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第二話 「外務省の男」

店の扉を開き、テーブルへ向かうと、奥のバーカウンターから外国語の会話が聞こえてきた。

受付をしているキャストにトーナメントのバイインを支払い、シートカードを受け取る。今日は久しぶりにAテーブルの3番シートだ。1番シートはいつもの常連が着席しておりキャストと何気ない世間話をしている。

鞄を置き、ネクタイを外した。やっと休みだ...四宮は軽くため息をついた。今週も色々頭が痛くなることがあったが、取り合えず明日から三連休だ。精神を現実から切り離す。それがポーカーだ。時間になり、キャストは「ディーラー」になる。カードが配られる。直ぐに捲るとJ4oが見え、素早くカードをテーブル中央へ投げ入れた。1stハンドはこんなものでいい。1stハンドはあくまでも始まりの「儀式」だからだ。その後も10分ほど一秒ほど見て直ぐに捨てる作業が続いた。

そんな時、空いてた2番シートにプレイヤーが座ってきた。先程奥のバーで外国語の会話をしていた男だと直ぐに気づいた。

「失礼」

「どうも..」

ごくありふれた挨拶を交わす。然しながら、直ぐにその男は強めの酒を注文した。ふーん、酒を飲むか..今日はプライズを意識せず遊んで帰るのかな..四宮が最初に得た感触はそんなものだった。その後も数ハンドが進む。隣に座った男は酒を飲みながら、もくもくとハンドをプレイしていた。四宮も段々暇になってきたので隣の男に話かけてみることにした。

「今日は良いハンド来ていますか?」

「いや、それほど入っていませんよ。さっき来た77が本日最高でした。」

「なるほど。ところで先ほど奥のバーカウンターで外国語を話されていましたね。欧米人風の男性でしたが」

「ええ。仕事の話です。」

「あの言葉は何語だったんですか?」

その男は少し顔を曇らせた。一瞬不味いことを聞いてしまったのかと思ったが直ぐにその男は会話を再開させた。

「ロシア語です。先ほどの方は古くからの友人ですよ。」

「そうだったんですね。ところで私のプレイヤーネームはエナといいます。貴方のプレイヤーネームをよければ教えていただけませんか?」

「ゆうです。ゆうと呼んでください。」

「ありがとうございます。それではゆうさん、よろしくお願いします。」

「こちらこそ、よろしく」

プレイヤーネーム「ゆう」はその後、プレイに対して集中しだした。その後ゲームの参加率も徐々にあがり、着実にチップを増やしていった。プレイスタイルはタイト気味だが、相手の3betのコール頻度は高い。どうやらフロップを開いて以降のプレイが好きそうだ。ブラフもどうやら何回かしている様子だし、ブラフキャッチも多かった。そんな中、ゲームは10分間のブレイクとなった。ゆうさんは特にテーブルから立ち上がるわけでもなく、手帳を開きそこに何かを記入していた。

「ゆうさん、先ほどから結構ポットをとってましたね。結構な腕前ですね」

「ああ、ありがとうございます。ハンドも入りだしましたし、徐々に他のプレイヤーの傾向も掴めるようになりました。」

「そうですね。結構相手のブラフを見抜くのが上手いですよね。」

「ええ、職業柄...」

ゆうさんは明らかに自分の言葉を遮った様子だったが、そこについては何も言わないことにした。然し、ゆうさんはどことなく明らかに違った雰囲気を纏った男性だった。先ほど開いた手帳はそれなりに高価なものだったし、使用していた万年筆も高級品だ。然しながら、今度鞄から取り出したのはA4サイズの大学ノートで使用しているボールペンは書きやすさで定評のあるJETSTREAMだった。

四宮はトイレに立ち、飲み物を購入してテーブルへ戻ってきた。エナジードリンクの「SUPER Red Bull」だ砂糖の塊とカフェインの塊のようなドリンクだが、四宮はこれが好きだった。味的にも好きだったし、なにもよりも飲んでから10分ほどすると確かに頭がさえるのだ。半分は偽薬効果だとは思うが....

