だぶる・へりっくす 第1話

0:出題

◆ ◆ ◆
出題(出題者:東雲ルル ジャンル:難読漢字)
   :「四月一日」と書いて「わたぬき」と読みますが、
    「八月一日」と書いて何と読むでしょう?

1:ほずみ
2:わくぐり
3:すなどり
4:おおはらい

◆ ◆ ◆

1.1:朝礼

【蛇穴《さらぎ》 かさね 青葉女子高等学校・男性教職員】

時刻:AM 7:58
場所:青葉高等学校2階・職員室。

 大勢が一堂に会している。
 性別を問わず、年齢を問わず。
 老若男女が、ただ一つの目的のために集まる。
 誰が言うまでもなく円形。その一番奥座。
 丸い体に丸い顔、壮年の男性。
 柔和な笑顔で目を細めている。
 全体を見守る温かな笑顔。
 一同の御大であり、この学校の校長。
 その隣に立つ、30代後半の男性英語教師。
 隙のない外見は、硬質の金属を思わせる。
 鋭い視線は野心で磨がれたナイフ。
 そのナイフを向け従順を問う。
 ヒエラルキーの最上段。
 賢木正午さかきしょうご
 時計の秒針が長針と12の下で重なる。
 カチリという音が、大きく響いた。

賢木「定刻になりました 朝礼ミーティングを始めます」
賢木「それでは挨拶の唱和から おはようございます」

 隆々として流れる挨拶。
一同「「「おはようございます」」」追従する声達。

賢木「ありがとうございます」
一同「「「ありがとうございます」」」

 よく訓練された、鋭気のある挨拶の声。

賢木「お先に失礼します」
一同「「「お先に失礼します」」」

 何度も繰り返してきた、朝の儀式。
 いつもと変わらないそれに、賢木の「まて」。
 冷たい声が飛ぶ。

賢木「そんな挨拶で 子供たちが元気になりますか?」

 投げられるナイフ。
 それは、皆の視線を誘導し、一人の男性教員に刺さる。
 寝癖の取りきれない髪に寝ぼけた目。
 まるでしわくちゃの紙。
 数学教師、蛇穴さらぎかさね。
 
賢木「教師は子供たちのモデルだ」
賢木「その教師がしっかりしないで」
賢木「生徒たちが まともに育ちますか?」

 蛇穴、しおらしく頭を下げる。
 賢木、鼻を鳴らし2度目の唱和。
 1度目よりも大きくなる声。
 気持ちの乗った声。
 今度は無事に終了した。

賢木「気持ちの良い挨拶でした」

 賢木の労いに、教員達に安堵と達成感が滲む。
 
賢木「では校長」

 賢木はそう言うと、一歩下がった。
 御大の優しい励ましが送られ、朝礼は終了。
 皆、晴れ晴れとデスクに戻る。
 蛇穴もデスクに戻り、教室へ向かう準備をする。

蛇穴「さてと」

 蛇穴、教科書を持って席を立つ。
 職員室を出ると、女子生徒がひとり立っている。
 片平れいり。
 低身長で何も喋らない女の娘。
 長い前髪は目元を見られないようにするブラインド。
 周囲を薄暗い空気が包んでいる。
 強い個性のせいで、周囲と折り合いをつけられず。
 結果、人と関わることを諦めた少女。
 れいりが蛇穴を見て、頭を下げて挨拶をする。

れいり「おは……うご……い……す」
蛇穴「おはよ 今日もよろしくな」

 蛇穴、歩き出す。
 れいり、その後ろを付いて行く。
 むかう先は教室。
 教室の前で8時半の鐘がなる。
 ホームルームの開始を告げる鐘。
 普通ならばその時間、教師は教壇に立ち、出席と連絡事項を伝える。
 でも、蛇穴はそれをほとんどしなかった。
 蛇穴が3年4組の担任になって最初に宣言した。

