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質問箱への回答⑰『奇跡講座(ACIM)について』

またご質問をいただきました。今回は「奇跡講座(A Course in Miracles)」についてです。

奇跡講座のことをわたしが最初に知ったのは15、6年前だったかなと思います。当時利用していた mixi というSNSで、わたしはエイブラハムの引き寄せの法則やヴァジム・ゼランドのリアリティ・トランサーフィンについての話題を共有する人たちとよく話していたんですが、そうした仲間の何人かがあるとき「奇跡のコース」(※当時はそのように称していたと記憶しています)なるものについて語りはじめたんですね。

当時はというと、わたしにおいてはブログ In SPIRE に収めた自伝的な一連の記事に綴った時期のすこし前にあたり、違法薬物とギャンブルへの中毒によって経済的にも精神的にもめちゃくちゃな状況になっていたのですが、それでもSNSではそんな苦境にいることをおくびにも出さず、健全に社会人生活を送っているかのように体面を取り繕うというか、擬装していました。

一人の人間の意識レベルは基本的に生まれつきのものであるとホーキンズ博士は述べていますが、人生を送っていくなかでそのレベルは人によっては大きく変動するものとわたしは思っています。というのも、わたしの人生においては、まさにその時期には子供時代と比べても著しく低いレベルの意識領域を経験していたと思うからです。

それはともかく、この当時のわたしの関心を一言でいえば「大金をつかんで一発逆転」でした(笑)。お金さえあればこの地獄のような状況から抜け出せると考えていたわけですが、いま考えると下手にお金があったら更にひどい状況に堕ちていっていただろうとしか思えません。でもそのときはそう考えるしかできなかったのですね。それでいわゆる願望実現法の会得や超能力的なものを開花させるとか、そういうことにしか関心が向いていなかったのです。

ですから知人たちが奇跡講座について話していることは認識していて、なおかつそれがどういったものであるかも一応調べて分かってはいたんですが、当時のわたしにはピンときませんでした。仲間にはいま思い出すと比較的意識レベルの高い人たちが何人かいて、そういえばニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシの名前も彼らから聞いたことがありました。しかし、その頃のわたしは悟りなどよりもとにかく目の前の状況をなんとかしなくてはという思いがあったのでしょう。奇跡講座についての話題には加わることのないまま、その後、父を亡くした時期だったと思いますが mixi も退会してしまいました。

ふたたび奇跡講座がわたしの目の前に現れたのは昨年で、いまはとても親しくさせてもらっている pink cashmere さんと出会ったのがきっかけです。pink cashmere さんがnoteで書いておられるキャロル・ハウさんのワークブック解説動画の翻訳記事を読ませていただくことで、初めてコースの教えに触れることになりました。とてもおすすめなのでリンクしておきますね。みなさんもぜひお読みください。

ちなみにというかなんというか、わたしが奇跡講座についてちゃんと読んだのはこの pink cashmere さんの記事だけです。ほかにはnoteでコース学習者さんの記事がおすすめに表示されることがあって目を通すことはあるのですが、そもそもテキストブックもワークブックも実は直接読んではいません。あらかじめ、このことだけはお断りしておきます。

さて、前置きはこれくらいにしておきましょう。以下が質問箱に回答した内容になります。


こんにちは。ご質問ありがとうございます🙂

奇跡講座が教えていることをわたしなりに要約すると次の3点になります。

「すべてはひとつであること」

コースでは神と聖霊と神の子である人の三位一体の概念が登場しますが、すべてはひとつですから、すべては神であり、すべては聖霊であり、すべては神の子(神の被造物)であると言えます。そしてこのことから、神=聖霊=神の子であることが明らかになります。

「そのように知覚できないこと(つまり神から分離していること)だけが人間の唯一の罪である」

これが意味しているのは、実際には罪というのは幻想なので、罪などないということです。

「コースはこの誤った知覚を訂正するものである。この知覚の訂正こそが奇跡であり、救済である」

ワークブックに関していえば、どのレッスンもこの3つのことしか言っていません。これら3つのことを直接的に"経験"するためにレッスンはあの手この手をすすめてきます。レッスンの説いていることがにわかに理解しがたくとも、その意図はこの3つのことを知覚するためのものなんだと常に覚えておけば混乱することはないと思います。

