20220814 8月なので真夏の方程式

蝉の声、波の音、真夏の空のもと汗を流しながら田んぼ道を歩くとき、僕は真夏の方程式が頭に思い浮かぶ。

真夏の方程式は探偵ガリレオシリーズの一作で、舞台は推奨のようにきれいな海が魅力的な港町での話だ。

ゲーム「ぼくの夏休み」のような流れで、一人の少年が親戚の旅館で人夏を過ごすという一度は味わってみたいシチュエーションから広がる大人の秘密と罪の物語は、見る人にどこか暗い影を落とさせる。

主人公の湯川=博士と少年の交流は、大人たちの暗い過去と秘密とは対照的にとても楽しく、こちらを笑顔にさせてしまう華やかさがある。

ペットボトルロケットを使って実験をしていた時、そこにいたのは子供と大人ではなく、少年と博士という等身大の人間が二人いた。

こどもが得意ではない博士が、なぜか少年には普通に、人生の先達として。教え導く姿がとても新鮮だが、それを見て真剣に悩む少年の姿を見ていると、博士がなぜこの少年は大丈夫なのかわかるような気がする。

博士は、少年に対して問題を見つける好奇心と、答えを探す実行力を語った。少年が初めに語った「理科は嫌いだ」という発言から、勉強としての理科ではなく、科学としての理科を教えたのだ。

友人に教師がいるのだが、小学校としての理科と科学としての理科は別物で、この二つのどちらが好みかでかなり大学での講義の捉え方が違うと知った。

博士が教えたのは、答えが決まっている理科の授業ではなく、答えを導き出す理科の講義だった。

そして少年は博士の話から自分のしてしまったことに気づいてしまうのだが、この作品の一番大事なところは、この自分のしたことへの選択だと思う。

大人たちは、皆秘密を隠すために多くのことを選択してきた。

殺人、逃避、隠蔽と罪を重ね続けた先で待っていたのは、まだ小学生の少年に片棒を担がせてしまったことだったのが、とても悲しかった。

だれも望んで少年にこんな事させたいとは思っていないのに、こうするしか大人たちには選択が残されていなった現実が哀しかった。

少年と大人の狭間に立った博士が中盤言い続けたことがある。
「一人の人間の人生が狂わされようとしている」
まぎれもなくこれは少年のことだ。

大人の事情と選択を知り、少年の日常を知っ博士が、少年のこれからを守るために動くさまは、子供を守ろうとする、とてもかっこいい大人だった。

事件の解決ではなく、少年の心とこれからを壊さないために行動する湯川は、この作品のなかで一番まぶしい存在だった。

少年が真実に指先が触れたときに、必死に博士を探すところは正直に言えば滅茶苦茶に泣いてしまった。

こどもの心で耐えられるわけがない。
自分の叔父が、まさか自分を殺人の一手にしたなんて。

こんなつらい真実を目の当たりにして、彼は泣きわめくことだって部屋にこもることだってできたが、それでも彼は博士のもとへ走った。きっと彼は答えを知りたかったのだろう。自身の見つけた答えが本当かどうかという期待と、ウソであってほしい安心感を欲しくて探す姿が、とても痛々しかった。落ちたペットボトルロケットを見る目はとても悲しい目をしていた。

博士にようやく会えた彼がもらった言葉は「楽しかったな。」

この一言は、きっと少年にとってとても大きい救いになったんじゃないかと思う。これが、父親か友人、警察の人からの声かけだったとしたら「君は悪くない」「話してくれてありがとう」といった自白したことへの肯定で、彼の行動だけを許してこの夏の記憶をだれも救うことはできなったと思う。

あの時、二人で汗水流してロケットを飛ばした思い出だけでつながった博士と少年の希薄で濃いつながりでしか理解できない「楽しかったな」が、少年の夏の思い出を、自責の念で終わらせずに幕を閉じることができたと僕は思いたい。

あの少年が、このあと理科を好きにならなくてもいいし、自由研究でペットボトルロケットを使わなくてもいい。
眠れなくなる夜があっても、あの時博士に教えてもらったことは必ず彼の胸に残っている。

こういうことを書くのは慣れていなくて恥ずかしいが、せっかくなので、僕が原作を読んだ時の最初の感想をもって今回の締めにしようと思う。

僕の思う、真夏の方程式の答えは「楽しかった。」だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?