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ふせったーまとめ②

2022/2/2


①矢代の絶望は思いの外深くて、もしかしたら死んじゃってたかもしれないなと思った。その前に百目鬼に再会できてよかったなと思う。でも矢代にとっては死ぬよりツラいかもしれない。

②実は矢代がレ…プされるのは想定内だった。ただ、それを商業BL雑誌でやるのかなって思ったけど、やったね。井波と体の関係が続いてるのも全然想定内ではあったけど、百目鬼の女は考えてなかったというよりは考えたくなかった。考えたくなかったということがまたあらたな地獄を生むのでほんとヨネダ先生は鬼じゃ(ほめてます)

2022/2/3

47話に関わる自分語り。日々を生きることをその苦しみをどうしようもできなくて、どうにもならなくて、自傷行為のようなセックスに身を委ねることでいっときのこころの平安を得たり一人のときはただただ茫然自失となっていたり。自分を慕ってくれる年下の、少し歳の離れた男の子を、自分では彼が幸せにはならないと思ってかなり強引な方法で突き放したり。でも自分の意志でやったことだけどすごく後悔して引きずったり、そしてまた自傷行為のようなセックスに逃げたり。

その全ての過程で本来なら惹起されるはずの悲しみや怒りといった感情を全て封じ込めて、それこそ「誰かのせいになどしてない。俺は全て受け入れて生きてきた」と同じ。

だから矢代のかわりに泣いてあげたいし、矢代を抱きしめてあげたい。その全てを百目鬼にやってほしい。

2022/2/6


47話の矢代が伊波に抱かれに行くのは、自分が百目鬼以外の人間との身体的接触によって勃たなくなってるのを確かめに行っただけでなくて、百目鬼に対して欲情した自分の体を罰するためなんじゃないかとおもっていて、百目鬼を、カタギの世界に戻すために、自分から開放するために、「忘れる」ことで百目鬼を遠ざけたのに、思いがけず再会したら、自分の本当の望みが溢れ出してしまって、意志に反して体は反応してしまったことを罰しないといけなかった。なんでもいいから体に痛みを与えつづけられるのが伊波だけだった話。たぶん三角がそこまでできたなら相手は三角だった。

ところで46話で、百目鬼が女を抱くところを想像してそれが矢代の快楽につながる描写、違和感あったんですが、『たゆたえど〜』で影山と彼女をズリネタにしてたね。そういう性癖なのね。で、47話読んでから46話を読み返してみると、矢代めちゃくちゃ感じてるね。嬉しかったと思う、でも同時にそれは自分が感じてはいけない愉悦だったと矢代は思ったんじゃないかな。

『知らなければ失くすこともなかった』には矢代の、大切なものを失くしてしまった絶望、を感じたのと同時に、『知ってしまった』自分を責める意味もあったのかなと思う。何を『知る』ことを責めているのかというと、「男の自分が男を好きになること」とそれによって立ち現れる孤独と絶望。自分の恋心を知ったときに矢代は泣いていて(たゆたえど~の時と5巻の百目鬼とのセックスの後と46話)それは矢代が矢代であるためには認めてはいけない感情、暴いてはいけない自らの、大切なもの。

2022/2/19

吐き出し。まじむり矢代の4年自分自身をなくしてしまうこともできず、絶望を抱えながら、生きていなければならなかったと思うと辛い。そういうふうにしか生きることができないの。

2022/3/13

47話を踏まえたうえで、なぜ矢代は三角とセックスできないのかを考えたんですけど、非常に単純に言うと矢代が求めているのは暴力だからで、いまの三角さんはそれこそ優しい普通のセックスしそうだなって思ったんですよ。


なお、この↑の閃きから生まれた二次創作が支部にありますのでよろしければ。



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