蛇穴N「出席と連絡事項なんて 1分もあれば終わる」
蛇穴N「だから 残った時間をお前たちにやろう」
蛇穴N「その時間で 出題でオレに勝ってみせろよ」
蛇穴N「もしそれができたら そうだな 教えてやるよ」
蛇穴N「同じ人間なのに意味わからんほど別生物」
蛇穴N「でも 避けては通れない生き物」
蛇穴N「男っヤツを」
蛇穴N「心理学でも 生物学でも なんなら実践でも」
蛇穴N「まぁ 勝てたら の話だけどな」

 それから生徒は面白半分本気半分で、
 蛇穴に出題をするようになる。
 入れ替わり立ち代わり。あの手この手で。
 今日も、目の前の扉を開ければ戦いが始まる。
 れいりが扉を開ける。

蛇穴「ありがとう」

 れいりは何の反応もしない。
 そんなれいりに、蛇穴は笑顔を持てあます。

 ――さてと。

 蛇穴の視線は扉の向こう。
 口の端が釣り上がる。
 しわくちゃの紙が、逆再生のように綺麗に伸びていく。
 蛇穴の、教師の顔。
 教室の扉が開かれる。

1.2:東雲ルル

ルル「おはようございます 蛇穴先生」

 扉を開け終えるのも待たず、元気な声が飛ぶ。

ルル「待っていました!」

 はつらつとした言葉は、敬意と親しみが込められている。
 長身の少女の爽やか笑顔。
 短く切られた髪に、細く締まった身体。
 スポーツ経験者の明朗な挨拶。
 まるく開かれた目は人懐こく、
 幼さと可愛らしさが残っている。

 役職:野球部副部長
 部長を進められるも固辞。
 「私は、人の上に立つ柄じゃないから」
 「縁の下で、人と人を繋ぐ手助けをしたい」

 本人たっての願いで副部長に収まる。
 率先して裏方にまわり、チームのみぎりとなる。

蛇穴「朝から元気だな」
ルル「一晩寝ずに練った『とっておき』です」
ルル「今回こそは先生に勝たせて頂きます」
蛇穴「そいつは楽しみだ」
ルル「お時間を頂きます 東雲しののめルル」
ルル「参りますっ!」

 ルルは蛇穴との間を測り、半歩後退。
 それから言葉を紡ぎ出す。

ルル「知識よ その姿を 書に変え現せ」
ルル「Bookブック ofオブ Negatorネゲター

 ルルの周りに小さな光が浮かぶ。
 渦巻きながら一箇所に集まり、一冊の分厚い本になる。
 「ブック」と呼ばれるそれは、ルルの知識が具現化されたもの。
 ルルの本は特異だった。
 汚れた赤と黒の装丁。
 文字が性格を現すように、ブックもまた人格を現す。
 白抜きにされた表題は、所有者の想いをあらわす。

表題:Negatorネゲター → 否定者

 否定の対象は元父。
 幼い時分に、大切な母と自分を捨てた非情の男。
 その男に復讐するために、人生と知識を捧げる。
 怒りと誓いを忘れないために、黒炎の意志で覆った。
 集められた知識は全て、復讐の為の武器。
 その中の一つを、蛇穴に向ける。

「第9章 527ページ」

 本が開かれる。
 ページから言葉が光となって浮かび上がる。
 蛍のように宙に漂っていたそれが
 ルルの『出題』で、渦巻きながら再構成さる。

◆ ◆ ◆

出題(出題者:東雲ルル ジャンル:難読漢字)
   :「四月一日」と書いて「わたぬき」と読みますが、
    「八月一日」と書いて何と読むでしょう?

1:ほずみ
2:わくぐり
3:すなどり
4:おおはらい

◆ ◆ ◆

 時間の流れとともに、教育は変わった。
『広く・深く・柔軟な知識』を目標に指導内容が見直され。
必須知識は際限なく拡大された。
そして同時に、譲歩が行われた。
『出題』においては、判断材料を提示する形式に統一。
すべて、制限時間30秒の4択問題のクイズ形式で問われる。

 ブックが出題を読み終え、デジタル数字が空間表示された。
 時間は30秒。ひとつずつ数字が下がっていく。
 蛇穴、目が三日月に歪む。
 右手の教科書で、歪む口元を隠している。
 左手が勇み震える。
 強く拳を握り、震えを止める。
 それに1秒かかった。

