4/17 きろく

今日は思ったことの羅列

よみつらい

 書き起こしと少しの言葉添え





人類学が面白い
自分は絵を描いてて、
絵のためにジャンル・目的 を学ぶこと。なにか近い?

抱えている問題について
→同じ領域にいるのに意図が見えない怖さと 型に受動的で無意識でいる苦しさ。
                     →これは全てのことに言えるか?
何が、どこに居て、どうしたいか 全て私が選びたい。
選択し直して、地面をもう一度掘り返して。

 パレスチナのこと、ほんとはよく知りたい。
過ぎさる毎日に足を止めて考えたい。
私は絵を描く生活にいる。 でも
もうそこに身を流す でなく、止まりたい。掘り返して耕す為に。
無視したくない
ずっと
私と あなた の為に。



それが私にどのような手段をとらせるか。
→じっと知ること。
私と違う あなた達が、どのような意図を持っているのか。
私とあなたが違うから、混ざろうとすると痛い。

ずっと絵を描くことが苦しくて、自分をどのように表出させるか・形作るかを決めれなくて。
(でもそれも、
その人はどのような様であるかの内、その人がどの部分だけをモノに乗せているか込めているかを 理解したら和らぐのでは。
美術史を学ぶこと・名だたる作家を学ぶことを、そのような目的で使ったらいいと思う、思った。)

そろそろ雨の季節がくる。



さて、人類学を学ぶ はどういうことだ。  まだ知らない。
一方で、
絵を描けない私の恐ろしいモノは、美学を履修することで和らぐかもしれない。気がしている。

 自己を形決める前に、やる事があるんだと思う。

制作スタイルすらも、そのような姿勢でありたい。そのような運動で絵をしたい。
 いつか水の絵も落ち着くんだと思う。
そろそろ中に組み込んでもいいすらある。その時はそのときの自分よろしく

よく動いて感じるゼミで、どこに居れるだろうか。
うんと悩み続けていたいが、どうであるか。
少なくとも今は、意図と表出の関係をもっと知っておきたい。





どうしてこの形になったかを話すと、
自分の考え事には、文章にオチをつける形態が合わなかった からです。
このようなメモが日常にたくさんあるのです…
おわり





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