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透明の翼(2/2)



 ❞透明の翼❞(2/2)




なんと、広げた翼の羽根の先端部分を、器用にこすりあわせるようにして音声をつくりだすと、それがことばになるのである。
自分をいのちだ、と、いまはだれかにかけたことばでもなく、羽根のまさつによって、そういう音声が自然に発声できたというだけである。だがその瞬間、セマンは、自分がいのちであると思うこともできたのである。
 
つまり、はじめに自覚をうながす、セマンの発声練習であったのだ。
セマンはいのちという、たんに抽象の翼であった。抽象という、それは大きな世界、広い世界を飛翔する小さな翼であった。
「セマン。わたしのこの声がきこえているでしょう」
どこからともなく、洞窟のなかをこだまして、優しい声がする。
その声は、遠い天空のかなたから届いていた。セマンは恋しいその声に、思わずなつかしむように反応する。
 
「あ、母上!」
母の名はメロード。地上のいのちをまもる天空の母である。
メロードは、セマンがいのちのすがたで飛翔していること、いのちとしての自覚も芽ばえたことによろこんだ。
「そこに無事におり立って、ほんとうによかったわね。安心しましたよ。これから、あなたには大事なやくめがあるのです。それが何かは、やくめがはじまればわかることでしょう」
 
ゆったりとこだまするメロードのことばに、セマンはなっとくしていた。
大事なやくめときいて、それが楽しみなことであった。それに、セマンは、何がきても恐れない自分であることに自信があった。
「母上。ぼくはいのちなんだ。こわいものなんかないよ。だって、こんなに美しい翼と光をもっているんだから、どんなに高いところにも、どんなに暗いところにも、自由にこの光を放っていけるよ」
 
それをきいて、メロードは天空のかなたでほほ笑んだ。
大事なやくめ。――
まさに、《大事》というのは、重大なことであり、たいへんなことである。
何が、なぜ重大か。
 
それは、セマンのやくめが、生まれてくる人の、意味ある行い、正しい行いにつきそい、いのちのかぎりをつくして、ささえてあげなくてはならないからである。
また、たいへんなことというのは、意味ある行い、正しい行いにつきそうにしても、人の悪戦苦闘にまみれる長い道のりや、多くの危険を取り除いてあげることが、セマンにはできないのである。
 
「ところで母上。ぼくのやくめはいつから?」
セマンは、人を待つのははじめてで、そこが今一わかっていない。
「ふふっ、待ち遠しいのね。もうすぐですよ」
メロードにはセマンの心境がわかった。
「セマンのやくめは、人の大事ないのちです」
「うん、それはもうわかっていますよ、母上」
と大きくうなずき、話のつづきを待った。
 
「この洞窟はね、あることを人にわかってもらうところなのです。それは《夢を見る》ということです。セマンのさいしょのつとめは、この洞窟でいい夢を見てもらえるきっかけをつくってあげることです」
「いい夢・・・、夢をみてもらえるきっかけ・・・」
セマンは、そのことが何かを考えていた。
 
「母上。ひとつきいてもいい?」
 念のために、たずねておきたいことがあった。
「なに?」
「その・・・、意味ある行いとか、正しい行いとか・・・、たとえばどんなことかと・・・、ううん、つまりそのう・・・」
口ごもるようにたずねるセマンであった。
 
メロードは、セマンのいうことが、どんなにむつかしいことかを知っていた。
つまり、人にとっていい夢とはいうものの、それがいったいどういうものであるかをきめつけるわけにはいかない。
そこで、メロードはこれにわかりやすく答えた。
「はじめはわたしの世界を夢にしてほしいのです」
(母上の世界を夢に?)
 セマンは、そうきき返そうとしながら、なぜかほっとしていた。それなら、むつかしい話ではない気がしたからである。
 
「母上の世界が、その人の夢にあらわれればいいんだね?」
「そうなのです。わたしの世界というのは、三才の世界なのです。三才というのは、ようするに大自然のことをいうのです。ほら、天と地と人、の三つの力なの。空は青くてきれいな空気があって、白い雲が流れてめぐみの雨もふる。ときには、雷がとどろいたり嵐がきたりって、いろいろあるでしょう。いまセマンの居る星の半分いじょうにきれいな海が広がっていて、そこは潮風が吹いて、緑のきれいな陸や島が浮いているでしょう。そういうところにこそ、人の生きる精気がみなぎっているのです。それが三才という世界なのです。そこには、意味あること、正しいことがいっぱいです。きれいなものを感じるのは、何かのわけがあってそう感じるものです。そこに意味とか、正しさがあるものです。人は、その美しい世界を知ることで、きっといい夢をみることになるでしょう。わたしの願いはそういうことです」
 
 セマンにはよくわかった。
「三才の世界。ぼくにもよくわかるよ。そこは、自然のままで生きてるもの、咲くべくして咲く花や、しげるべくしておいしげる草や木ばかりだし、鳥や虫たちも調和して飛んでいて・・・。だから、そこで生きていれば、天も地も人も輝いていて優しいし、大自然のなかで、どの花の色も緑も美しいし、いうときりがないくらい、そんな三才、ぼくも大好きだ。大丈夫だよ。ぼくも、そんなすばらしい世界をいっぱい知ってるから・・・」
 そういいながら、
「ところで、ぼくはここにいつまで居られるの?」
 すると、
「その人がこの洞窟を立ち去る日までですよ。それまでは、いい夢をたくさん見てもらってくださいね」
 
つづく
 

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