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あまりによい気候なので仕事を休みにしてあちこち行ってきました。

昨日に続いて今朝の大阪はまったく申し分のない気候でしたので、仕事はお休みにしました。仕事用の自転車は2台持っているのですが、いまメインで乗っているのは Cannondale の Tredwell というバイクです。もう一台は電動アシスト自転車(Panasonic ジェッター)なんですが、いまはこちらがスペアになっています。

普通の自転車は長い間乗らなくても調子が悪くなったりはほとんどしないのですが、電動アシスト自転車はモーターなどの電装品がついている分、たまには乗ってあげてちゃんと動作することを確認しておかないと、いざというときに使えないなんてことにもなりかねません。

そういうわけで本日はこのPanasonic ジェッターに乗ってすこし遠出してきました。行き先は生駒山の十三峠です。

途中でロードバイク勢を何台も追い抜きました😌

はい、到着しました。自宅から峠の麓までがだいたい1時間です。

十三峠は自力(電動アシストではない自転車)では登ったことがないのですが、ロードバイク勢の人たちが相当辛そうにゆっくり登っているところをみると、かなりの激坂だといえます。でも電動アシストのあるこの自転車(ママチャリタイプではなくクロスバイクです)ならぜんぜん余裕です。

電動アシストでチートしたくせにドヤっているおじさんがわたしです(ヘルメットは努力義務です)。

前に登ったときはこのあと奈良方面に降りていったんですが、今日はそこまで足を伸ばす気分でもなかったので休憩したらそのままもと来た道を下っていきます。ダウンヒルは舗装がよい道だと大変気持いいのですが、この峠はアスファルトが荒れているところが多くてブレーキ掛けっぱなしでした。それでも空気は澄んでいるし鳥の鳴き声も聞こえるし、なかなか爽快でした。

若江鏡神社⛩

山を降りてさてどうしようと思って GoogleMap をチェックしたら、わりと近いところにある若江鏡神社という神社にブックマークがしてありました。いつどんな理由でブックマークしたのか全然覚えてないのですが、せっかくだからと寄ってみることにしました。ちなみに若江とか花園のあたりは、小学校2年生になるまで住んでいた地域です。

主祭神は 大伊迦槌大神 と 仲哀天皇 とあります。そして相殿神は 神功皇后 となっています。神功皇后は仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる人ですが謎の多い人物です。卑弥呼と同一人物説もあります(個人的には違うと思いますが)し、天皇として即位したいたのではないかという説もあります。以前古代史をすこし調べていたときの印象では、神功皇后もしくは応神天皇の代で王朝が変わっているのではないかという気もしました。

大伊迦槌大神 については検索しても直接ヒットする情報がないのですが、この神社について調べると、大伊迦槌火明大神 ともいうことがわかりました。これはすなわち、天火明命(あめのほあかりのみこと)のことと思われます。天火明命は瓊々杵命(ににぎのみこと)の兄であると記紀の一書(本伝ではなく参考までに、ある書では○○とある、という風に書かれている文です)にはあります。

しかし、先代旧事本紀によれば天火明命の別名は 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 とあります。つまりこうして辿っていくと 大伊迦槌大神 とはニギハヤヒのことだと分かります。そして思い出しましたが、饒速日について調べていた流れでこの神社が気になってブックマークしたのでした。饒速日は神功皇后以上に謎めいた人物(神)です。事実が明らかにされることはおそらくないでしょうが、たぶん、神武天皇より先に倭国を統治していた王朝の王だと思われます。ただ、その先祖をたどっていけば饒速日も神武天皇もおなじところにルーツがあるような気がします。それがウガヤ王朝なのでしょうか? けっきょく掘り切れないので諦めてしまいましたが、ウガヤ王朝とさらにその前の歴史にはとても興味があります。

これはただの思いつきですが、こうしてある神社にニギハヤヒと仲哀天皇、神功皇后がいっしょに祀られていることを考えると、先に触れたようにもし神功皇后かその子である応神天皇の代で王朝が変わったとするなら、その王朝とはニギハヤヒの王朝の復権ではなかったか? という気もします。つまり、神功皇后はニギハヤヒの子孫だったのではないか、という想像です。正史では語られないような歴史の真実が、さほど有名でもない神社の祭神といったようなところに垣間見られるということは、あっても不思議ではないと思います。

いまの文明の祖はシュメールのあたりで間違いないと思いますが、シュメールにしてもそこでゼロから勃興したわけではないでしょう。アトランティスやレムリアといった前文明がなんらかの理由で滅びたあと、生き延びた人々が落ち着いた先がシュメールだったのだとわたしは思います。そして、シュメールからインドや中国を経て日本列島にやってきたのがニギハヤヒやニニギといった王族であったと考えればだいたい腑に落ちますが、一方でレムリアの時代の日本列島(当時はレムリアの一部だったかも)がどんな様子であったのかも気になるところです。

そんなことを考えながら帰路についていましたが、ふと髪の毛が伸び放題なのを思い出して帰る途中にあるいつもの散髪屋さんに寄ったところ、四天王寺で古本市をやっていると教えてもらいました。四天王寺はそこからすぐ近くです。

けっこうたくさんお店が出ていました。
昔の本のほうが装丁がいいと思いません?

たまたまのぞいてみたお店が古いオカルト本の宝庫でした。ちょうどアダムスキーをあらためて読んでみたいと思っていたのでラッキーでした。奥付をみると1971年刊行となっているので、わたしと同い年です。これも奇遇ですね。あとでちょっと読んでみようと思います。

そんなこんなで15時前には帰宅しましたが、なかなかよい休日でした。来月はまたT君、M君といっしょに奈良県宇陀市にある室生龍穴神社というところへ行く予定です。

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