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質問箱への回答⑬『意識レベルの変化と身を置く環境の関係について』

前回の記事で予告(?)していましたが、とうとうSHUREのAONIC 50 gen2を購入してしまいました😊

これは本当に素晴らしいワイヤレスヘッドホンです。音質そのものもワイヤレスとは思えないほどなのですが、なんといってもすごいのは空間オーディオという機能です。これをオンにすると、まるで目の前に大きなスピーカーがあってそこから音が鳴っているような感じで聴こえてきます。ライブ音源だと自分がライブ会場にいるような気分を味わえますし、スタジオ録音の音源でも音に立体感と臨場感がでて、なんというかもうこの機能をオフにして聴くという選択肢がありません。

ちなみにすこし前は Creepy Nuts の Bling‐Bang‐Bang‐Born をめっちゃ聴いていました。いまはpink cashmere さんに教えてもらったOTYKENのMVを空間オーディオで視聴するのにハマっています。OTYKENめっちゃいいですよ!

ちなみにこの空間オーディオは音楽用とシネマ用、それからポッドキャスト用の3種類があって、映画やアニメを観るときはシネマ用にします。これもびっくりで、映画館で観ているのとおなじ体験ができてしまいます。音楽はそんなに聴かないけど、映像作品はたくさん観るという人にも超おすすめですよ。ちょっと高いですが、得られる体験の質を考えればむしろめちゃめちゃ安い買い物だと思います。ちなみにポッドキャスト用は別にあってもなくてもいいかな……。

この価格帯だとソニーのWH-1000XM5やBOSEのBose QuietComfort Ultra Headphones が比較対象になりますが、正直いえば、ノイズキャンセリング性能はこちらの2機種のほうが優れています。音質は、これも好みによるんですが個人的にはAONIC 50 gen2 が一番よいと思います。もっとも、BOSE サウンドもいいっちゃいいんですけどね。しかもBOSEのこれにもイマーシブオーディオという空間オーディオ機能が搭載されています。こちらも出来はよいみたいですが、音楽用と映画用に分かれていないところや、イコライザーの使い勝手(AONIC は空間オーディオONでもイコライザーが機能します)の点ではAONIC が一歩先を行っていると思います。空間オーディオ、一度使ってみたらやめられませんよ!(つづく)

さて、前置きはこれくらいにして本題に入りたいと思います。

今回のご質問はこちらになります。

信じてくださいと言うつもりはないのですが、実は今朝、仕事で自転車を漕ぎながらこれに関連したことを考えていたのでした。最近は自分で記事にして書こうと思っていたことを質問していただけるのでありがたくも不思議な気持ちです。それでは、回答は以下になります。


その人が生きている現実は、その人の意識が創造しています。すなわち、どんな人であれ現実にはその人の意識レベルが反映されています。

ですから、ご質問に対しては、考え方としては基本的にはその通りと答えることができます。しかしながら、意識レベルに合った環境や場所、集団、職種というものを画一的に想定することはできません。

ある人が意識レベル350(受容のレベル)だとします。受容のレベルとは、世の中にはよいこともあれば悪いこともあり、自分の考えや価値観と異なる考えや価値観もあるということを受け容れることができるようになるレベルのことです。

この人がそのような現実を生きるためには、その現実にはこの人からみて悪だと思えることや、この人とはまったく異なる意見や考え、価値観を示す人物が必要ですね。引き寄せの法則的な考え方ですと、意識レベルが350の人の周りにはやはり350くらいの人ばかりが存在することになるわけですが、そんなことがあり得ないのは言うまでもありません。

ところで、この人の意識レベルはすこし以前までは250(中立)のレベルでした。この時点では、この人はまだ世の中の二元的な性質(つまり善悪とか、ある考え・価値観とそれに対立する別の考え・価値観とかが存在していること)を受容するところまでには成長できていませんでしたが、それでも一方的になにかを決めつけたり、偏った立場に固執するようなことはありませんでした。これが中立です。

あくまでこれは例にすぎませんが、中立から受容のレベルへの上昇では、それに伴って環境や暮らす場所、所属する集団、あるいは就いている仕事といったものが変化する必要は特になく、ただ単にその人の現実の見え方が変化しているだけである可能性が高いでしょう。もちろん、環境がガラッと変わることもあるでしょうが、それにはまた別の要因も働いているはずです。意識レベルの変化の本質は言うまでもなくその人の意識の変化であり、外側の現実における変化はあくまで意識の変化が投影されたものです。