ゲームは再開された。今日は20人程集まったが既に10人ほどがシートオープンし、夜の街へ消えていった。30分ほどするとファイナルテーブルになった。そして、徐々にゆうさんとヘッズでプレイする機会が多くなってきた。ゆうさんは明らかにブラフキャッチが上手い。海外のトーナメントで2、3回メインやサイドの優勝経験があるプレイヤーの渾身のブラフもなんなく見破っていく。特徴と言えば、コールする前にそれなりの時間を使用して相手と何気ない会話をすることか。然しその会話も少し考えるとロジカルな会話であった。ロジカルだけでなく、相手側の情報を引き出す上手い会話であった。

「ゆうさん、ブラフキャッチが上手いですね。さらに言えば相手側の情報を引き出すのが実に上手い。」

「そんな。少しラッキーが重なっただけですよ。特別なことは何もしていません」

「そうですか。何か特別なスキルをお持ちかなとも思ったんですが。」

「エナさん、考えすぎですよ。」

「そうですかね。」

ゲームはそれからも進行していったが、四宮はKK<<AAでスタックの全てを吐き出してシートオープンし、ゆうさんは下ストレートができていたが、リバーで上のストレートを作られてシートオープンした。ほぼ同時に2人はシートオープンしたので、少しバーカウンターで話そうということになった。

「ゆうさん、惜しかったですね。リバーで10が落ちなければ、ゆうさんはチップリーダーになれたのに」

「ええ。残念です。まぁ、あんなものでしょう。運が無かった。」

ゆうさんの表情には一瞬、とても悲しそうなものを感じることができた。金曜の夜に愉しさを求めてポーカーをしにきたとは思えない何かを感じることが四宮にはできた。そこで四宮はもう少し彼の心に入ってみることにした。

「何かありましたか?ゆうさん。少し深刻な様子を感じましたけど」

その時、ゆうさんは意外そうな顔をしたが、そのあと直ぐに自嘲気味な笑顔を四宮に向けた。

「ほう。顔に出ましたか。エナさんはなかなか観察力がありますね。」

「いえ。たまたまですよ。」

「ふふ。私も人間ですね。普段はあまり感情を表にはださないように気をつけているのですよ。仕事柄」

「仕事柄?」

「ええ。エナさん。私の職業やプライベートを完全に話すつもりはありませんが、よろしければもう少し話に付き合ってもらえませんか?」

「ええ。いいですよ。」

「まぁ、直ぐに私の素性が分かるようになると思いますが。」

「どういうことです?」

「いえ。それよりも先ほどエナさんは私のブラフキャッチが上手いと言ってくれましたね。あれも複雑な気持ちでした。」

「というと?」

「ポーカーにおいてのブラフをキャッチをするという意味とは少し違いますけど、相手が信頼できる相手なのか嘘をついているのかどうか?はたまた自分の嘘が相手にばれていないかどうか。私の日常は常にそんな具合でした。そういった駆け引きを仕事上ずっと行ってきたんです。」

警察関係者なのか?四宮はふと思ったが、彼に対してそれを問いかけることは止めた。それを口にした瞬間会話が終わると思ったからだ。彼はなにか心に秘めている。核心に触れることはこの男は絶対に話さないだろうが、もう少し心のうちは話してくれそうな雰囲気だった。

「それは大変ですね。私なら直ぐに神経がまいりそうだ」

「エナさんは私の職業を聞かないんですね。知らなくていいことは知らないようにしているみたいですね。それなら私も少し安心して話せることができる。」

「人には信頼度に応じて自分の世界をどこまで他人に開放するか決めているものですから。」

その後、四宮とゆうは世間話を交えながらお互いの価値観を交換しあった。トーナメントは3位のプレイヤーがシートオープンし、遂にヘッズアップとなった。両名ともポーカーのスキルは高い。ギャラリーが2人を囲んだ。

「エナさん、私は今日優勝するつもりでした。少なくともヘッズアップには残りたかった。」

「そうですか。それほどこだわるようなプライズでもないですが」

「私は今後もっと手ごわい相手とヘッズアップをすることになるんですよ。その予行演習のためといったところです。」

比喩だなと四宮は思った。とくに口を挟むことをせず、そのまま話を聞くことにした。

「その相手は間違いなく手強い。そしてそのヘッズアップはかなり長期間に渡るでしょう。そしてシナリオは相手が勝つように決まっている。それでも私は自分自身を裏切らない為に最大限のプレイをしなければなりません。奇跡が起きて、もしかしたら勝つことができるかもしれませんが」

「そのようなプライズマッチがあるとは知りませんでした。」

「他者のブラフを見破るために特殊な訓練を積めば、その精度を7割~8割程度にもっていくことはできます。でもブラフを見破るよりも難しいことは自分自身が自分に対してブラフをしないようにすることだと思うんですよ。」

「自分自身に対してのブラフ?それはどういうことです?」

「人間は過酷な状況に於かれると、してもいないことや話してもいないことを簡単に認めてしまうものです。自分自身を欺くようになってしまう。そして後日それに対して後悔をするようになってしまうんです。」