 蛇穴、一呼吸。
 それから知識を検索、統合、推測。
 仮定を集め、類推し、結論を出し、精査。
 それらを終え、右手をおろす。

蛇穴「答え前にひとつ聞きたい」
蛇穴「ルルの得意科目は理科だったはずだ」
蛇穴「それが難読漢字?」

 蛇穴の問いに、ルルの胸がジクジクとする。
 その感情を噛み殺し、鋭い眼差しで返す。

ルル「蛇穴先生 今のボクは出題者です」
ルル「そして 先生は回答者です」
ルル「『問題に関係ないことは答えられない』」
ルル「それ以上 言うことはありません」

 ルル、鋭い視線と語気。
 蛇穴、優しく目を細める。

蛇穴「そうだな いや すまない」
蛇穴「今は出題の方に専念しよう」

 蛇穴、選択肢の前に立つ。
 誰に言うでもなく、語り始める。

蛇穴「四月一日の由来は」
蛇穴「4月1日に寝具の綿を抜く神事からだ」
蛇穴「古いものを 新しく生まれ変わらせる」
蛇穴「どの宗教にも見られる 転生の概念」
蛇穴「特別な日をその行事の名前で呼ぶ」
蛇穴「だから八月一日も 8月1日に行う神事の名前なんだろう」
蛇穴「この時点で『すなどり』は無くなる」
蛇穴「『すなどり』は漢字では『漁り』だ」
蛇穴「これは『あさり』とも読める」
蛇穴「元は魚や貝を取ることだが」
蛇穴「『漁る』が否定的な意味合いを持つことから」
蛇穴「神事ではない」
蛇穴「残りは3つだな まだまだ解答にはたどり着かない」
蛇穴「そこで出題の仕方に注目しよう」
蛇穴「問題文では四月一日を例に出した」
蛇穴「それがヒント」
蛇穴「意識しなければ見えない 蜘蛛の糸だ」

 ブックが残り20秒を告げる。

蛇穴「四月一日で『わたぬき』」
蛇穴「漢字4文字から読みも4文字」
蛇穴「そこから『わくぐり』が候補に上がる」
蛇穴「次点で『おおはらい』 『ほずみ』は3文字だ」
蛇穴「漢字4文字に対して 読み仮名3文字だったら」
蛇穴「どこが『ほ』で『ず』で『み』になるのか分からない」
蛇穴「よって『ほずみ』は脱落」
蛇穴「残りは2つ 『わくぐり』と『おおはらい』」
蛇穴「ここで『はらい』に注目しよう」
蛇穴「『はらい』は『祓い』だ」
蛇穴「ざっくり言ってしまえば『掃除』だな」
蛇穴「掃除ってのは物事の最後にするものだ」
蛇穴「『はらい』もそうだ その月の最後の日に行う」
蛇穴「これで『おおはらい』は無しだ」
蛇穴「消去法で残ったのは『わくぐり』だな」

 残り10秒。そう、ブックが告げた。

蛇穴「でも それこそがルルの思考であり 癖だ」
蛇穴「最もらしいものに目を移させる」
蛇穴「だが本当は 外させた選択肢の中にこそ 正解がある」
蛇穴「無意識の思考手順」
蛇穴「だったら 正解は『ほずみ』か」

 ルル、口元が固まる。
 忌々しいまでに、苦々しいまでに、清々しいまでに。
 言い当て・・・・られる。

ルルM(その通りですよ 先生)

 自分の弱さを、全て暴かれる悔しさ。
 だがルルは、その弱さを差し出す。

ルルM(先生なら そんなこと当然・・気がつきますよね)

 自分を理解してくれる蛇穴への信頼。
 それを利用する・・・・・・・

ルルM(来てくださいよ その先に さぁ!)
蛇穴「だがお前は そこで止まるやつじゃない」
蛇穴「自分の弱さを 認められないやつじゃない」
蛇穴「きっとその先に 答えを置いている」
蛇穴「『ほずみ』ではなく 別の何か」
蛇穴「そう考えると まさか『すなどり』までありえるのか」

