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質問箱への回答㉕『居心地の悪さを感じているのは誰か?』

6月は旧暦では水無月ですが、梅雨なのに水が無いとはこれいかに? と思って調べてみたんですが、それまで水のなかった田んぼに水を張る時期だからとか、「みなづき」の「な」は「の」にあたる連体助詞「な」なので「水の月」の意味である、とか出てきてはっきりしませんでした。水の月なのであれば「無」という字を使うのはおかしいですよね。まあそんなことよりも、わたしは和菓子の水無月が好きです。

あと羊羹も好きです😋


さて今回は Fさんからのご質問です。いただいた質問はこちら。

あることがきっかけで、とありますね。つまり、その人との関係がギクシャクしているのには原因となる出来事があったということですね。であれば、その出来事の性質にもよるのですが、まず言えるのは、それが解決可能な問題であれば解決を図るように動くべきですよね。

ギクシャクしている、ということはつまり調和を欠いているとFさんが感じているということです。

この世界のすべてはひとつですから、真実の観点からは、どこにも不調和はありません。すべてが調和の中にあると言えますが、ほんとうを言えば調和という言葉も分離の観点からのものであり、真実においては調和も不調和もありません。ただ在るもの、それが世界です。

不調和(ギクシャク)を感じるのはそこに分離を見ているからです。そして、分離を見ているのはエゴ(自我)です。エゴは自らを世界から分離独立した存在であると錯覚しているわけですから、当然ながら自分以外の存在たちもまた分離独立したものであると思っています。つまり、エゴにとっては世界は事物が個々バラバラに存在しているわけです。

すべてのものが分離独立しているからこそ、たまたまその場にある事物に調和を見たり、あるいは不調和を見たりするわけです。調和を見ているときは、そこにあるものはすべてあるべきものに見えており、不調和を見ているときにはそこに存在してはいけない何かを見ています。

不調和を見ているエゴはそこにギクシャクしたものを感じ、居心地の悪さを覚えます。つまり、自分はそこに居たくないと感じます。そこにあってはならないものや、そうであってはならないもの(いずれも人であったりモノであったり、あるいは「空気」であったりします)が在るというのはエゴがそう感じているだけであって、実際にはそんなものはありません。つまり、なんであれ不調和はその人の頭の中にしか存在しないのですが、エゴも実はそのことは分かっていて、それでその場から立ち去りたいと思うわけです。これが居心地の悪さの正体です。

エゴにとっての調和とは、エゴがものごとはこうあるべきだと考えている価値観やルールや基準といったものに適合していることを示しているに過ぎません。不調和とは、そのエゴのルールに反しているということしか意味していません。ある人との関係がギクシャクしているなら、それはその人が自分の思う通りの態度や行動を取ってくれていないとエゴが感じているというだけのことです。

そして、二人の人物の間において、一方がその関係をギクシャクしていると認識しているなら、その相手方もまた同じように認識しているはずです。つまり、どちらにとっても相手が自分が期待しているのと違う様子でいるということです。

というわけで、こういった問題に対して取れるアクションは大きく言って次の三つです。あくまでなにか行動を起こすという話なので、なにもしないでただ時間が過ぎるに任せるというのは除きますね。

①ギクシャクを解消するために腹を割ってよく話し合う
②Fさんが折れる形で相手の人の望むように振る舞ってあげる(必要なら謝ることも含む)
③その場を去る

さて、わたしならどうすると思いますか?

どれが正解というのはないのですが、わたしはどんな場合でも基本的には②を選びます。それで駄目なら③ですね。ちなみに、これは「今のわたし」の回答であって、わたしがずっとそのようにして生きてきたわけではありません。

一見すると①がベターなように思えるかもしれませんが、エゴとエゴがぶつかりあっている限り、その場でなんとか丸く収まったとしても、和平は長くは続かないかもしれません。なにか誤解があって、話し合うことでその誤解が解けるかもしれませんが、そのうちまた別の誤解が生じるでしょう。

それならまだよいほうで、こういった話し合いがうまくいく確率は概して低いものですし、なんなら事態をより悪化させる可能性も大です。

エゴには物事の全体を把握する能力がありません。そのためエゴには「なにが正しいか」が分からないのです。これがエゴが無力であるということの理由なのですが、どれだけIQが高くても、どれだけ経験豊富でも、エゴはエゴでしかありません。エゴは常に自分は正しいと思っていますが、常に間違いを犯しています。

エゴに物事の全体を把握する能力がないことについては、こちらの記事に詳しく書いていますので参考にしてください。

つまり、誰がどうとかいうのではなく人と人が関わりあう以上、そこには必ず誤解は生まれます。また、それぞれのエゴは相手のエゴに対して常になにかを期待したり、その期待にどれくらい応えているかによって評価してもいます。ですから、エゴと一体化して生きているうちは、どれだけうまくやったとしても誰かとギクシャクすることは避けられません