「なるほど。それは苦しそうだ。私にも覚えがあります。そしてその後悔は時間とともに苦しみが多少薄れていきますが、後悔そのものは決してなくなりはしないものですからね」

ヘッズアップは先程まで後一時間は続くかと思われたが、ターンの時点でALL Inに対してコールが入った。そして先にAll inを仕掛けた方はどうやらブラフだったようだ。ディーラーは多少時間をとってリバーカードをめくり勝負はあっけなく決まった。一瞬見ただけだったが、コールをするには難しい局面だったのは確かだ。

「なかなか上手いブラフAll Inでしたね。それなりに熟練したプレイヤーじゃないとコールはしないでしょう。」

「そうですね。さてエナさん私はもう帰ります。今日こうして話が出来て良かった。」

「私もです。ゆうさんはどうやら私の想像以上に大変なご事情を抱えてらっしゃるご様子。私は何も言えませんが..」

「何もおっしゃらなくて大丈夫です。むしろその方が有難い。」

「そうですか。それではまたテーブルで会いましょう」

「次は分かりませんが..では」

そういって、彼は店を去っていった。何故かその背中姿には幾つもの修羅場を潜り抜けたような雰囲気を感じることができた。印象的には学者タイプなのだが.....

ゆうさんと店で別れて、二ヶ月ほど過ぎようとしていた。四宮は仕事から帰宅しテレビをつけてみるとそこには見覚えのある顔が写っていた。

「えっ?ゆうさん?」

テレビからは本日東京地検特捜部が特別背任の容疑により外務省国際情報局分析第一課主任分析官の鈴木優容疑者を逮捕したという報道が聞こえてきた。事件の複雑な背景と事情が次々と報道されたが、四宮は信じられないという気持が先行し最初は何も頭に情報が入ってこなかった。それからその報道番組を腰の力が抜けた感じで観流した。その後も同様の番組を幾つかみることにより、ゆうさんの人物像がようやく把握することができてきた。四宮は落ち着きを取り戻し、仕事の疲れがどっと出た。とにかく今日は寝よう。明日は休みだ。明日落ち着いて色々考えよう、そう思い直し、シャワーを浴びてベットへもぐりこんだ。

午前十時頃に四宮は目を覚ました。顔を洗い、髭をそり、シャワーを浴びて近所にあるコーヒーショップに出かけた。運ばれてきたコーヒーをすすりつつ、一緒に持ってきたスマホでゆうさん、鈴木優の事件を調べた。彼はロシア専門のバリバリのエリート外交官だったようである。学生時代は京都の大学でキリスト教神学を学び、修士号まで取得している。その後、外務省に入省し、ロシアを担当。ある有力政治家の懐刀とも呼ばれていた。

「神学者にして外交官か...」

四宮は意識したわけでもなく、独り言を呟いた。外交官はスパイでもある。日本ではアメリカのCIAやイギリスのMI6に相当する諜報機関は設立されていない。外務省や防衛省、そして内閣情報調査室といった組織がそのような仕事をしている。人を欺いたり、欺かれしながら国益になる情報を取ってくるのが彼らの仕事だ。そんな世界でゆうさんは生きていたのだ。彼が相手のブラフを見抜ける精度が高かったのも今となっては頷ける。そんな彼が泣く子も黙る鬼の東京地検特捜部に逮捕された。今後は東京拘置所で検察官からの厳しい取調べが始まるのだろう。

「特捜検事とヘッズアップということか。実に手強い相手だ。」

特捜事件は国策捜査と呼ばれることが多い。時代の「けじめ」をつける為に象徴的な事件を創り出し、弾劾する。そして社会にある一定の「秩序」をもたらす事を正義と信じ、特捜検事はターゲットを裁判へと誘うのである。特捜検事の取調べは半端ではない。容疑者を心理的に追い詰め、やってもいない事実を認めさせていく。容疑者は自分自身を欺きながら容疑を認めるのだ。自分自身の精神に対してブラフをしかけ、検察官からの圧力にはそれをコールしなければならない。そのようなゲームにゆうさんは参加しなければならないのだ。四宮は自分がゆうさんに対して何もできないことを知っていた。どうすることもできない。ゆうさんが自分自身を欺くことが無いようゲームを有利に運んでいってくれることを祈るしかない。四宮は残りのコーヒーを喉に流し込み、店を出ることにした。

「今日はどこでポーカーをしようかな。たまには違った店でポーカーをしてみるか。とくにこんな日は」

四宮は秋葉原のポーカールームに行くことにし、駅へと向かった。



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