人間性が退廃している印象すら持ったのだから、すなわち、それは人の姿をしたゴミなのだ。そんなものに関わって時間や感情、思考を浪費することほど無駄なことはない。徹底的に逃げないといけない。

確実にこれからも数えきれないほどこういうのは現れてくるだろうから、気をつけるんやで。

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