2024-06-23_会話のレベル

今日このインタビューを見ていてめっちゃおもしろいなと思ったんすよね。
お2人の会話の内容はいわずもがな、コメント欄が綺麗に二分されていることが実に興味深い。

どう二分されているかというと
①対話の内容に対しての意見や感想
②見た目とか雰囲気とか対話の中でひとつも語られていないことへの感想

話がほぼすべて抽象

僕個人的にはお2人の会話を聞いてるとめちゃくちゃ心地良くて3回くらい観てしまった。何が心地よいかというと、会話のテンポがめちゃくちゃ良いんですよね。東大の人たちというのに加えて、2人が同じゼミの同級生で友達というのもあってこのインタビューの中で話してる内容の抽象度の高さがすごい高いんですよね。

抽象度の高い話を、抽象度が高いまま理解して、また次の抽象度の高い話に移っていく。YouTubeやテレビでやってる対話って大体は理解してない人へ向けた具体的な話題が出てきて、1つ1つの話題が長くなってテンポが寸断されてしまうものだからこんなテンポが良いことってなかなかない。居酒屋で語り合ってるみたいなペース感で話が進んでいくのはすごい気持ちいい。「聴いてるだけでいいから俺も参加したい!」って思っちゃう。

たぶん、①のコメントをしている人たちはこの感覚で観てる人たち。

会話が理解できない人たち

抽象度が高すぎることの弊害は会話内容がふわふわしていて、抽象度の高い話に慣れていない人は何の話をしているのか、何がおもしろくて笑っているのか、何を共感し合っているのか、全然わからない。

IT企業で働いたことない人たちがIT企業のインターンに行くと、聴いたことのない単語が飛び交っていて、日本語を話しているのに1つも会話の内容が理解できない現象に陥るんだれども、あれと同じ感覚なんだと思う(実体験)。

こういう人たちは何回聴いても何も頭に入ってこないから、見た目とか表情とかそういうぱっと見で目につくことを見るようになる。ゆえに会話の内容と関係のないコメントや、「それ今言う必要ある?」みたいな感想が出てきたりする。

これはこれでおもしろいですよね。

この捉え方の違いから反省したこと

自分がそうだからこそ反省したことなんだけれども、抽象度の高い話をしていて話の内容を相手も理解してくれて、盛り上がってるときってめっちゃ気持ち良いんですよね。知的好奇心が刺激されまくり、自分の知らない知識や考えことのない捉え方・視点が対話者から教えてもらえることもそうだし、逆もまた然りだしで、すごい気持ちいい。

そしてそこから反省した点は「気持ち良いからって誰に対しても抽象度の高いコミュニュケーションをやってはいけない」ということ。それって"気持ち良い"の自分の満足しか見えてないコミュニュケーションでしかないし、聞き手がわからない話を一生しているだけって「それ自分は頭良いって思ってるかもしれないけど、相手が理解できないならバカが1人で気持ち良くなってるだけやん」になると思ったんよね。

今までもよく「難しい話で何言ってるかわからなかった」とか「知らない単語がいっぱいできてきて難しい」とかよく言われてた。自分では難しい話なんて1つもしてるつもりはなかったけれど、「1つもしてるつもりがなかった」と感じている時点でバカなんだよね。相手の立場を全く想像できていない上に相手の楽しいと感じるコミュニュケーションも理解できていない。

ただのバカ。

自分が話していての気持ち良さなんてあまりにもどうでもよくて、コミュニュケーションにおいては目の前にいる人たちに「話していて楽しい」と感じてもらうように工夫ができていないのならば、それはコミュニュケーションが失敗しているだけなんだよなー。とめちゃくちゃ反省した。

めちゃくちゃ反省したという話でした。



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