2024-08-03_"執着"と"思い"にしっかりと線を引くこと

「執着は手放せましたか?」と問われれば、まだ全然手放せてはいないと感じている。一時的ではあるけど付き合えなかった人のことを思い出して心が苦しく感じるときがあるし、不意に考え込んでいるときも全然ある。「まだ彼氏と付き合ってるのかなー」とか探りを入れたくもなる。

執着フルMAXだったときに比べれば、比較にならないほどそんな感覚になっているのは一瞬のことでちょっとしたらもう忘れてるくらいではある。執着を手放す過程を歩んでいる感覚はあるけれど、手放せそうか?というと話は変わってくる。なので、「手放す過程を進んでいるのに、手放せる気がしていない」感覚の原因は何かを考えてみた。

ひとつ「これかなー」と思っているのがタイトルにした"執着"と"思い"の線引きが曖昧になっているって話で、執着している部分と思いを持っている部分の線引きができていなくてそれぞれの要素が玉石混交になっている"失恋"という抽象的な出来事をすべて1つにまとめて手放そうとしているから手放せる気がしないのかな?と少し疑問に思った。

たとえば、好きな人のSNSや彼氏のSNSを覗きに行ってしまうのは完全に執着から湧いてくるアクションですよね。でも、好きの気持ちを抱えていること自体は何ら執着ではない。「好き」だから「アクションを起こす」の"だから"が厄介にさせていて、自分の思いとアクション(行動・発言・思考)はそれぞれ分けて考えるべきものなのに、思いとアクションに関連があると思い込んでいる自分がいる。

それぞれのアクションは"執着"を根元にして湧いてきているものなのに、自分の認識として"好き"を根元だと捉えてしまっている。すなわち、"執着"と"思い"の線引きができなくなっている状態だ。執着だけなら手放せる過程を進んでいるのに、その手放すべき執着の中に手放したくないはずの"思い"までもが混じっているから自分の無意識が「手放したくない!」と抵抗している。

では、どうやってこの間違った接続詞を取り払ってそれぞれの感情に対してアクションを正しく紐付けを行っていくのか。

今思いついたのは、やってしまった行動に対してその瞬間に自問する癖をつけることかなと考えている。自問する内容は「今の行動は執着?好きだから?どっち??」という具合に。

たとえばよく思考してしまう問いのひとつに「付き合いたいと今になって言われたらどうしようかな」というのがある。こういう思考面も一緒で思考が始まったら咄嗟に「それって執着から感がえてる?好きだから?どっち??」と脳内質問を差し込む。

こういうのを地道に数ヶ月続けていくと行動・思考・発言(文章含む)のほとんどが、"好きだから"ではなく、執着しているからそうしていると無意識もわかってくれるはずなんすよね。"思い"と"執着"って似て非なるものだから、「執着は手放していい、でも思いは手放さなくていい。」と自分の無意識も理解できれば一気に手放し完了できると思う。

無意識って無垢だけど頑固な子どもみたいなもんらしいから、大人の自分がひとつひとつ丁寧に、そして根気強く教えてあげる必要がある。ちょっと自分を実験体だと思って意識してやってみることにする。

ちなみに「好きだから」で湧いてくるアクションは自分も周りも幸せを感じてくれたり、喜んでくれたり、ポジティブに成長につながったりする行動・発言・思考になるんだろうなーと思っているから、まず大前提として自分自身が苦しい、辛い、妬ましい、憎いみたいに一瞬でも感じている時点でそれらのアクションはすべて執着から出てきてるんですよね。

まずは何かアクションを起こしてしまったとき、自分自身が充実感を感じているかという指標を意識として持っておくと、より線引きが進むんじゃないかなというのが、ふたつ目に考えていること。

最後に、思いを持ち続けることに対して後ろめたさを持たないこと。
振られたのに好きな気持ちを続けることは世間一般では、女々しい!とか時間の無駄だ!とか非効率だ!とか、、、決して良いこととしては捉えられないことの方が多いじゃないですか。自分も過去にそれで痛い目を見たし、時間も多大に無駄にした苦い経験があるからこそ、心の奥ではそう考えている節は多いにあって、今も執着だけでなく思いも手放そうとしている部分はあるっちゃある。「どうせどっちも手放すんだから」と考えていたから線引きをする作業を怠っていた気もする。

「でも別に良くない?」とふと思い直したんですよね。
自分だけでも思いを持ち続けることを認めてあげないと、思いを持ち続けたいと内心思っている自分が可哀想じゃん。なんなら「何がなんでも思いを持ち続けたろ!!」くらいに今は決心していて、まぁもちろんそこに執着するのも良くないんですけど、否定することはやめようと決めた。

それに思いを持ち続けると決めたらかといって、もう他の人と恋愛する気がないのかといえばそれは完全に否で、「この人としか恋愛したくない!!」と意固地になるのはそれも完全に執着っすよね。それも過去に経験したことあるからめっちゃ反省してる。せっかく「付き合ってみたい」と思ってる人と出会えたのに、「いや!俺は〇〇とじゃなきゃダメなんだ!!」と謎の自制を働かせて後から後悔するみたいなの、何回も経験した。なので思いを持ち続けることと未来の恋愛は全く別のイベントとして考える。それこそ"仕事と恋愛"くらいに別々で考える(仕事と恋愛は完全に別々って訳でもないが、、、)。

それくらい緩くていいんでしょうね。
思いとしては持つけれど、例えば「自分で起業して株式上場できたらいいなー」くらいの感覚ですね。(できないかもしれないけれどできたら嬉しい。でもできなくても別の選択をする。)

こうして文章に書いてみると言語化って難しいなーと思うと同時に、言語化してみると自分の実は曖昧に思っていたところとか、思考の詰めが甘い部分とか、抽象ままで具体的な思考まで落とし込めてないとか、すごいよくわかった。言語化の練習もっとやってみよ。

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