平成・令和のこぎつね事変 ~俺もお前も目撃者~

「僕は昔のアングラ育ちなので、演劇は観るより目撃するものだと思ってるんです。」
(茅野イサム「ミュージカル刀剣乱舞特集」(「月刊カット」第29巻第12号 *頁以下、株式会社ロッキング・オン、2018年)87頁のインタビュー記事より一部引用)

 その通り、ミュージカル刀剣乱舞は”目撃”でありつづけている。今年の一月に大千穐楽を迎えた「歌合 乱舞狂乱」もやはり”目撃”だった。ゆえにこそ、私個人の記憶を思い返してここに記す。

 2018年、夏。ミュージカル刀剣乱舞(以下「刀ミュ」)はノリにノっていた。むすはじが終わり、次なる一手は第一作目の「阿津賀志山異聞」を再演するという。それも初演をパリで、あの花の都パリで行うという知らせに皆が沸き立った。ツアーが組まれ、海外旅行の諸注意がTwitterを飛び交い、東京公演も含めたチケットを皆が争奪した。みんな楽しみにしていた。あのころからいくつもの経験を積み、大きくレベルアップを遂げている面々での再演、その華々しい祝祭としての側面も持つパリ行きだったのだ。あの瞬間までは。

 異様に暑く、そのくせ乾いていた。7月の連休初日だったと思う。Twitterのタイムラインが妙な慌ただしさで流れ始めて、私はその一報――北園涼氏の網膜剥離――を知った。
 誰が悪い何が悪い、という問いさえ涙に押し流された。天が不運をそう定めたとしか表現しようのないタイミングだった。現地入りしていた人、SNSでレポを追う人、情報を遮断して東京公演に意識を向けていた人。みんなみんな悲痛な声をあげた。私もあげた。みんな祈った。異国の地においての医療は兎にも角にも困難がある。ただ無事の帰還と目の治癒を祈った。経過の知らせを待ち、胸をなで下ろし、そしてパリ公演での出来事を知ってまた涙が流れた。

 しかしこの世はショウマストゴーオン、パリが終わっても東京公演がある。手術が無事終わったとはいえ、網膜剥離という病は希望的観測にすがるにはあまりにも厳然とそこに存在していた。
 刀ミュはその特性上、役者と役が不可分に近い。キャスト変更の事前予告でさえ激烈な反応が呼び起こされたこのコンテンツに立ち塞がる大問に対し、どういう回答が立つのか。中止か、パリでそうであったように声だけが在るのか。じりじりと日が過ぎる中、代役での公演が知らされる。
 皆の目に入る「岩崎大輔」の文字。岩崎大輔氏はファンの中で「かっこいい遡行軍薙刀の方がいる」「日本号っぽいアンサンブルの方がいる」と話題に上ることも多かったので、お名前を聞いた時「ああそれなら安心だ」と思ったことを覚えている。私の観測範囲内だと、あまり不安の声も聞かなかった。しかし、
 ――アクションは文句なし、それは間違いない。けど歌は? 芝居は?
 懸念は拭いきれるものではなかった。パリからのレポートで内容が大幅にブラッシュアップされているらしいという情報も手伝い、私も、期待と不安を抱えて幕が上がるのを見ていた。

