2024-06-26_精神世界

自分の前世はなんだったのか考えたことはあるだろうか?
僕はスピリチュアルを信じている訳ではないけれど、特に抵抗は持っていない人間なので、以前にも何度か自分の前世を想像してみたことがある。

そもそも「前世や来世なんてものは存在していない」というのが自分の基本的な価値観ではあって、前世が〇〇だからなんだっていうんだと思ってるし、来世に期待なんかしてないで今を真剣に生きろという風に思ってる。これは大前提として。

たまたま目に入ってきた元上司の名前

ほんと30分くらい前の話なんだけれど、なんてことなくブラウザサーフィンしてたらたまたま元上司の書いた記事が目についた。その元上司は自分の人生にかなり大きな影響を与えている人で今現在でも最大のリスペクトをしている人でして、「人生で一番尊敬している人は誰ですか?」と聞かれたら、確実にその元上司の名前を挙げるくらいの人。

それでその記事を読んで、シャワーを浴びに向かったんだけれども、シャワーを浴びていて唐突に気づいたんだよね。

「自分のこれまでの人生の節目節目に大きな影響を与える人になんか神社関係者多くね?」って。(元上司は神主家系の方)

自分の前世

冒頭に書いたように前世とか信じていないけれど、「もし自分の前世が何かを考えるとしたらたぶん宗教関係の仕事してた人なんだろうなー。僧侶みたいな。」と漠然と高校生くらいから思ってはいた。まぁ、とはいえ信じてないからだからなんだってくらいの感覚。

しかし自分の人生の節目節目を思い返してみると神社との接点の多さは異常値だと思ったんですよね。しかも全然神社と接点のない場所や事柄で。
そう考えてみると高校生頃の自分が妄想していた自分の前世ってのはあながち的外れでもなかったんじゃないかなー。それに自分が育ってきた環境の過酷さ、これまでに体験してきた数多の苦労を思うと、宗教者が来世に選びそうな生をしてんだよな。

今でも前世とか来世とか信じてはいないけれども、こと自分の前世に関しては信じないではいられないくらいにそれっぽい標が自分の人生には落ちすぎていた。

運が悪かったのではない、すべては必然だった

家庭環境の悪い家庭に生まれて物心付く頃には両親の関係は最悪。怒号の飛び交っていない日を1日とて知らない家庭だった。それにも関わらず両親共に何かと理由をつけて決して離婚することはなく、18歳で上京するまでそんな日々が続いた。(上京しても今もなお続く実家のトラブル。笑)

家庭のヤバさはエピソードを挙げたらキリがないほど出てくるのでこの程度に留めておくとして、当然そんな家庭に育ってまともな精神に育つわけはなく、自分も兄弟も何かしら問題を抱えて大人になった。そして上京してから事あるごとに自分が抱える人格の問題や精神の問題に苦しむことになり、何度も死にたい衝動に駆られながらも乗り越えて今日まで生きてくることができた。

「なんて不運な人生なんだろう。まともな親の元に生まれていたらみんなと同じく楽しく恋愛したり、楽しく遊んだり、人並みの人生を過ごせたのかなー」なんて泣きながら何度も何度も1人憎み口を叩いたりもした。

でも、これも必然だったと捉えることができる。
「人生とは修行なり」
より過酷な環境に身を置くことで、そこを乗り越えた先にある大きな大きな幸せを感じることができるようにしたのかもしれない。

それだけじゃない。
「浪人してでも東大京大受けてみたかったな」と今でも思うんだけれど、自分が進学することになった大学は某宗教系の大学だった。
たぶん、これも必然だった。自分の人生の意味に気づくための標の一つ。

高校生の時にふとしたことから仏教に執心して、仏教文化にのめり込んだのもそう。宗教系の大学に進学したからといって宗教と関わりを持つ学生はほぼいない昨今なのに、これまたふとしたきっかけから大学内の宗教分野の研究機関でがっつりとアルバイトをすることになった。たぶんそういうのも標だった。

他にもたくさんあるんだけれども、自分の人生を思い返したときに当時は嫌だなとか辛いなとか思っていたことも、なんとも思っていない当たり前の日常だったことも、人生のターニングポイントになったことも、、、すべては道標だったんじゃないかって、必然だったんじゃないかって、今シャワーを浴びていて唐突に気づいてしまった。

スピリチュアルに抵抗がない

大多数の人はスピリチュアルとか宗教とか心の世界とかとてつもなく抵抗感あるじゃないですか、自分も数年前まではそうだった。でも今は微塵も抵抗感がないんだよね。それはこれまで苦労してくる中で精神世界の考え方や捉え方によって救われることが多かったからというのもあるし、「もう死のう」「これ生きれない」と思ったときに行動に移さない最後の砦として確実に機能していたといのもある。

たしかになんも考えずに生きていたら縁がない世界ではあるから、得体の知れない怖いものではあると思う。過信するのはよくないと思うし、それ一色に盲信するもよくなけれど、生きる上でのツールとして利用するにはむしろ良い側面の方が多いと今は思ってる。

経済や政治・行政や人は本当に困ったとき救いの手は差し伸べてくれても本質的に助けてくれることない。でもスピリチュアルや信仰は救ってくれることがある。それを身をもって体験し、地獄のような日々を抜け出すことができたからこそ今は抵抗がなくなった。

きっとそれも必然。「前世」とか「信仰」とかそういう概念についてニュートラルに考えることができるようになるためには、得体の知れない精神世界に対する抵抗感があってはいけないから。

自分の存在意味

今日は頭の中にあること全部書き切りたいから30分を越えて書き続ける(例外)。

さて、ここまで書いて最後に考えるのが「自分の人生の進むべきところはどこなのか?」という話。
自分の過去に散りばめられたいくつかの道標が今ひとつの線で繋がったと仮定して(全然間違ってる余地はあるけど正解を確認する術なんてないんだから別に良い)、そうなると、次にやるべきことが見えてくるはずなんだ。というのがひとつ。

あ、意外とあっさり見えたかもしれない。
「今までなんで思いつかなかったんだろう!?」っていうクソシンプルなアイデアが降りてきた。ちょっとやってみるか。

考えるきっかけになったYouTube

この動画に出会ったのは数ヶ月前のことだけれどかなり多くの気づきを与えられた。(釈迦仏教ってそんなこと言ってたっけー?という疑問は残りつつ)



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