20220807 未知と既知

ロズウェル事件というものをご存知だろうか。

ロズウェルと呼ばれる地域で軍が空飛ぶ円盤と宇宙人を回収したというオカルト(特に宇宙人関係)好きには必修科目と言えるほどの事件だ。

口裂け女の都市伝説を知っているだろうか。読んで字の如く、口が耳まで裂けた女性が道行く人に「私、きれい?」と尋ねてくるというありきたりな怪異だ。

これらをすべてひっくるめて、通常オカルトと呼ばれる。

語源については各自調べてもらうとして、この分野は「常識では計り知れないナニカ」「常識では証明できないナニカ」「存在を証明できないナニカ」という曖昧なものをおおよそ打ち込まれるジャンルの監獄のようなものだ。

このオカルトに共通する部分として、既知のものの中に絶対的な未知が存在するという現実の違和感がある。

例えばあなたは水を飲んでいたとする。コップにはなみなみとあなたが注いだ水が満たされているが、気付いたらなくなっていた。

これだけだと「それはあなたが無意識に飲んだのでは?」という常識で片付くが、「ふと見たらコップには赤ワインが満たされていた」になると「なぜここに赤ワインが?」という説明できない疑問が現れる。

事実に対して説明できない概念が未知=オカルトになり得るのだ。

僕はこの未知という部分に惹かれてやまないのだ。

人は知識=知りたいという欲望でもって知恵=生きる上での不定形な道具を作ってきた。

今僕が文章を打ち込んでるスマホも、電気、材料科学、情報工学の知識を製造技術という知恵によって形作られたものだ。

これら全ては未知であったものに対して、人生をかけて既知に転換した偉大な先人の努力のもと生み出されたもの。

話を戻すが、今の世の中には既知が溢れているため、実は現代人は未知というものに対して恐ろしいと感じていると思う。

かつての未知とは畏れであり、今の未知は恐れだ。

現代では技術の進歩が進み、理不尽な物事に対してBetterな回答というものが必ず見つかる。(BESTな回答は存在しないとする)

このBetterな回答で答えられない物事って、それこそなぜわからないのか?という疑問が生まれませんか?

知らないということは、まだ人が知る世界に広げる余地があったということ。

わからないということはまだ世界を進めることができるということだと僕は思います。

幽霊、UMA、UFO、宇宙人、それはまだ人の知らない世界がここにあったということ。

これが本当に面白い。

かつての恐竜の化石は巨人の死体と思われていた。

だが今では、過去に恐竜と呼ばれる生き物がいたという事実に変わった。

人の知る地球の時間が縦に大きく延びたのはすごいことだと思いませんか?

視点と認識を広げることができる未知というものがすごくロマンがあります。

それが解明されるかどうかは正直関係なくて、未知に挑むという行為がとても尊く偉大で、ロマンがあって面白いものなんです。


僕がオカルトや宇宙科学、古生物に対して抱いている気持ちがこれです。

このワクワクは、ゲームでも本でも味わえない唯一無二のものです。

夏休みはいろんな博物館でスペシャルイベントを開いてます。この際に是非足を運んでみてください。

恐竜博物館は夏休みは特に面白いコーナーをやってるのでおすすめです。


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