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なぜか大家族に迎え入れてもらう

旅の話 エジプトあたり編5 ホームステイ決定

私を乗せて
家族の車はゴトゴト走る。
砂漠の中の道をゴトゴト走る。

どこへ向かっているのかはわからなかったけど
地図ももっていないし(港のツーリストインフォメーションは固くシャッターで閉ざされていた)
聞いたところでわからなかったと思う。

車の中には
ぎっしり家族が乗っている。
お父さん、お母さん、子供たち。総勢8人くらい。

運転席と助手席に乗っている若い美男美女のカップルは
美男の方がこの家の次男で、
美女はそのお嫁さんなのだそうだ。

次々に、
自分の胸をさしながら自己紹介が始まる。
ムハンマドとモハメッドと、アフマド…。

美男だけ、
『リチャード』と名乗った。
それを聞いて、
私は不思議そうな顔をしていたらしい。
自分はホテルで働いているのだが、
イスラムの名前を名乗ったところでお客さんが覚えないから
対海外では、イングリッシュネームを名乗るのだ
と教えてくれた。
だからって名前みたいに大事なものを気軽に変えなくても
名前って親がくれた最初のプレゼントみたいなもので
いろんな願いがきっと詰まってるのにね
と若かりし私の胃の中はもぞもぞした。


なお、
この家族で英語が話せるのは、
この美男だけ。
必然的に美男氏が通訳となり
いろいろ聞かれる。

どこへ行くのか
なにをしにヨルダンに来たのか
ヨルダンをどう思うか。

ヨルダンとヨルダン人であることを誇りに思っている様子の
彼らの前で
「適当に船に乗ったらヨルダンについた」
というのがはばかられ、

「憧れの遺跡、
ペトラが一目見たくて」
とつい言ってしまった。

ペトラ遺跡がインディアナ・ジョーンズの撮影で使われたこと
首都がアンマンであるということ
ヨルダン川西岸はやべー
というのが、その時、私の知っているヨルダンに対する知識のすべてだった。
西岸がやべーとはいっても
正確に西岸がどこまでのエリアを指すのか、と言われると
相当に微妙であった。
つまり、無知の極致みたいな状態である。

「ふむ、君はペトラ遺跡に行きたいんだね?」
恰幅のいいお父さんが、私に確認をする。


はい。

そう答えたら、
ヒソヒソヒソヒソヒソ

お父さんとお母さん相談が始まった。

子供たちもなぜか息を詰めて
二人の話を二人の話を聞いている。

その時点で「ペトラの近くで私を落としてくれるっていう相談してるのかしら。」
くらいに思っていた私は
立派な甘ちゃんであった。

「よし」
的なことをお父さんがいい
こちらを振り向いて何か言った。

子供たちがわあっ!と声を上げる。

そして、
こちらを向いたお父さんが何かを私に話かかける。

次男氏から通訳される。

それは、
「両親が君を招待することに決めました。
君は、僕たちの家にステイすればいい、好きなだけ。
ペトラには毎朝送って行ってあげると
言っています」
インビテーションだった。

とはいえ!

このご家族の住む町がどこなのかもわからないし
家に転がり込んで
いったいどうなることやら。。。
ヨルダンから手紙か電話の一本でも
日本に入れておかないときっと家族にも心配されるし
ここは国際電話ができる(というか、電話がある)ホテルのほうがいいに決まってる。

私はそう考えた。

そして、

大変ありがたいが、
ご招待をお受けするのもなかなかむつかしい
ご厚意には心より感謝する
しかし
近くの街まで送ってくださるだけで
構わない、


丁寧にお断りする。


次男氏が
それをパパに訳す。


パパが手と首をすっと横に振り


・・・却下。


かくして
私は自分がどこにいるのか
いったい、ここにいていいのか
そんなこともわからぬまま
ヨルダン・パパとヨルダン・ママの家にたどり着き
「それじゃあ、僕たちは自分たちの家に帰るから」
と次男氏は車で立ち去り…。


居間で紅茶をすすり、身振り手振りと電子手帳で
会話を成り立たせ…


しばしの時ののち、
家の一番奥の、
パパとママの寝室にある
巨大なベッドに
なぜか
パパとママに挟まれて、
川の字になって、眠ることとなった。


ヨルダン1日め、これにて終了。

ありがとうございます。毎日流れる日々の中から、皆さんを元気にできるような記憶を選んで書きつづれたらと思っています。ペンで笑顔を創る がモットーです。