そして、全人口の9割以上の人がエゴと完全に一体化して生きています。つまり、90%以上の人々は、いつも誰かとギクシャクしたり、その場に居心地の悪さを感じたりしながら人生を送っているということです。

②の方法は、たとえ自分に非がない話であったのだとしても、相手に対して大幅に譲歩するものです。つまり、自分のエゴを抑え、相手のエゴを満足させるやり方です。

なんでそんなことをしないといけないの? と思った方、それがあなたのエゴの言い分です😆 まあでも、そうですよね。だって自分は悪くなくて、相手が悪いんだもん。あるいは、自分もちょっとは悪いとしても、相手のほうがもっと悪いんだから。わかりますよ。

でもですね、ギクシャクしていることが辛いのであれば、ギクシャクをなくすことが解決ですよね? どっちが正しいか白黒つけることが解決ではありませんね? わたしなら、自分が折れて下手したてに出るとか、悪くなくても謝るとか、あるいは相手の望むような態度を取ることによってギクシャクがなくなるのであれば喜んでそうしますよ。もちろん、その人との関係がうまくいくことがわたしにとって大切であればですけどね。わたしには同僚という存在はいませんが、もし居たならばその人との関係は大切でしょう。

このように振る舞えば、相手のエゴは「お、こいつ段々分かってきたな。そうそう、それでいいんだよ!」と喜ぶことでしょう。そんなふうに相手を喜ばせるのは癪だと思うのはあなたのエゴです。でもエゴにとって正しいのは自分なのですから、それも致し方ありません。ただ言えることは、相手のエゴもおなじように自分が正しいと思っているということです。エゴは例外なく正しさという病に取り憑かれていて、常に自分が正しくないと不満なのです。

自分が正しい=相手が間違っているという、ものすごく単純な二元論に従って生きている人がなんと多いことでしょうか。ほとんどの人がこれだけで動いているから世界にはありとあらゆる争いが絶えないのです。

しかし、正しさにはもっと他の形があります。「自分も正しいし相手も正しい」という理解は意識レベルでいうと250(中立)のレベルで生まれてくる理解です。さらに「どちらが正しいとか間違っているとかではなく、関係そのものがうまく行くことが正しい」という理解への飛躍はより調和的です。自らの正しさを放棄することで丸く収まるなら喜んでそうするというこの理解はエゴを超越しているので、意識レベル500以上を示唆します。

負けて勝つという言葉がありますが、わたしが話しているのはそういうことではありません。勝つ必要はないからです。誰かが勝つとき、そこには敗者が必ずいます。エゴにとっては相手に譲歩したり、下手に出たりすることは自分が負けたという風に感じられます。人が不調和に苦しむのは、簡単に言ってしまえば負けるくらいなら苦しいほうがマシだと思っているからです。

負けることがそんなに悪いことでしょうか? 他人から下に見られることがそんなに具合が悪いでしょうか? 他人の望むように振る舞ってあげることは、そんなに屈辱的なことでしょうか? わたしはそうは思いません。

そして考えてみてください。9割以上の人が自分は正しいと思っていて、その正しさにおいて他者に勝ちたがっているのであれば、どんどん負けてあげるのが一番賢い生き方ではないでしょうか?

なんでも相手の言いなりになれ、という話ではありません。また、ここでしているのは人間関係のテクニックの話でなければ、心理学の話でもありません。単純に、エゴはどうしようもないねという話です。

この話を読まれて Fさんがどう感じるかはわたしにも分かりません。もちろん、その人との間にあった「あること」も含めいろいろな事情や背景もあることでしょう。そんな単純な話じゃないんだよなあ、と思われたかもしれません。でも単純な話なんですよ😊 エゴとエゴの間にあるギクシャクは、エゴのレベルでは解決できません。したがって、どちらかがエゴを超越するしか、ギクシャクはなくならないでしょう。

なので、回答としてはその相手の人が現状、 Fさんになにを望んでいるかをまず察知することです。そして、それが分かればそのようにしてあげることです。もしもその人がなにを望んでいるか分からないのであれば、逆に、Fさんがいまその人になにを望んでいるかを考えてみてください。そして、それを反対に相手の人にしてあげてください😊 きっと、それでうまくいくはずです。それができるかできないかは、Fさんのエゴの問題ですよ。

今回の回答はこれで以上になります。参考になれば幸いに思います。読んでいただいてありがとうございました。


【おまけ】

満島ひかりはいいぞ。

そんなこと言いながら最近はずとまよ。とポルカドット・スティングレイばかり聴いています。

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