 蛇穴、表情が曇る。
 思考に戻っていく。
 残り5、4、3。

蛇穴「この感覚だ 正解はひとつだけのはずなのに」
蛇穴「全部ありそうに思える」
蛇穴「そして 全部あり得なさそうに思える」
蛇穴「最高だ」

 蛇穴、嬉々とした表情を浮かべる。
 残り2、1。

蛇穴「ありがとう ルル」

 蛇穴、細く長い指で選択肢に触れる。

→1:ほずみ
 2:わくぐり
 3:すなどり
 4:おおはらい

蛇穴「聞かせてくれよ、正解を」

 ブックが、その結果を告げる。
 軽妙な効果音と共に、紙吹雪が舞う。

―――正解です。

 問題文と選択肢もろとも、大きな赤い円が張り付く。

ルル「負けました 全力を出しました」
ルル「それでも 勝てませんでした」
蛇穴「何かを始めるのが1日」
蛇穴「片付けて0にするのが月末」
蛇穴「あとは『くぐる』の概念を知っていれば」
蛇穴「『わくぐり』正解では無いことがわかる」
蛇穴「くぐった先にあるものは 必ず新しい世界だ」
蛇穴「新しいものは1と解釈されるだろう」
蛇穴「だったら、くぐることは、0にすること」
蛇穴「これは掃除と一緒だな」
蛇穴「だから 祓いの一種なんだろうな」
蛇穴「丁寧に考えていけば 必然的に『ぼずみ』が残る」
蛇穴「良い出題だったよ」
蛇穴「そんなことより さっきの質問に答えてもらおう」
蛇穴「どうして難読漢字なんて出題した?」
ルル「はい 先生は理系です そしてボクも理系です」
ルル「勝つためには 理系の出題ではダメだと思いました」
蛇穴「だから 文系の問題を出題した と」

 ルルは首を縦に振る。
 蛇穴は、深い溜め息をつく。

蛇穴「違うぜ ルル」
蛇穴「勝ち負けにこだわっているうちは いつまでもナマクラだ」
蛇穴「本物はその身を熱せられ 叩かれ 冷やされ 鍛えられる」
蛇穴「強くなりたいなら その苦痛から逃げるな」
蛇穴「負けた数だけ強くなれるんだから」

 ルル、下を向く。

ルルM(そんなことは わかってる)

 悔しさで、奥歯を固く噛み絞める。
 蛇穴、ルルの頭に手を置く。

蛇穴「そんなことは分かっているな お前だから」

 ルル、顔をあげる。
 蛇穴、笑いかける。

蛇穴「焦るなよ ルルの目的がなんであれ」
蛇穴「今という時間は 今だけなんだ」
蛇穴「よく聞いた話だろ 本当なんだぜコレ」
蛇穴「だからさ だまされたと思って毎日を楽しめよ」

 ルルの目に涙が溢れる。
 非力な自分への悔しさ。
 それ以上の嬉しさ。
 ルルが復讐の為に捨てたもの。
 今という時間を、蛇穴は拾って手渡してくれた。
 涙が止まらない。

ルルM(泣くな!)
ルルM(泣いて逃げるな! どんな状況でも 前を向け!)
ルルM(今の気持ちを伝えろ! 感謝を伝えろ!)
ルルM(もっと大人になるために もっと強くなるために)

 唾を飲み込み、強ばった喉を震わせ、言葉を紡ぎ出した。

ルル「――あり が」

 唐突に切られる、ルルの言葉。
 2人の横に三股槍トライデントが直下。
 ルル、怪我なし。
 蛇穴、怪我なし。
 ルルのブックだけが貫かれ、地面へ張り付けられる。
 ルル、悲鳴を殺し、膝をつく。
 貫かれたブックに向かって、震える手を伸ばした。
 その手が書にたどり着く前。
 綺麗に磨かれたローファーが、ブックの上に乗せられる。
 「っん」という声とともに抜かれる槍。
 ルルの頭の上から、声がした。

