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闇落ち話(5)

5月は大好きな月だった。
新芽が出てきて、青々として、空もキレイでスッキリ良い気分で過ごせる。
ただ、6月に脳腫瘍で亡くなった夫との時間を思い出す月にもなってしまった。

よって、5-6月は結構辛い。
5月頃は、会ってもらいたい人に会わせるために必死で頑張った時期だ。6月はカウントダウンの月。
1周忌の去年よりも、2年目(3回忌)の方が違う意味で辛いなんて、誰も教えてくれなかったよ。でも彼の命日を忘れず、「最近良く思い出してました」とか、会いに来ると言って連絡をくれる人もいる。
人それぞれ、いろんなことを考えているのかもしれない

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一般的には死別体験後、すぐに大きな決断はしないほうが良いと言われている。
が、振り返れば、個人事業主だったので、すぐに仕事は復活してたし、6ヶ月以内には就職先を決め、会社員になった。
お誘いがあったからとはいえ、相続とか色々やりながら、すごい決断力だ(笑)

私にとって仕事とは、自分の居場所を作る意味でも重要だった。
一匹狼的に過ごしてきた私も、所属先、仲間がが欲しかった。

でも今、仕事も思ったようにいかず、チームがあるわけではないので、結局新参者がひとりで空回りしているというか、もうちょっと考えれば分かったことだったのに、とか、「これはまずいんじゃない?」と直感的に思ってはいたものの、流れに押されてやってしまった結果「ほらみろ、こんなに社員が違和感を持っているじゃないか」と思うことに遭遇したり。

仕事内容は話せないことも多いので、ひとりで抱えて判断する場面も多い。
チームと言えるほど、ざっくばらんに話せる状況にはない。

1年経過したのに未だに仕事が出来ている感がないのが辛い。

抗不安剤を飲んでいるからか、今のメンタルの状態だからなのか。
色々失敗することが多い。とにかく覚えられない。頭が回らない。
そして、誰が言うことが真実なのか、何が正解なのか、分からない。
色々な会社を見てきた経験、価値観、セオリーと、今の会社とのギャップ。
ビジネスモデルが分からず、全体像が未だに掴めない。
それもまた、自分の頭の悪さ、仕事のできなさを自覚させて落ち込ませる。

もっとも、メンタルが悪い時には判断を誤るとか、記憶力が悪くなりがちとかは知っている。
それでも、やっぱり自己嫌悪に陥る日々なのである。

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最近、たまに、近所の銭湯に行く。

これが庶民向けの割には素晴らしく露天風呂が充実していて、露天風呂で空をみながらぼーっとしているのだ。
以前は、現実逃避とドライブを兼ねて、大浴場があるホテルまで車を飛ばして行ってたが、最近はその気力もなく、ここで良いじゃないかと通ってる。
本来、入館から2時間制限らしいが、きっといつもオーバーしている(笑)

お風呂に使って空を見ながら、
色々考えたり、泣いたりしている。
お風呂はどれだけ泣いていてもバレないのが良い。

そんな今日はボケーっとしていたら、
背後で「かわいいーー、小さい!いくつかな?」
と盛り上がっている声がした。
ふと振り返ると超小さいまだ「赤ちゃん」を連れて入浴している親子がいた。

あまりにも可愛いので(庶民向け銭湯あるあるな)、年齢を聞いたりの会話が聞こえてきた。

その子は1歳4か月だという。まだ色々なことに、キョロキョロしていた。

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夫が旅行先でてんかんの大発作で倒れたのは
息子が1歳3か月の時だった。

あー、これくらいの時だったんだ。
と、思い出した。

彼が倒れて救急車で担ぎこまれた先の先生はやさしい人だった。
ここで処置できることは限られる。
でも、彼はしばらく頭が疲れて寝てしまうだろうから、
東京に戻るなら高速道路が空く、夜に帰宅した方が良いと言ってもらい
彼をそのまま夜まで寝かしてもらうことにした。