4/11追記しました。

なぜわたしがこのように簡単に説明できるかというと、これってまんま非二元(ノンデュアリティ)だからなんですよね。そう、ずばり言うと奇跡講座とはキリスト教的な概念を用いたノンデュアリティの教えなのです。さらにいえば、奇跡講座はバクティ・ヨーガ(帰依の道、明け渡しの道)でもあります。コースは粘り強く丁寧に、最初は分からなくてもいいからと前置きしながらエゴによる分離した知覚を訂正し、神にそれ(知覚)を明け渡すように促していますね。ですからコースは明け渡しを教えるノンデュアリティです。

わたしは非二元でもジュニャーナ・ヨーガ(智慧の道、哲学的思索の道)を通ってきた者ですが、ジュニャーナもバクティもたどり着くところは同じです。そのため今のわたしが奇跡講座を理解することは容易ですが、学びの段階にあってはジュニャーナが向く人もいれば、バクティが向く人もいることでしょう。とはいえ、どちらが自分に向いているかはある程度学んでみないと分かりませんから、意欲のある人は両方とも手をつけてみてもよいはずです。なお、ジュニャーナとして非二元を学ぶのであればラメッシ・バルセカールをおすすめします。西洋人の書いたノンデュアリティ本は読まないほうがよい(※)と思います。

西洋人と書きましたが、それは彼らのノンデュアリティはインドの賢者たちの教えた非二元を彼らの思考様式にあうようにアレンジしているとわたしには思えるからです。同じ意味で、わたしが読んだことのある範囲でいえば、日本人の著者のノンデュアリティあるいは非二元も同様に思えます。大事なことは「すべてはひとつである」こと、それのみです。そこから焦点が外れたところに話が向かうものはおすすめできないのです。

※注釈

奇跡講座は本質的にはバクティなんですが、その割にというか、概念の独特さもあってか、なかなか難解であるようにも思いますね。それは大元のテクストが編まれた経緯や、それが日本語に訳されるプロセスを経た結果なのだと思うのですが、実際そうである以上は仕方がありません。

その点でいえば、個人的には以前 In SPIRE で紹介したジョセフ・ベナーの「インパーソナル・ライフ」を先に読んでから奇跡講座に取り組めば、バクティの感覚にすんなり入っていきやすいのではないかと思います。もちろん、すでに奇跡講座を学んでいる人にもジョセフ・ベナーはおすすめですよ。ぜひこちらの記事もお読みください。

また、奇跡講座は本来、独学が基本であるようにわたしは思います。もちろん、誰かに教わったり、一緒に学んだりすることを否定するつもりはまったくないのですが、奇跡講座のような霊的な情報はそれがもたらされること自体が奇跡であり、コースの言葉でいえば聖霊の導きなのです。ですからわたしが思うには、もたらされた情報を読み解いて自らを救済するだけの力がその人自身に必ず備わっているはずです。

もちろん、だからといって、すぐには理解できないかもしれません。場合によってはいったん学習をやめて、時間を置いてふたたび取り組む必要があるかもしれません。そういうものだと思うんですね。分からないなというときに、誰かに教わろうとしてもおそらくあまり成果はないでしょう。なぜなら、分かるということは頭での理解ではなく、知覚が変容した結果として起こることだからです。

ですから、教師やコミュニティに最初から頼るのではなく、自分の内なる力を信じてコースが語る言葉と向き合ってみられることを強くおすすめいたします。そして、つけ加えるなら、ワークブックのワークを必ず「実践」することですね。騙されたと思ってやることです。ワークブックに書いてあることを読んで理解して分かったつもりになってはいけませんよ。なぜならワークブックは理解をもたらすためのものではなく、理解というプロセスを経ずに知覚を書き換えるためのものだからです。

理解をもたらす教えはジュニャーナです。ジュニャーナでは理解が知覚の変容を促すのですが、バクティにおいては理解はかえって知覚の変容を妨げます。ここがポイントですので、よく覚えておいてくださいね。なお、ホーキンズ博士は奇跡講座について、ワークブックだけでよいと言っていたそうです。わたしはテキストブックには目を通していないのでこれ以上の言及はできませんが、これも参考として覚えておいてください。

さて、今回の回答はこれで以上になります。お役に立てましたら幸いに思います。読んでくださってありがとうございました🙂

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