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20代半ば、独身。

結婚をしていると思っていた。だがわたしは今日も一人で海辺に行き、本など読んでいる。

何が幸せで、何がそうじゃないか、自分にとっての"幸せ"を見つめ直すことが最近多くなってきているように感じる。

そもそも人間は幸せに生きなければいけないのか、この問いに関しては散々考えた末、幸せに生きなければいけないとわたしは思っている。

自分のために、あるいは人のために。

循環なのだとも思う。時には言い聞かせる言葉なのだとも思う。どちらにせよ、幸せに拘っている以上たぶん気にしている事なのだろう。


今でも思い出すこと、それはキラキラと光るヴィヴィアンのネックレスに込められた想いなどでは無かった。

土砂降りの横断歩道点滅

知らない街の銭湯

初めて降りる駅、電車の待ち時間

振り返れば全ての人が他人と化してしまう東京駅

またすぐに会えるよ、って言葉

わたしの流れた涙をそっと拭って自分の頬に付けて笑う顔

壁に書かれた手書きのセットリスト

最後の日、泣きながら抱き合った夜明け

首を絞められここでなら命を落としても構わないと見紛うほど幸せで悲しかった。

誰にも話したことはないが、彼の頭の中は全てが物語で、自分もその主人公で、そのヒロインに選ばれたのがわたしだったのだと今では思っている。そしてそれはわたしも望んでいた事だった。始まりから終わりまでが決まっている。お互いに。

彼もまた、自分を探していたのだ。きっと


離れる、という選択をしたのは四年前、最終的には私の方だったかもしれない。いや、相手がそうなるように導いてくれたものなのかもしれない。どちらにせよ、自然消滅にならなかったところが自分達らしいと思う。

想い合ったのだ。

酷い事も言われた。言った。けどそのどれもが確信を付いていてハッとした。そういうところも好きだった。ただこれも、今までの言動や些細な贈り物全てが自分を想ってのものだったのだと随分後になって知ることになる。まあそれが今なのかもしれない。時間の治癒は凄いものだと実感している。

相手に"後遺症"を残すのはいつまでも、温かいものだったりする。それは自分も相手も、然り。


探し物の途中 ー

言いたいことが言えない、むしろ逆のことを言ってしまう、この現象は大人になってからもきっとあるのだと思う。それが良いとか悪いとかの話ではなく、ただ単純に"口から出た言葉"として。

解決の術を持ち合わせていないか、そうじゃないかくらいの違いかな、自分や相手の気持ち、様々な面から焦点を当てていくという技を、歳を重ねるにつれ知らず知らず身につけていくのだと思う。


大切なもの、幸せ。

この類の言葉を重要視するようになってから出逢うこれからの人達のことも大切にしたい。

そのたったひとりと、あわよくば出逢いたい。

ずっと一緒に居たい。

いろいろ書き連ねた最終的な言葉はただ純粋で簡単な、あるいは在り来りで書く必要も無いような、そんな言葉なのかもしれない。





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