このケースでいえば、この人の現実の見え方、受け止め方が変化した(中立→受容)ことによって外側の世界が変化する必要はあまりないでしょう。もちろん、変化がゼロというわけではありませんけどね。

それでは、将来この人が500のレベルに到達するとしたらどうでしょうか? 意識レベル500は愛の領域ですが、同時に霊性についての理解がはじまる領域でもあります(愛も霊性も同じなのですが)。この人がそうなったとき、それまでの環境(ここからは場所、集団、職種などすべて含めて環境とします)で同じように生きられるでしょうか? たとえば企業勤めであったなら、経営レベルの役職につけばこの人の持っている価値観や思想をその企業のパワーに反映できる可能性がありますが、他の経営陣たちの意識レベル次第ではこの人は会社から「浮いてしまう」かもしれません。かといって、そのような活躍の仕方を諦めてひっそりやり過ごすような生き方は、意識レベル500の人物は選ばないでしょう。

このように意識レベルの上部では先ほどまでとは話が違ってきます。400台の人々には研究や開発といったことに従事できる環境が必要ですし、500台下部の人たちは人々を援助できるような環境を望むでしょう。500台上部より上の領域にいる人はスピリチュアルな存在として人々を啓発することに専念できる環境を創造するでしょう。環境が必要、環境を望む、環境を創造すると書き分けましたが、実際にはすべて「創造」です。先にも述べた通り、意識の変化が環境に投影されています。

つまり、先立つのは必ず意識の変化であって、環境の変化によって意識レベルが変わるのではありません。もしあなたが環境を変えたいと思っているとしたら、それはあなたの意識レベルが変化(必ずしも上昇とは限りませんが)していることを示唆しているとみてよいでしょう。あるいは、望む望まざるに関係なく環境が激変するような時というのも、その前にあなたの意識レベルに大きな変化が生じている可能性が大です。

さて、話をまとめてみましょう。意識レベルが上昇しても必ずしも目に見える環境が変わっていくとは言えませんが、それでも本人にとっての現実は相応に変化してくでしょう。とはいえ、上昇の幅が大きくなってくれば当然ながら環境もそれに合わせて変わるはずです。特に、500以上のレベルはそれ以下の物質的領域から霊的な領域にシフトしていくため、身を置く環境も目に見えて変わるでしょう。

もっとも、その人が実際のところどんな環境にいるかというのは本人にしか知り得ないものです。他の人がどう見えるかということは気にしても意味がありません。意識レベルが高い人の暮らしぶりを外形的に真似たところで、その人と同じ境地で生きられるものではありませんからね。

最後にひとつアドバイスをしておきましょう。なんであれ環境を変えたいと思うのであれば、多少の無理をしてでも実行に移すべきです。せっかく意識レベルが先立って上昇しているのにそれに応じた環境を選ぶことを躊躇していると、元の低いレベルへと揺り戻されてしまうからです。あなたが手放そうとしている古い環境には、あなたをこれまで低い意識レベルへと縛り付けていたアトラクターが存在しています。分かりやすくいえば、縁を切るとはそういうことです。


回答はここまでです。

ちなみに、わたし自身が意識レベルの推移とともに大きく環境を変えてきています。30台前半にはベンチャー企業の役員をしていましたが、そこから華麗に転落し、アラフォーに差し掛かった頃には2年ほど自宅で引きこもっていたこともあります。その後、一念発起してマッサージセラピストになりましたが、コロナ禍のはじまった2020年に半年ほど熱を出して寝込んだのち、Uber Eatsの配達員をはじめて現在に至ります。

これらの経過の大半は詳細を in SPIRE に書いていますが、ここで大雑把にまとめれば意識レベルの上昇とともに、まずは関わる人間の数が少なくなっていったなと思います。企業という大きな組織から、マッサージ店という小さな集団へ、そしてUber Eats配達員という個人事業主へと仕事の内容が変わるとともに人間関係と収入は縮小し、代わりに自由度は格段に高まりました。

