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我々はママ友がいなくても生きていける

自分を棚にあげて何を言ってるのかとも思うけど「ママ」という生き物に集団で囲まれるととても居心地が悪い。

一応保護者会とか行くと愛想よく世間話ぐらいはするけど、基本的に「いろいろな人間がいるな…」とちょっと面白がりつつ、面倒なので適当に参加して、適当に帰るようにしている。

ママ友とお茶会とか、聞いただけで背中にムカデが入ったような気持ちになる。多分最初に見たママ友という言葉が旧2ちゃんねる鬼女板(既婚女性の掲示板。本当に鬼が住んでる。)の壮絶体験だったせいだと思うんだけど、お近づきになりたくない人たちとお茶する想像しかできない。どうやらママ友とはお母さんどうしの真の友情を示すものではないらしいという認識があって、そこに違和感を感じるんだと思う。

ママ‐とも【ママ友】 の解説
公園や遊び場、保育園や幼稚園などで子供を通じて知り合った母親同士の付き合い。また、その間柄。 (goo辞書)

梅キュウリに梅入ってなかったらただのキュウリじゃん。ただのキュウリにも梅キュウリとか言う場合があるぐらい私の頭が混乱する。どういうこと?多分私が梅という言葉の方をとても大事にしてるのかもしれない。

包丁を持って鳥むね肉を切るだけで「私の肉も切れちゃうのかも」と痛い想像をし、車で自転車を追い越すそうものなら、その自転車を弾いて一生人殺しとして生きていく想像までしてしまうんだから、ママ友という言葉でいくらでもトラブルが想像できる。

あんまり仲良くない人とまるで友達のようにお茶しなきゃいけないとか、気が済むまで愚痴を聴いたら今度は自慢が始まるとか、夫の年収や職業でマウント取られたり、お土産の値段調べられたり、少しでも反抗的な態度を見せたら悪い噂を流されたり、娘にまで被害が及んでガチンコの喧嘩するはめになって、もしそんなことになったなら………娘のためなら例え刺し違えてでも戦い抜こうと決意をした(物理じゃない意味で)。

まだ何も起きてないのにすごく疲れた。

そもそもそんな人とお茶しない。最近本当に逃げ足に自信がついて、参加したくない会合とか可能な限り逃げるようにしてる。逃げる選択肢があるのに限られた人生を金にもならない嫌な事に挑んで自らQOL爆下げしなくても良いことに気づくまでこの年になるまで気づかなかった。

ママ友じゃなくて「知り合いのお母さん」でいい。それなら普通にいるし、言葉と実際の距離感が伴っていて安心する。人と仲良くするということは、仲良くいられる距離にいる事だと常々感じているが、言葉ばかり先に友であると距離を縮められると裸足で逃げ出したくなる。

そういえば娘が1歳半ぐらいだったか,乳幼児健診を受けた時も本当に強烈だった。

集団検診だったのだが,行ってみると待合室には「うちの子が一番!!」と顔面にデカデカと書いてある人々がいて、何された訳でもないのにもう同じ部屋にいるだけでぐったりしてしまった。

別に「うちの子が一番!!」だと思っててもいいけど、そこまで露骨に顔に出さないで欲しいというわけのわからん願望を抱いてしまう。

これからPTAだのでこういう人達と付き合うことになるかと思うと気が重くなった。
もうちょっと「お前のピカチュウも強いけど、俺のピカチュウもなかなか強いぜ」ぐらいの清しさでいてくれないものかと思う。

あれから何年も経ったけど未だに「知り合いのお母さん」がいるのみで「ママ友」なるものは現れず、平穏な日々を送っている。

地元だとそうはいかなかったかもしれない。あ~地元出てよかった。


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