20210822 ジェネラル・ルージュの凱旋

ジェネラル・ルージュの凱旋という作品を知っているだろうか。

厳ついタイトルからはあまり想像つかないが、とても深い命を救うことについて考えさせられる医療ミステリー作品だ。

この作品はドラマと映画が制作されているが、僕はやはり映画を一番オススメしたい。

この作品のキーマンとなる若き救急センター長速水を演じるのは、堺雅人だ。

彼の演技はとにかく表情と声音の乖離による迫力に良さがある。

人を小馬鹿にしたような声音と表情から、声音だけ静かに低くして問い詰める様に変化するのは見たものにしかわからない緊迫感を与える。

ふざけているのにふざけていない。自身の信念のためなら何でもやる決まりすぎた覚悟は、人の命を助ける病院の最前線を指揮する将軍の役に相応しい。

だが、僕の好きなシーンには、あまり彼は出てこないのだ。


物語の終盤で、ショッピングモール全体を巻き込む大事故により、彼の勤める大学病院に多くの患者が来る。
彼は、病院の中でも問題児で、来た患者は片っ端から引き受けるという、周りの事情を無視してずっと命を救い続けるという悪いクセがあるのだ。

このときも「全員受け入れろ」の一言で大学病院全体を巻き込んで数百人単位の患者を引き受けるのだが、速水は重症者の手当に向かうため途中から画面に出なくなる。

そんな中、到達に主役に躍り出るのが山本太郎演じる佐藤だ。

彼は、どんな患者も引き受ける速水に反感を抱いていたが、救命時にはちゃんと個人の感情を割り切れる優秀な医師だ。しかし、彼が如何に優秀でも、速水のほうが、命を救う術と采配に長けているため、物語序盤ではいまいちいい印象がない。

しかし、この一大事で彼は、速水からトリアージを任される。「自身を持て。お前の判断は、センター長の俺の判断でもある」と送り出された佐藤の救命が僕は、たまらなく好きなのだ。


医療の現場では、トリアージと呼ばれる命の優先順位がある。命に関わらない軽傷者から一刻を争う重傷者、そしてもう死んでいるか、言い方は悪いが見殺しにする救命不可という命の優先順位だ。


通常では、命を助ける行為は間違いが許されない。医師というものは、社会倫理上最もシビアな仕事であり、人一人の運命を決定づけてしまう可能性が高い責任のある仕事だ。

救命救急センターというものは、そんな中でも極めて短い時間で命に価値をつけなければならない仕事だ。

そう、僕の好きなシーンというのは佐藤が、命を選別するこのトリアージのシーンなのだ。


命を救うということは並大抵のことではない。技術と知識、経験だけでは片付けられない臨機応変さを求められるために、どれだけ医者が優秀でも大規模受け入れのときには時間が足りないのだ。


佐藤は、多くの人を救った / 多くの人を見殺しにした

矛盾した行動がこの瞬間に詰まっている。

彼はそのことを1番理解している。だからこそ、速水に背中を押されたときからずっと、彼の目はとても怖いのだ。

黒と診断した瞬間。見殺しにされた夫を助けてくれと訴える女性に「救命不可」の旨を一言話しその後は相手にしないで仕事に戻る。

命を救うってなんだろう。とこのときに疑問になってしまった。

人を救うために人を殺している。もしかしたら、助かったかもしれない命を今見捨てたかもしれない。状況が状況だから医療ミスにはならないだろうが、母数がこれだけ多いならば救えた命はある。
トリアージの理屈も意義もわかるけど、なんでなんだろう。

と疑問がずっと止まらなかった。

しかし、ここで、速水のことを思い出した。

速水は、命を救うためなら何でもする男だ。
彼は、過去に勝手に現場指揮を取り、病院を巻き込んで大規模受け入れを行なった。そして、最後は助けきれず受け入れを拒否した。
学生のくせに勝手に指揮官として救命活動の陣頭指揮を取る無謀さに誰もが呆れただろう。敵も作った。しかし、彼の中にあったのは、目の前の命を救えなかった後悔だけ。

命を救うためなら何でもするようになり、過去の功績からジェネラル・ルージュと呼ばれるまでに至った。

そう、ジェネラル・ルージュは命を救うのならなんだってやる。人を見殺しにして助けられる命を助ける。

人を助けるのではなく、命を救うだけなのだ。

トリアージとは、人のためにあるのではなく、命を救う現場のためにある。

このニュアンスは、今まで伝わったことがない。

人イコール命ではなく、人と命を分けて考えるのだ。

僕は、女性の訴えによって命を救うことはなにか疑問に思ったが、それは人を助けないじゃないかという正義感のような気持ちから芽生えた考えだったと気づいた。

最初からスタートラインが違う。命を救うために殺さなきゃいけないのだ。

目的のための手段を決して選り好みしない。救える命だけ救う。

救命行為は、ヒーローではないんだ。という簡単な気付きだった。

立派な仕事だけど、彼らは結局人だから、自分の手の届く場所までしか助けられないから、見捨てるしかないんだ。というあまりにも簡単すぎて腰が抜ける気付きだった。

ジェネラル・ルージュの凱旋は僕が中学生の時に出会った最高の作品だ。
終盤の救命シーンには、どんな立場の高い役職でも救命現場では等しく命を救うドクターとして走り回る姿が書かれている。
良い悪いの次元の話ではない、自身の役割を、骨を粉にてその体を砕きながら果たそうとする強さがある。

こうなりたいと純粋に憧れた大人の姿がここにあると思う。

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