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人生という物語。

ノリと勢いでこのnoteを作ってから早くも一ヶ月が経ってしまった。

この間にも書こうと思ったテーマや学んだことがあったのに、頭の中で思い描くだけで終わって、いざ書くときに思い描いていたことが消えてしまっているなんてことがよくあった。

だから、タイトルだけでも書いて下書きに保存するという方法で、その時の思考も保存することにした。


ちなみに、このタイトルを保存したのは一週間前だ。

いかんせん僕は文章を書くことが苦手で、小学生の頃から、作文、レポート、論文、旅のブログと苦しまされ続けてきた。一つの作品を完成させるのに膨大な時間がかかるのだ。

もちろん今も、「苦しんでいるなう」


さて、話をタイトルに移そう。

みんなは自分の人生のことをどのように捉えているだろうか?

僕はときおり自分の人生を、僕が主人公の物語、または小説のように考えることがある。

僕の中では、小説の目次のように今までの人生が章分けされていて、今現在の僕は、僕の人生という物語の第1部の第8章の第3節あたりを生きている。(細かい笑)


僕の場合、

第1章 幼少期

第2章 引っ越しと小学校時代

第3章 中学校時代

第4章 高校時代

第5章 浪人時代

第6章 大学時代・前編 〜日本一周前〜

第7章 大学時代・後編 〜日本一周、そして〜

第8章 延長戦・上編 〜種まき〜

のようになる。


そして、

第9章 延長戦・中編 〜水やり〜

第10章 延長戦・下編 〜開花〜

と続いて第1部は完結の予定だ。これ自叙伝書けるわ。


こんな風に考えるようになったのは、中学三年の時だったと思う。

高校受験を控えた義務教育最後の年に、「高校時代」を人生の次のステージ(章)のように捉えたことがきっかけだ。

中学と高校の間で僕の人生は区切れるなと思ったのだ。

そこから僕は人生をステージ分けして、新しいステージを迎えるたびに章を増やしていった。


僕はこう考えることで自分の人生をより客観的に見れるような気がする。

あの時のあの経験が(第○章のあの経験が)、あの時のあの決断に(第△章のあの決断に)繋がってる、みたいな。

あの時のあの出会いが(第○章のあの出会いが)、あの時のあの出会いに(第△章のあの出会いに)繋がってる、みたいな。

人生にはたくさんの伏線が隠れているのだ。


そうやって振り返ると、それぞれの章(ステージ)の出来事や経験が、その後の章(ステージ)に少なからず影響を与えていることに気づく。

ということは、今のステージの出来事や経験、出会い、思考は、未来のステージに影響を与えると気づく。

今の生き方が未来の生き方に影響するとなれば、未来を見据えて今の生き方を考えるきっかけになる。


人生の伏線には、

「自分で仕掛けるもの」と「気づかないうちに仕掛けられているもの」

があると思う。


気づかないうちに仕掛けられているものは、自分ではどうしようもない。

ここであの時のあれと繋がるかぁ〜みたいな予期せぬものだから、その時はそのこと自体を楽しめばいい。

大事なのは自分で仕掛けられるということ。

そのことに気づくだけで人生が一段階面白くなる。


あの時仕掛けた伏線を今から回収するぜぇ〜みたいな。

今から次のステージで回収するための伏線を仕掛けるぜぇ〜みたいな。

自分で自分の人生(物語)を作っている実感が沸く。


昨日、僕はある人と3時間語り合った。

そこで僕は種をまいた(伏線を仕掛けた)。

その種(伏線)は第10章で花を咲かせる(回収する)予定だ。

そうなるようにここからの物語(人生)を作っていく。

楽しみだ。


自分で自分の物語(人生)を作り上げていくのは、とてもワクワクする。

そう思いませんか?


みんなは自分の人生のことをどのように捉えていますか?


僕の人生は、

僕の、僕による、僕のための物語です。


アイキャッチ画像:智積院 2016.6.8.


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