見出し画像

コロナが変えてくれたこと

最後に山に登ったのは、3月下旬。その後、緊急事態宣言が出されて以来、山から遠ざかって家に籠っていましたが、解除となった週末、70日ぶりに都内の三頭山へでかけました。この山に登るのは3回目。でも、週末ごとの山歩きで、ようやくついてきた筋力はゼロの戻り、体重は増え、体力の自信をすっかり失っていたので、今回はゆっくりゆっくり、無理をしないと決め歩きだしました。

しっとりとした空気に包まれた森。ウッドチップが敷き詰められた遊歩道。鳥の声、滝の音。ずっと家に閉じ込められていた身にはジンと沁みます。森の入ると、人間にだって、土や緑や水や広い空が必要なのだなあとつくづくと感じます。人が入ってこなかった山道は、きのこが伸び放題。きっと山の動物たちものびのびと歩きまわって、おいしいものをいっぱい食べていたのでしょう。少し歩いては、立ち止まって植物を眺め、鳥の声を聞けば姿を探しました。

山歩きを始めて2年。高尾山でも大変だったのに、昨年は、富士山、白山、立山まで登れるようになり、冬山にもチャレンジしました。最初はただ面白がって登っていたのに、いつの間にか、もっと上、もっと上へとレベルを上げることに夢中になっていました。いつも体力的にも技術的にもいっぱいいっぱいで、ただ黙々と修行僧のように登っていたかもしれません。確かに、一心不乱に登るのは、瞑想の時間のようでもあり、毎日が煩悩で満タンの私にとっては、それは必要な時間でもありました。

でも、こうして、ゆっくりと寄り道しながら、歩いていくと、いつもはあまり気にしていなかった珍しい花や鳥やトカゲを見つけられます。トカゲはずっと見ているとマンジリともしないのですが、ちょっと目を離すとすっと逃げていくんですよ。面白い。

画像1

長いこと、山歩きだけでなく、勉強でもスポーツでも、仕事でも、上を目指し続け、ひたすらに走り続けてきました。いつもいつも頑張ってきました。自分はそういう性格なんだと思っていました。でも、コロナ騒ぎで、今の社会も、仕事も、自分の命さえも、ずっと続くものではない、それどころか、明日、すべてが激変するということだってあるのだということを思い知らされました。私、どこ向いて、何のために頑張っているのだろう。そう考えた人はきっと私だけではないと思うのです。

今、山歩きも、仕事も、暮らしぶりも、ちょっと見直してみようかなと思っています。それで、ずっと忙しさにかまけて休んでいたnoteを再開させようという気分になりました。ピンチはチャンスとまでは言わないけれど、いろんなことをリセットする、いいきっかけになったのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?