当時一緒に旅行していた仲間は翌日の仕事と、車の台数の関係もあり、全員先に帰ってもらった。その方が私も気楽かなと思った。

残されたのは息子と私。
さぁ、どうするかな。

息子はまだ食べられるものもまだ限られていて、
しかも完全母乳で、哺乳瓶も嫌。
好き嫌いも激しい子。
彼が運ばれた診療所から離れるのも怖くて、近くでどうにかパンを調達して、
息子の相手も散歩もして、
夜の渋滞が解消される時間になるまで時間をつぶした。

1歳3か月の息子は何も分からずの状態(そりゃそうだ)。

そして、夜になり、私が運転して、彼と息子を連れて旅行先から帰宅した。

息子が生まれてから、ちょこちょこ運転しだした私。
それでも、彼が運転好きだったこともあり、長距離は彼にお任せだった。
まさか、私が全部運転するとは。
初首都高じゃん😅

彼はてんかんの大発作の後なので、眠くてたまらないし、訳わからないことを言う。怖い。
でも、カーナビもない時代。
方向音痴の私。
唯一頼れるのは彼なので、彼を助手席に座らせた。席を倒して、首都高に乗るまでは寝ていてね、と言いながら。
1歳3か月の息子を後部座席に乗せて、いつもと違う時間帯に活動していたため、興奮して泣く息子を運転しながら、なだめながら帰宅した。

途中でオムツを変えるのにサービスエリアに寄り、息子を抱っこして、車に戻る時に靴だか靴下が片方無くなったことに気づいたが、もうそれを探す気力もなかった。

都内に入り、首都高で無理やり彼に起きてもらい、指示を仰ぎながらようやく帰宅した。夜の首都高は、なんだか怖い。
家に着いたのは真夜中だった。

息子と夫を寝かせ、自分ひとりになり、
先に帰宅した仲間にどうにか無事に帰宅したことを連絡した。

仲間との楽しい1泊旅行がこんな風になるとは思わなかった。
魂が抜けるほど、疲れ果てて、明日からのことを色々なことを考えながら寝た。

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そこから20年以上が経過した。
ずっと、頑張ってきた。

仕事も、彼のことも、彼の病気のことも、子育ても。
何なら、双方の親のことも。

彼も自分のことに自覚は薄く、
私も誰にも相談することはなく、基本、全部自分で決めてきた。
高次脳機能障がいのこともある。
頼る先も、頼り方も、理解してもらえない予測のもとに、ずっと親友の声だけを支えに頑張った。

そんなことを色々とお風呂の中で、
その1歳4か月の赤ちゃんを見ながら、思い出してきた。

命日が近いこともあり、
最期の瞬間も含め
色々思い出していた。
そして、ちょっとだけ、泣いた。

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こんなにして20年以上、頑張り続けてきた私は、
なぜまた今の会社でうつになるまで頑張っているのだろう。

今のポジションの私に足りないところは山ほどある。
それはやりたいことも、若干苦手なことも含まれる。
でも小さな会社ゆえ、基本ひとりだ。
共有して一緒に乗り越える人はいない。

これを頑張れば、ものすごい成長と実績になるだろう。
会社がどう変わるのか、未来もみてみたい。
新しいことに向き合って勉強すれば良い。学び続ければ良い。分かっている。
でも、学びと現実は違う。

精一杯やっているつもりでも、足りないことは沢山ある。
やって良かったと感じる瞬間ももちろんある。

でも、私はいつまで、どれだけ頑張ったら良いのだろう。
どこまで頑張ったら許してもらえて、楽になれるのかな。
本来就職することで欲しかった「居場所」は出来るのかな。

バカみたいに、大変なところに飛び込んでいる自分に笑えてしまう。
息子も育ったいま、私は自分の人生を生きて良いはずなのに。

世の中にはもっと辛い思いをしている人は沢山いる。
私の悩みなんて贅沢なことで、申し訳ないのも分かっている。
でも、仕方がないのだよ。





ね、本当は私たち、どんな夫婦だったんだろうね。
あなたは、どんな夫婦、家族を作りたかったのだろうね。
発病時期、早すぎたよ。


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