トワ「敗者は去りなさい それがマナーですわ」

 声は向きを変えて、続けた。

トワ「先生の御高説ごこうせつ 拝聴はいちょういたしました」
トワ「ですが 生徒を待たせるのは感心いたしませんわ」

 トワ、邪魔だと言うように、足元のブックを持ち主の方へ蹴り飛ばす。
 貫かれ、無残な姿になって、ルルのもとへ。
 ルルはブックを抱いてその場を去る。
 トワ、それを見て鼻を鳴らす。
 見るに耐えない、というように視線を外し、蛇穴の方を向く。

トワ「字深あざみトワ 参ります」

1.3:字深トワ

 字深あざみトワ
 役職:生徒会員。その他多数。
 60を超える部活動と委員会で、長を戴く。
 生徒会員の一人であり、同時に中間役を担う。
 全てを一人で担う傑物けつぶつ
 人間を超えるために、生まれてきた生き物。

 トワ、引き抜いた三股槍を、蛇穴の喉元に向ける。

トワ「お覚悟を」

 トワの挑発あいさつ
 蛇穴、笑いながら。

蛇穴「武器を振り回してはしゃぐなんて まるで子供だな」
蛇穴「まあ 19も差があったら」
蛇穴「相手のことなんて 理解出来なくて当然か」

 19の意味。
 年齢差。
 蛇穴の37。和和の18。
 19=37-18。

 それを強調するように、蛇穴は空中に将棋盤を表す。
 蛇穴の陣営。王とその軍勢。計20枚の軍勢。
 トワの陣営。たった1枚の玉。

 蛇穴から見れば、トワなんて19枚落ち同然。
 負ける道理がない。
 蛇穴の挑発あいさつ
 トワ、すぐにそれを返す。

トワM(であれば先生 それはソレを武器にしますわ)

 トワ、槍先を下げる。
 反転。敬意を示す。

トワ「経験では 先生にかないません」
トワ「ですが経験は 可能性には敵いません」
トワ「であれば私は 可能性で勝負いたします」

 トワ、盤面を半回転させる。
 軍勢が総入れ替え。
 トワの軍勢。蛇穴の裸玉。
 相手の武器を綺麗に返す。
 それが蛇穴への返答。
 蛇穴の顔が、ニヤリと歪む。

蛇穴「まだだよ トワ それじゃ全然足りない」
蛇穴「先手をくれてやる さぁ指せよ 王将」

 トワの視線が、怒気で鋭くなる。
 それも一瞬。
 トワ、鼻を鳴らして切り上げる。
 お互いお遊びじゃれあいはここまで。
 蛇穴の望む出題へ。

 トワ、三股槍を宙に放つ。
 槍は光に包まれて形を変え、光の塊になった。
 凛となる風鈴のような、トワの声。

トワ「先生は音楽は嗜みますか?」
蛇穴「全くだな」
トワ「では お楽しみ下さい」

 トワ、指を鳴らす。
 光の塊は書の形へ。
 詠唱は無し。
 超一流の所業を「それが当然」というようにやってのける。
 トワのブックがその姿を現す。
 黒と白モノトーンの表紙。
 黒の意味 ⇒ 色の減法混色。
  全ての色を混ぜ合わせ、できた黒。
 白の意味 ⇒ 光の加法混色。
  全ての光を混ぜ合わせ、できた白。
 すべてを一手に集めた結果、できた黒と白。
 表題:Androgynosアンドロギュノス → 両性具有。
 一であり全である。
 完全無欠の一個体。

トワ「第8章 324頁」

◇ ◆ ◇

出題(出題者:字深トワ ジャンル:音楽)
  ハイドンがヨハン・ペーター・ザロモンに招かれ、ロンドン訪問にあたって作曲した交響曲、ロンドンセットは全部で何曲?