このnoteとブログの in SPIREも書きはじめてもう5年が過ぎますが、このような活動をわたしが行なえたのも、上記のような環境の変化があったからです。そういえば、2020年のアメリカ大統領選挙とそれに続く諸々の茶番劇について当時のTwitterでさまざまに書き連ねていたら、年明けの2021年の1月にアカウントを凍結されてしまいました。

これはただの凍結ではなく永久凍結でしたが、警告もなにもなくこのような措置がなされるのは異例のことのようです。もっとも、同じタイミングでわたし以外にも多数のアカウントが同じ目に遭っているのですが、凍結された理由も明らかにはされていません。考えられるのは、Twitterのポリシー(当時のTwitterはイーロン・マスクが買収する前で、経営陣はバリバリのリベラル左翼勢力だったようです)に違反していたか、集団的な通報を受けたかのどちらかです。凍結された当時は前者だろうと思っていたのですが、いま思うと後者の可能性のほうが高いかもしれません。

なぜこんなことを書いているかというと、当時のわたしにとってTwitterは日常生活の一部であり、13年ほど使ってきて、投稿しなかった日は一日もないほどだったのです。つまり、Twitterでなにがしか発言したり、あるいは他の人の発言を読むという行動は、今回の話でいうところのわたしの環境の(重要な)一部であったということです。

それがある日突然、永久凍結されるということは、言ってみれば会社から急にクビを言い渡されたのと同じくらいのインパクトがわたしにとってはあったわけです。ですから当初は正直言って焦りましたし、めっちゃ困りました。Twitterでのフォロワーの人たちとは基本的にはTwitterだけでやり取りしていましたから、ほぼ誰にも連絡できませんし、そもそも連絡できたところでTwitterには戻れないのですからどうしようもありません。まあ、多少の手間をかければ別に新しくアカウントを作って復帰することもできましたが、わたしはそこまでやるのはTwitterに完全に依存していると感じたのでしませんでした。

そういうわけで、凍結されてから2ヶ月ほどはTwitterのことが気になっていましたが、あるときに気づいたんですね。すなわち、凍結されてTwitterができなくなったということは「もうTwitterはやめなさい」ということだったのだな、と。

事実、やらなくなってみれば、いままで自分がどれほどの時間と労力をTwitterに割いていたかを実感しました。すべてが無駄だったと言い切ってしまうつもりはありませんが、まあ無駄も多かったことも事実です。しかしより重要な問題は時間や労力を無駄にしたことではなく、その時間や労力によって意識レベルをどんな領域に固定してしまっていたかということでした。

つまり、どんなことに関心を向け、どんな人々と触れ合っていたかということです。もっといえば、Twitterそのものがどのような意識レベルの存在であるかということをまるで考えないまま、わたしはそれをずっと愛用し続けていたのでした。

Twitterをやめて(やめさせられて)、もうかれこれ3年になりますが、実感としてはこの3年間でのわたしの意識レベルの変化は、これまでの人生でもっとも大きいものだったと思います。しかしこれは、わたしの自我がそのように感じるだけであって、実際にはTwitterを凍結された頃にはすでに変化は起きていたのでしょう。

意識レベルが上昇しても、肉体精神機構はすぐにはそのレベルに相応しい活動ができません。それはヴァーサナー(心の傾向)といって、高速で走っている自動車が急には止まれないように、古い信念や古い習慣、古い反応は慣性のように働き続けるからです。ヴァーサナーを消去するには、ヴァーサナーに気づき続けることが必要です。その都度気づくことによって、それは次第に力を失って、いずれは完全に消えてしまいます。

意識レベルが上昇するとき、それに伴って環境に変化は現れますが、それ以上に自分自身の言動や体調などに違和感を感じるはずです。この違和感こそが、以前の低い意識レベルの時代に身につけてしまった古いヴァーサナーへの気づきなのです。

環境の変化のことと合わせて、このことも知っておいてください。人間は本能的に変化を恐れ、安定・安住を求める生き物ですが、それは進化を拒むということでもあります。ですから探求者にとって環境の変化は、それが起こることを待つのではなく、自ら能動的に起こしていくくらいでちょうどよいのです😉✨✨

以上、蛇足が長くなりすぎてむしろ蛇とちゃうやろこれ、みたいな内容になってしまいましたが、参考になれば幸いに思います。お読みいただきまして、ありがとうございました。

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