 小狐丸を、目撃した。

 紛れもなく刀ミュ本丸の小狐丸だった。姿形は違えども、魂が同一であると確かに感じられた。ふ、ふ、と北園氏の演じる小狐丸、「そこにいたはずのもの」を幻視した記憶がある。
 のみならず、大千穐楽においては明らかに「そこにいるもの」としての小狐丸がいたのだ。その驚きを思い出すことは過去が過去であるために難しいのだけれど、とにかく見入っていたことを覚えている。
 そうして迎えたカーテンコール、なぜか見てるこっちが緊張していた。刀ミュはカーテンコールの時も役を降りず、刀剣男士として挨拶を行うのが慣例だ。しかし今回ばかりは事情が事情、私の脳裏にはキャストとしての挨拶をする可能性がよぎっていた。
 仔細についてはDVDで確かめてほしい。ともあれ「小狐丸」の言葉に多くの人々が拍手し、すすり泣き、その存在を肯定した。終わってからもみんな、混沌としていた。悲しみと賞賛と、それらを口にすることをはばかるいわく言いがたい思い。公演が素晴らしいからこそ、岩崎氏が小狐丸をしっかりとその身に降ろしたからこそ感情が混沌のただなかにありつづけた。
「北園くんがいなくてかなしい」「岩崎さんの小狐丸よかったよね」振れ幅はあれど二つの思いで揺れていた。けれどお構いなしに時計の針は進む。再演や双騎のお知らせ、清光単騎、密着ドキュメンタリー、三日月さんはサウスポー、真剣乱舞祭に北園氏が出られると聞いて喜ぶ、紅白出場という衝撃発表。目撃が続く。
 そうして迎えた、らぶフェス18。祭りの賑やかさの中、すべてが幽玄な雰囲気を纏っていたように思う。山車に乗る小狐丸さんと三日月宗近さんうつくしかった。蜂須賀の阿波踊りセクシー祭り。
 紅白もすばらしかった。サブちゃんにテンション上げてる兼さんの後ろ姿を今でも思い出せる。CDTVのみほとせ組セクシービームすぎて何事かと思った。でももうあのインタビューはやめてほしいかな。時間押しまくってたし。にっかりさんはだいぶ表情が抜けてたし私も閻魔亭周回がなければ寝てた。

 時がめぐる。2019年は驚きの年であった。みほとせの再演にときめき、双騎の演出に驚き、あおさくの公演期間に驚き、ややもすればより重いアクシデントに心を痛め涙する。その間にも、現れる話題にはときおり、小狐丸という存在に対する曰く言いがたい思いが横たわっていた。目撃した「彼」に再び相見えたい、いいや悲しみの上に成り立った「それ」を思ってはならぬ。矛盾に折り合いをつけて暮らしながらも、思いは横たわっていた。
 で、歌合である。前回で「祭」の物語が綺麗に完結したあとの上がったハードル、謎の呪文、この規模の2.5次元舞台において前代未聞であろう「ネタバレ禁止」。何もわからない状況下、謎の呪文と「スゴイ」「ヤバイ」「石切丸さんの手袋」という断片的な心の叫びのみがTwitterにこだまする。ライブビューイングで初めてその実体に触れることになった私は、わたしたちは、

 小狐丸「たち」を、目撃した。

 彼もまた「小狐丸」であると、語られた。面(おもて)で貌は見えねども、その所作こそが、舞こそが彼なのだとわたしたちは知っている。それが表裏で踊るんですよ。同時に現れる小狐丸という怪奇現象、しかしそれを語る男士さえ狐がぴょん! 踊るきつね! ふたつだけどひとつ! あぶらげ禁止令! 信じるも信じないも貴方次第! 君(たち)は都市伝説か!?!?!?! あと入れ替わりに気づかなかったのでびっくりした。顔と腕の線が隠れると本当に見分けがつかなくなる……!
 そうしてあらゆる思いが、あらゆる記憶が”目撃”の一語に帰結し、小狐丸は小狐丸になった。諸々の惑いがくるんとつつまれて、歌になった。まさに狐につままれ、いやさつつまれ体験である。ありがとう、としか言えなかった。

 もちろん、ダイナミック里報酬お迎えも超ド級の目撃であった。刀剣男士のみなさんハイパー神々しいし松井江くん美しすぎて何事かと思ったし桑名江に飛び上がるほどサプライズだった。ただこれはあくまで「刀ミュの小狐丸を推している人間の記憶語り」なので、どうしても小狐幻影抄とそれまでの歩みについての話が中心になっていることをご留意頂ければ幸いである。

 ともあれ、センキューセンキュー大センキュー、刀ミュにかかわる全ての方々! 次から何も知らぬ人に「刀ミュ何から見ればいい?」と聞かれた時、胸を張ってあつパリのDVDを渡せることが、うれしい。

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