 1:11
 2:12
 3:13
 4:14

◆ ◇ ◆

 ブックが出題を読み終え、デジタル数字が空間表示される。
 蛇穴、右手を口元に持っていく。
 喜びに歪む口元を隠す。
 知っていればそれで終わり。
 機械的に選択肢を選び、正解を受け入れるだけ。
 無機的な作業。
 まるで砂を噛むような、一人の朝食。
 そうはならない喜び。
 左手が、ポケットの中で震えた。
 その震えが収まるのを数えて待った。
 2秒。
 右手を下ろす。
 いつもの仏頂面で、問題文に目を見やる。

蛇穴「ハイドンねぇ」
蛇穴「いやいや参った 音楽となると全く未知の領域だ」
蛇穴「ハイドン その生涯で数多くの交響曲を残し」
蛇穴「交響曲の父と呼ばれる稀代きだいの音楽家」
蛇穴「ロンドン訪問は2回と記憶しているが」
蛇穴「その間に書かれた曲数? 欠片ほども興味のないものだ」
蛇穴「全くお手上げだ」

 蛇穴、右手を上げる。
 降参の手振り。
 でも、左手はポケットの中。
 
蛇穴「だが 楽しんでくれ とはよく言ったものだ」
蛇穴「音楽として出題 でも聞いているのは曲数だ」
蛇穴「その数字を料理してみよ と。」
蛇穴「実に気の利いた出題じゃないか」
蛇穴「ではご覧に入れよう 数学という万能鍵の実演だ」
蛇穴「数字なんて ただの記号 それ以上の意味はない」
蛇穴「だが数学は そこに意味を見いだせる」
蛇穴「ちょうど国語が文字という記号から」
蛇穴「異国の風景や 人物の心情を伝えるように」
蛇穴「意図して紡がれた言葉があれば」
蛇穴「そこには意味が生じるように」
蛇穴「数字に秘められた 意味を解き解すことができる」
蛇穴「数字を意味に 意味を数字に置き換える技巧ぎこう
蛇穴「フェルミ推定だ」

 書が残り20秒を告げる。
 
蛇穴「ハイドンの生涯は77年」
蛇穴「そのあいだに108もの作曲を行っている」
蛇穴「仏教の煩悩の数と一緒だな」
蛇穴「仏陀は生まれてすぐに言葉を話したというが」
蛇穴「いかに稀代の作曲家でも、生まれてすぐ曲を作った」
蛇穴「ということはないだろう」
蛇穴「5年分を取り除いて 72年間作曲したとしよう」
蛇穴「しからば1年当たり 1.5曲だ」
蛇穴「さらにハイドンは 2度ロンドンに訪問している」
蛇穴「その時期は1791~1795の5年間」
蛇穴「よってその間に作曲された数は7.5曲」
蛇穴「だがその数字は選択肢の中にない」

 残り10秒の声。
 蛇穴、変わらず続ける。

蛇穴「流石にこれだけでは荒すぎる」
蛇穴「もう一つ要素を考慮しよう」
蛇穴「音楽家が新しい環境という刺激を受けたらどうなるか」
蛇穴「創作速度も上がることは 想像にかたくない」
蛇穴「1.5倍の早さで作曲できたとしよう」
蛇穴「いや 整数になるように1.6倍とした方が美しいか」
蛇穴「あとは単純な計算だ 7.5×1.6=12 答えは12だ」

 立板に水が流れるような澱みのない言葉。
 まるで物語を朗読されているよう。
 聞き入って、そして気がつけば終わっている。
 ほとんどの者がそう感じた。
 ブックが秒を読み上げる。
 3、2、・・・
 蛇穴、残った時間でたっぷりと出題者を見ていた。
 トワはずっと、その視線を受け止め続けた。

