きょ

まず、虚構とは他者の現実への態度の概念化 つまり人の数だけ現実があり、フィクションがあるって結論

で、絵画は額の中にあると 
形式にあると人は絵画として見る 故に絵画の中で起きている非現実ノ面白さは楽しめてもフィクションそのもののおかしさ(を感じるのは難しい
フィクション(広義での)は基本的に詐欺 であり暴力で、あるという前提 
前提のもとに、という暴力 

平面作品とはいえど、紙は立体だし物質だ、描かれているものは絵の具の色が描かれている モノ に見えているだけだし、さぎっしょ
でも人はなにか前提?を規定規定しなければものも考えられない
人はその物質、ではなくその描かれている よくわからない顔料の集合体を愛で、感動し、歴史に残すのだよね
それはやっぱり当たり前のことだけど、フィクションと現実て最初から表裏一体で二面性!!どころじゃない!深く絡み合った、今さっきのところヲ生きていた いのちの数の多面体のていを成している
デジタルか否かとか関係ない 情報に情をもてるいきものでそれはひとってこと

自分の知らないところにあった、あるいはある現実はその現実を知ってる、または対面していた他者の語る現実つまりフィクションとして咀嚼し、飲み込むことしかできない  

今では自身の向き合っているはずの現実さえ一度フィクションのフィルタを通さないとうまく飲み込め

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?