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ひとり暮らしレポート 五月病

万年五月病のわたしだが、今年は思いのほか気分が落ちている。GWを過ぎるころには少しずつ鬱から躁へ移行していくのだが、なんだか速度が遅い。歳を重ねたからなのか。もうすぐ友人(仮)の結婚式があり、招待状が届いた。それの返信をポストに落とすまでに約3週間もかかってしまった。あらゆる「ご」は消したのに、「させていただきます」を書き忘れたことに、ポストインする瞬間に気づき、もういいや、どうでもいい、となった。おめでたいことでも、なんだか辛い気持ちになるのはなんでだろう。先日、別の友人のLINEアイコンに子供の数が増えていた。そうか、あの子は「子供は三人ほしい」と言っていた。叶えたのか。そうか。すごいなあ。えらいなあ。がんばったなあ。と、愛しい気持ちになった反面、彼女は有言実行しているのに、わたしはまったく何をしているんだか、と、また勝手に落ち込んだ。
こういうことで落ち込まないための方法は、自分の外見のための投資とライブへ行くこと、そして旅行だった。コロナによって奪われた、わたしのたいせつなケアだ。友人に会って話すことや、共感してもらえなくていいから話を聞いてもらうこともそう。お互い仕事でバタバタしていて、休みに出かけられないのに仕事には出かけなければならなくて、お金はたまらないし、無気力になるばかりだし、仕事は忙しいし、教えてもらってないことをとりあえずやってみてだし、わたしがやってないことまで指摘されるし、これから何を選んでどうやって生きていけばいいんだろうと、また途方に暮れている。せめて、と続ける毎日の勉強。そうだ、英語のテキストを買おう。何かを選びたい時のためのカードを、ちゃんと持っておかなければ。こんなにネガティブでこんなに卑屈で、こんなに怠け者のわたしだけれど、それでも生きねばならぬとあらがって、ちっぽけだけど清廉な自尊心とわたしの正義を守って、それをみててくれる友人、励みになると言ってくれるかけがえのない友人がいることを、忘れないで。
いまはせめて、小さな足掻きをやめないこと、うつくしい自分を持って保つことに尽くそう。