―――1

 蛇穴の長い指が、選択肢に触れる。

 1:11
→2:12
 3:13
 4:14

トワ「あら 答えられてしまうのですね」

 トワ、残念そうに。
 そして、愉快そうに。
 蛇穴、それを黙って見ていた。

 一瞬の間。

 軽妙な効果音と紙吹雪。
 正解を告げる、トワの書。
 選択肢もろとも、大きな赤い丸が付いた。

蛇穴「さて それじゃあ」
蛇穴「こちらも1つ聞かせてもらおうか」
蛇穴「今回の出題の意図を」

 トワ、黙して語らず。
 
蛇穴「お前の考えたシナリオにそって」
蛇穴「オレを動かそうした理由を」

 トワ、目を細める。
 相手が自分の想定を超えてきた驚き。
 積み木を、不意に崩された衝撃。

トワ「こんな味がするんですね」
トワ「まるで埃を噛むよう」

 言葉と一緒に吹き出したトワの怒りは、蛇穴の髪を揺らした。
 理性が振り切れる寸前。
 それが嘘だったかように、トワは穏やかに言った。

トワ「マジックミラー越しに 指をさされた気分です」
トワ「一体 いつからお気づきになられたのですか?」
蛇穴「出題からだよ」
蛇穴「本当に勝ちたいのなら 音楽記号の意味とか」
蛇穴「数字のかかわらないものを出題するだろう」
蛇穴「それをわざわざ曲数で聞いてきた」
蛇穴「数学の教師に 数字を問うてきた」
蛇穴「それで 正解させるつもりだろう思ったよ」
蛇穴「トワなら フェルミ推定を使うことは」
蛇穴「容易に想像できただろう」
蛇穴「だとすれば 先に答えを用意して」
蛇穴「あとは その答えに辿り着くように」
蛇穴「問題文と選択肢を用意すればそれで出来上がりだ」
蛇穴「数に慣れ親しんでいれば 難しいことじゃない」
蛇穴「そうだろう?」

 トワ、黙っている。

蛇穴「だが 全部がわかっているわけじゃない」
蛇穴「なぜそんな事をしたのか それはわからなかったよ」
蛇穴「人の歩く道を予想して その通りに歩かせる」
蛇穴「そんなことに 一体どんな意味があるのか」
蛇穴「カオス理論? ランダムウォーク?」
蛇穴「いろいろ考えたが どれもしっくり来なかった」
蛇穴「だから教えてくれトワ お前のやりたかった事を」
トワ「そこまで分かられているなら」
トワ「もうわかっているのではありませんか?」

 トワ、確かめる様にそう言う。
 蛇穴、肩をすくめて返した。

蛇穴「誓って言うよ この部分はオレの負けだ」
蛇穴「モルモットが 何をされているか知らないように」
蛇穴「オレには トワの考えていることは分からなかったよ」

トワ、慎ましく笑い言う。

トワ「過大評価を頂いているようで」
トワ「そこまで言い当てられたら」
トワ「私の手に入れたものは勝利ではないでしょう」
トワ「だからといって敗北でもないようです」
トワ「今回は引き分けとしましょう お話しますわ」
トワ「先生の辿りついた所に見合う位までは」
トワ「実験ですよ 机の上の理論は どの程度現実的なのか」
トワ「私の考えた通りに人は動くのか」
トワ「それを確かめてみたかっただけです」
蛇穴「人を思い通りに動かす か」
蛇穴「ここの英語教師も そんな事を言っていたな」
蛇穴「もうだいぶ 昔の話だが」
蛇穴「オレには分からないんだが その先には何があるんだ」
トワ「それはまた次の機会としましょう 先生」

 トワ、身を引き、恭しく一礼をする。
 道を開ける。
 蛇穴、やれやれと息を吐き、進む。

 やっとたどり着いた教卓。
 そこでは眼鏡をかけた女子生徒が、教卓に座っている。
 その生徒に蛇穴は言う。

蛇穴「そこに座ると 尻と精神が捻じ曲がるぞ」
ケイ「それは 先生のことですか?」
蛇穴「ここの英語教師のことだよ」
ケイ「確か今日は 英語があったはずです」
ケイ「お伝えしておきますよ」

 蛇穴は鼻で笑って返した。

蛇穴「おしゃべりはここまでにしようか」
蛇穴「なにぶん時間がないんでね」

 女子生徒は乾いた笑顔を返しブックを開く。

◇  ◇  ◇

出題(出題者:日向ひなたナシ ジャンル:ノンジャンル)
  :最も多い離婚の原因は何か?
 1:暴力
 2:浮気
 3:性格の不一致
 4:浪費癖

◇  ◇  ◇

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